第284話 上意

織田信長が比叡山を焼き討ちにする前に,二度比叡山は焼き討ちされている。

織田信長が初めて比叡山延暦寺を焼き討ちしたのでは無い。

一回目は永享七年(1435年)に足利幕府6代将軍足利義教により行われた。

その時の攻撃は凄まじく,根本中堂を含む多くのものが焼かれ,寺領は差し押さえられ,坂本の街も焼かれ,比叡山延暦寺は幕府に降伏。

二回目は,明応八年(1499年)に細川吉兆家の細川政元が,敵対する10代将軍足利義稙を支持する延暦寺に火をかけた。

いまの時点で,この時に焼かれた寺の建物はまだ完全には再建できていなかった。


延暦寺は緊張感に包まれていた。

幕府からの使者として松永久秀が延暦寺にやってきて,幕府からの要求を突き付けていた。

突き付けられている幕府からの要求は,かなり厳しいものであった。


「上意である!今回の強訴に対して,朝廷も幕府も大変なお怒りである。僧兵達を放置した責任は重大である。その責任を問い次の3つを命じる。

一,僧兵は500名以下とする。野盗から寺領を守るなら500名でも多いくらいではあるが,500名までは認める。しかし500名以上の兵を養っている場合,朝廷と幕府への叛意ありとみなし討伐する。

二,幕府に対して延暦寺は金板600枚(10〜18億円ほど),日吉大社は金板400枚を直ちに納めること。

三,琵琶湖・堅田の里は将軍家直轄とし,堅田衆は将軍家に仕えることとする。以後,琵琶湖の水運や堅田の里・堅田衆から税や年貢を集めることを禁止する」


松永久秀の読み上げる幕府の要求に天台座主はしばらく目を瞑って考えていた。

比叡山延暦寺の僧兵は8千人。

今回の強訴で3千人が討ち取られたが,まだ5千人いる。

野盗から身を守る程度なら,500名で十分であるというのが幕府の主張である。

事実上の武装解除に近い扱い。


金板は比叡山延暦寺を焼き討ちしようとした信長に,延暦寺側が提示した倍の金額をあえて要求していた。延暦寺と日吉大社の懐を空にするためである。

堅田衆が幕府についた以上,いままでのように水運による利益は望めない。

かなり厳しい財政となるだろう。


「承知いたしました。幕府の要求を全て受け入れます」

天台座主は幕府の要求を全て飲むことを決断した。

「馬鹿な,幕府の要求を全て飲むと言われるか」

僧兵をまとめる男がいきりたち,大声をあげる。

「3千の僧兵と2千の信徒達,合わせて5千の強訴に出向いたもの達がほぼ全滅したのだ。そんな相手とどう戦うのだ。今の幕府は強大な力を持っている。周辺の大名で我らに味方するものはいないぞ」

静かに語る天台座主。

「幕府に膝を屈するなど認められん」

「幕府は本願寺との戦いに10万をこえる軍勢を集めてみせた。5千人でどうやって10万の軍勢と戦うのだ」

「我らがここに籠り戦い続ければ,周辺大名や国衆も変わるはずだ」

僧兵の言葉に松永久秀が笑い始める。

「ハハハハ・・・・」

「何がおかしい」

「ありえん。それはありえん。10万の軍勢は,幕府からしたら動員できる兵力の一部にすぎん。

既に畿内はもとより山陰道・山陽道の大名は幕府に忠誠を誓っている。東国は,ほとんどが幕府管領上杉晴景様の領地もしくは同盟大名達になってきている。幕府管領上杉晴景様が京の都とその周辺においている上杉家の軍勢は2万ほどだが,上杉様が本気になれば自国から単独で10万を越える軍勢を呼び寄せることができる。強訴が失敗した時点で既に終わっているのだ。本願寺との戦いでさえ,畿内の大名・国衆は誰も本願寺に味方しなかったぞ。既にお前達の味方はいない」

僧兵の男は顔を真っ赤にして怒れる目で松永久秀を睨んでいる。

「クッ・・・」

「戦うなら好きにすれば良かろう。ただ,戦いたくない者達を巻き込むな。貴様らも僧の端くれならばよく考えることだ。それに,幕府側はいつでも戦える。比叡山近くに既に2万の軍勢がいるのは分かっているだろう。幕府管領上杉晴景様の精鋭を中心とする軍勢だ。さらに,3万の軍勢が戦いの準備を終えている。幕府より命が降れば,すぐにでも延暦寺に向けて出陣する。そうなれば,延暦寺だけでなく日吉大社の責任も問わねばならんことになる」

松永久秀の言葉にこの場にいる者達全員の表情が強張る。

この状況で戦えば,延暦寺と日吉大社の全てが焼かれて灰になることは確実。

「我らは戦う意志はございません」

「座主殿のお気持ちは先ほど伺い承知しております。あとは寺の内部でのこと,しっかりと治めていただければこれ以上の戦火は起きないのです。無益な戦は我らもしたくありません」

松永久秀は,それだけ言い残し延暦寺を後にした。

そして,延暦寺・日吉大社は幕府の要求を全て受け入れ,事実上の武装解除に近い状態となり,その力を大きく減らすこととなった。

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