第194話 蝮が動く
月が雲間に隠れる深夜。
密かに移動している者達がいた。
柿崎景家率いる上杉勢8千であった。
彼らは狙いは斎藤道三の首ひとつ。
柿崎景家は、斎藤道三が何か企むならば、企む前に叩くべきと上杉景虎に進言して夜襲の許可を得た。
軍勢は無言のままひたすら夜道を走る。
やがて数多くの篝火の明かりに浮かび上がる斎藤道三の本陣が見えてきた。
そこには、風に靡く多くの斎藤道三の旗印。
その旗印は、二頭波と呼ばれる斎藤道三が考えた独特な形の旗印。
波頭と波飛沫を象ったもの。
どんな思いと意味を込めたのかは斎藤道三しか知らない。
誰が意味を尋ねても笑うだけで話すことはなかったという。
夜襲を警戒しているのか見張りの数が多い。
柿崎景家は魚鱗の陣を組み、一気に斎藤道三の陣に突っ込むことを決断した。
「魚鱗の陣を組め」
8千の軍勢は、柿崎景家の一言で無言のまま静かに速やかに三角形の形をした魚鱗の陣を組む。
そして、静かに柿崎景家の指示を待つ。
「狙いは道三の首ひとつだ。行け!」
柿崎景家の指示を受け一斉に走り出す上杉勢。
上杉の動きに気がついた敵陣の見張りが声を上げる。
「敵襲〜敵襲〜」
敵の見張りを切り倒し、幕で覆われた敵陣になだれ込む。
その瞬間、先頭にいた多くの者達の姿が消えた。
そして、下からうめき声が聞こえる。
よく見ると幕のすぐ内側に深い堀が掘られていた。
多くの者達がその堀に折り重なるように落ちていた。
そして、陣の中を見ると斎藤道三の陣は空であった。
外にいた見張りを捉えて聞き出そうとしたが既に逃げてしまい誰もいない。
「こ・・これは一体・・・」
柿崎景家はしばらく何が起きているのか分からなかった。
「しまった。道三に嵌められた。敵は我らの本陣に向かっているぞ」
慌てた柿崎景家は全軍に向かい力の限り声を上げる。
「聞け〜!敵の斎藤道三は我らの本陣を強襲するために我らを出しぬき、景虎様のいる本陣に向かっている。これより全力で戻るぞ。ついて来れんやつは置いていくぞ。全員死ぬ気で走れ。行くぞ〜」
8千の軍勢は一斉に景虎のいる上杉本陣へと戻るために走り始めた。
上杉本陣近くの山中。
「ククク・・・上杉の本陣はあれか」
斎藤道三は、上杉の8千の軍勢がもぬけの殻となった道三の本陣に、なだれ込んでいる事を思うと笑いが止まらなかった。
自らの本陣に兵がいるように見せるために、周りを幕で覆って中が見えないようにした。
その上で数多くの旗印を立て、通常よりも多くの篝火を周辺に用意して火を灯していた。
「しかし、本陣をもぬけの殻にするだけではなく堀まで掘るとは、そこまでしなくとも良かったのでは・・・」
斎藤道三の横にいる不破光治が疑問を口にする。
「もてなしは必要であろう。でかい祭りにはそれに相応しいもてなしが必要だ。それがなくては祭りは盛り上がらんだろう。敵も味方もな!」
「な・・なるほど、もてなしですか・・・」
道三の悪戯心にやや呆れ顔の不破光治。
「さて、もう一泡吹かせてやろうぞ」
「準備はできております。いつでも」
「もう一度確認しておくぞ、首は要らん。万が一上杉景虎の首が取れたらそれだけで良い。儂らの軍勢は左右から上杉の陣営をかき乱して突っ切ることだ。あとは尾張に逃げる。只ひたすら突っ切り逃げる。いいな」
「問題ありません。それは全員に厳命してございます」
「なら、問題無い。それでは行くぞ」
斎藤道三の軍勢が上杉本陣の左右から一気に襲い掛かった。
「敵襲〜敵襲〜」
上杉陣営の見張りが敵襲を知らせる。
上杉の多くの者達は夜襲部隊が斎藤道三の本陣攻撃に出たこともあり、まだ多くの者達が起きていた。
素早く槍を手に取るもの、刀を抜いて備えるものたち、みな緊迫感に包まれた。
上杉景虎の下に鬼小島弥太郎が巨大な朱槍を携えて駆け寄る。
「景虎様、この弥太郎がいる限り、敵には指一本触れさせませぬ。お任せください」
「弥太郎、頼むぞ」
同時に上杉の多くの兵達が景虎を守るために周りを囲む。
そして斎藤道三の軍勢がなだれ込んできた。
「我こそは上杉家鬼小島弥太郎なり、腕に覚えのあるやつはかかって来い。我が朱槍の錆にしてくれよう」
鬼小島弥太郎は、景虎側に敵を近づけないためにあえて前に出て朱槍を振るった。
三十人力の怪力で振るわれる巨大な朱槍。
朱槍に触れたものは、ことごとく吹き飛ばされ、血を流しながら大地を転がる。
「どうした。斎藤道三の手の者はこの程度か。話にならんぞ」
巨大な朱槍を振るう鬼小島弥太郎の周りだけ別空間の如く敵の骸が転がっていく。
その姿を見た敵も味方も、朱槍を振るうその姿は多くの者達に恐怖を与えた。
途中から鬼小島弥太郎に挑む者はいなくなり、やがて斎藤道三の兵達は上杉本陣から離れていった。
「景虎様、追撃しますか」
「弥太郎。夜中で見通しがきかん。それには及ばん」
暫くすると柿崎景家の夜襲部隊が戻ってきた。
「景虎様、申し訳ございません。景家、一生の不覚。この責任は如何様にでも」
「それには及ばん。許可したのは儂だ。責任は儂にある」
「ですが・・・」
「斎藤道三が1枚上手だったという事だ。同じ轍を踏まなければ良い。良き学びになったと思いことにする」
景虎は、もしも兵の数が互角なら戦いがどう転んだかわからなかったと思っていた。
そして、景虎はこの戦を己の糧として心に刻むのであった。
夜の三日月が雲間から顔を出し、戦の終わった戦場を照らしていた。
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