第160話 北条仕置き
小田原城の有様を見て呆然とする北条氏康。
そこに一人の僧侶がやって来た。
今川家の宰相太原雪斎であった。
「氏康殿」
「こ・・これは雪斎殿」
「なぜ、和睦の約定を破り上野国に攻め込んだのです」
「・・・・・」
「もうこれ以上の戦は、北条家の滅亡に繋がります。上杉家に降るべきと思います」
「上杉に屈しろと言われるか、それはできん。むざむざと降るなど」
「上杉晴景殿が率いる越後上杉は関東管領山内上杉家や扇谷上杉家とは違います。国力の差は歴然。戦にも強く、その上、我らの一歩も二歩も先を見ておられます。此度の戦がその証拠。既に北条幻庵殿は命と引き換えに城兵の助命を申し出られました。ただ、上杉家の意向で幻庵殿は助命されております」
「叔父上が降ったのか・・・我ら・・我ら北条こそが関東を統べるはずで・・」
「氏康殿。今回我が主人今川義元様が、上杉晴景様に此度の戦の取りなしをしてくださるそうですが、上杉家からはかなり厳しい条件を突きつけられるでしょう。もうひと戦などは、間違ってなさらぬ様に願いますぞ、その様なことになれば、上杉殿は本気で北条家を完全に殲滅なされますぞ。そうなれば我が主人今川義元様は上杉家につきます。既に越後、信濃から上杉家の追加の軍勢2万が既に相模国境に来ております。さらに、上野国の上杉景虎様も自らの軍勢2万と上野国衆1万を合わせ3万の軍勢を率いて武蔵国に入ったと聞いております。小田原城と周辺には真田幸綱殿が率いる約3万の軍勢がおります。勝てるのですか、河越は寄せ集めの8万。今回は上杉家単独で8万」
「儂にどうしろと・・・」
「氏康殿とそのご一族はしばらく今川家で預かりといたします。その間、他の方たちは上杉家の監視下におかれます。どの様な結果となっても従っていただきます」
北条氏康はしばらくして深いため息をつく。
「もはやこれまでだな。雪斎殿、何卒北条家が存続できるようにお願い致す」
北条氏康は太原雪斎に頭を下げるのであった。
上杉晴景は駿河国今川義元の館を訪れていた。
これから冬に入ろうかという時期、空には青空が広がっていた。
越後は灰色の雲が空を覆っているか、雪が降り始める時期なのに、この駿河の地は眩しいほどの冬晴れだ。
冬の空の青さ。これだけは、どんなに土地を改良しようとも手に入れる事はできない。
案内された狭い茶室に今川義元と上杉晴景は二人だけでいた。
「義元殿、いろいろ面倒をかける」
「晴景殿もわざわざこの駿河国まで来ていただき申し訳ない」
狭い茶室の奥には掛け軸が掛けられ、他に飾り立てる物は無い。
今川義元が茶を立てている。
茶室の中には、茶筅を動かす音がするだけである。
そっと黒い茶碗を晴景の前に置く。
上杉晴景は今川義元の立てた茶を飲む。
「うまいな」
今川義元は嬉しそうな顔をする。
「さて、晴景殿。北条の件はどうされる。北条氏康に腹を切らせるのか」
「義元殿はどうする。いや、義元殿はどうあってほしい」
「大名としての立場で言うなら氏康は切腹させるのが筋だ。ただ個人的にはそこまでしたくは無い。甘いかもしれんが」
「なるほど」
「晴景殿はどうするつもりだ」
「北条家は相模一国とし嫡男新九郎が継ぐものとする。氏康、幻庵の両名は出家のうえ今川家預かり。今川家には迷惑料として北条の領地である伊豆国を割譲する」
今川義元は驚いていた。
「いいのか、氏康、幻庵に腹を切らせなくて、それに伊豆の割譲だが儂はただ仲介しただけだぞ」
「義元殿は自らを甘いと言われたが、儂も大甘な男だ。北条はうまく武田に乗せられた面もあるだろう。伊豆割譲は迷惑料だと言っただろう。その代わり二人をしっかり預かってくれ。これで北条は大名としては残るが力を持つことは無いだろう」
「貰い過ぎだが、分かった。二人はしっかりと預かろう」
「頼む」
「しかし、いつから北条の動きを捉えて策を練っていたのだ」
「策そのものは北条と武田が動き出してからだ。ただ、古河公方様の後継問題に手を貸したあたりから警戒を強めていた」
「北条も古河公方の後継に口を挟んだところで自分がなれるわけでも無かろう。だいたい、古河公方そのものがもはや飾りにすぎん。そんなものに執着したところで時間の無駄であろう」
「確かにもはや飾りだな」
「ならば、お主もなんでその飾りだけのものに手を貸したのだ」
「大した理由は無い。あえて言えば気まぐれか」
晴景の言葉を聞き、義元は笑い出した。
「ハハハハ・・・お主らしい。晴景殿。お主の怖いところは、無自覚にやったことがその後にとんでもない影響をもたらすところだ。この様なことは狙ってできんぞ」
今川義元の笑い声が茶室の中に響き渡るのであった。
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