第59話 相模の獅子

享禄3年6月(1530年)

扇谷上杉家当主の上杉朝興うえすぎともおきは、北条家に江戸城と岩槻城をすでに奪われてしまっており、勢力の衰退が著しい状態となっていた。

北条家は、徐々に扇谷上杉の版図を削り取り、北条の版図へと塗り替えながら扇谷上杉に圧力をかけている。

追い込まれつつあった扇谷上杉は、北条を追い払い領地と勢いを取り戻すべく五千の兵を率いて進んでいた。

上杉朝興の動きはすでに北条家の小田原城に届いていた。

上杉勢を迎え撃つために、北条家嫡男の北条氏康が五千の兵を率いて小沢原城に陣を構えていた。

北条氏康は初陣となる。昨年、15歳で元服して今年で16歳。後に北条家3代目となり北条家最大版図を築き上げる。

小沢原城の麓で戦いが始まる。

弓矢が飛び交い、双方の槍を持った足軽たちが鬨の声をあげ衝突する。

槍同士による激しい叩き合いが始まる。

槍同士の戦いは、槍で突くよりも、槍で叩く戦い方が多い。

徐々に北条勢が押され始める。

「上杉の弱兵相手に何をしている。攻めろ、攻めんか」

氏康は、足軽たちを叱責しながら、自ら槍を奮って戦いに加わる。

「お待ちください、危険です。お下がりください」

氏康の傅役である清水吉政しみずよしまさ、氏康の小姓である中島隼人佐なかじまはやとのすけが引き留めようとするが、振り切り戦列に加わって行った。

槍を振るい、何人もの足軽や武者たちを打ち倒していたところ、上杉側の槍が氏康の兜をかすり、槍の勢いで兜が落ちる。

そこに再び上杉方の槍が迫った。

かろうじて避けるが槍先が額をかすり額から失血する。

「「氏康様!」」

清水吉政と中島隼人佐が氏康の前に飛び出してきて、上杉方の足軽たちを切り捨てる。

氏康の首を取ろうとする上杉方の足軽。

氏康を守ろうとする北条方の足軽たちが入り乱れての乱戦となる。

「引け、引け。氏康様を守り小沢原城へ引き上げだ」

清水吉政は足軽たちに命じて撤退を始める。

額から血を流す氏康を守り、必死に槍を振り回す北条方の足軽たちの奮戦により、上杉方の追撃を防ぎながらどうにか氏康たちは城に戻ることができた。

すぐさま小沢原城の城門を固く閉ざして、どうにか追撃を防ぎ切ることができた。

すぐに氏康の額の傷の手当てが行われた。

「吉政、隼人佐。すまん。功を焦りすぎた・・・」

「傷は擦り傷。お気にされませんように、次に勝てば良いのです」

「傷のひとつや二つは戦の勲章でございます」

氏康は、叔父玄庵から戦に焦りは禁物。勝ちを焦るなと言われていたことを思い出していた。

『氏康殿、血気盛んは結構。だが、こちらの数が多いからと高を括ると思わぬ落とし穴があるものです。まず、しっかりと敵を知ることこそが大事ですぞ』

『敵を知るですか・・・』

『そうです。敵の数、勢い、伏兵、増援のある無し、どこが協力しているのかを知らねばなりません。勝ちを焦らぬことです』

尊敬する叔父の言葉を活かせなかった自らの不甲斐なさに腹が立ってくる。

次は必ずや勝つと心に誓う氏康であった。


夕刻近くになり物見の風魔の忍びが来た。

「氏康様、手ひどくやられた様ですな」

風魔の忍びが顔を隠していた布をとる。

「小太郎。お主が来てくれたのか」

風魔忍び頭領風魔小太郎であった。

「上杉朝興の軍勢は、ここより南西側で夜営をしております。先ほどの戦ですっかり勝戦のを信じており、上杉陣中は祝杯を上げております」

「祝杯をあげているのか」

「酒も飲んでいる様です」

しばらく、氏康は考え込んでいた。

「ならば、上杉が油断しているならそこを突くまで。吉政!隼人佐!これより夜討ちをかける。直ちに支度せい」

「「ハッ」」

「小太郎。敵陣付近で兵を隠しながら近づけるもしくは兵を隠せる場所はあるか」

「上杉の陣営近くに深くはありませぬが谷がございます。その谷が使えるかと」

「小太郎たち風魔は、百姓に扮して上杉陣営に酒を持ち込め、そして夜討ちに合わせ敵の見張りを全て倒せ」

「ハッ、承知」

北条勢は、夜討ちの準備を始めた。


雲の隙間から三日月が淡い光で照らす夜、周辺をよく知る家臣たちの案内で氏康たち北条勢は扇谷上杉の陣近くまで来ていた。

氏康の元に風魔小太郎がやって来た。

「扇谷上杉は、皆たっぷりと酒を飲み酔い潰れ寝ております。見張りも全て我が配下の忍びに入れ替わっております」

扇谷上杉の陣中は、幻の勝利の美酒に酔いしれすっかり寝込んでいるようだ。

勝利の美酒のつもりが末期まつごの酒になるとは知るまい。

「よし、扇谷上杉を蹴散らすぞ、行け!」

氏康の指示を受け北条勢が一斉に扇谷上杉の陣中に攻め込んだ。

すっかり酔い潰れていた扇谷上杉勢は応戦も出来ないまま次々に討たれていく。

それでも必死に応戦をする扇谷上杉勢。

北条勢の優勢の中、馬に乗る北条氏康が突如、敵の手勢の薄いところに向かい猛然と馬を走らせた。

慌てて後を追う清水吉政と中島隼人佐。

北条氏康は、追いついてきた清水吉政と中島隼人佐を左右に従え、片手で槍を振り回し駆けていく。敵陣に切り込んでいく三人を見た北条勢は、その三人を守るために三人の後を追いかけ扇谷上杉の陣になだれ込んでいく。

手薄のところから一気に攻め込まれ、慌てる扇谷上杉勢。

逃げ出す扇谷上杉勢に中に、ひときわ立派な甲冑を身につけている武者を見つけた氏康は、そこに向かって馬を走らせる。

数人の武者が立ちはだかる。

「お逃げ下さい。朝興様。ここは我らが・・」

「北条め、ここから先には行かせん」

大将をを逃すために立ちはだかる武者たちに、清水吉政、中島隼人佐が切り掛かり、道を切り開く。

切り開かれた道を氏康は突き進み、槍を力一杯突き出す。

逃げる武者に氏康の槍が肩に突き刺さるが、その敵将は必死に馬にしがみつき逃げていった。

「勝った!勝った!勝ったぞ!敵将上杉朝興は逃げたぞ」

北条氏康の声に扇谷上杉勢は一気に崩れて敗走した。

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