晴景東奔西走記 〜上杉謙信の兄に転生した男〜
大寿見真鳳
第1話 転生
「取引先に営業に行ってきます」
影山春樹はそう言うと営業所を出て,軽自動車の営業車に乗り込み車を発進させた。
新潟県内で食品の営業職として長年やってきた。今年で40歳になる。
身軽な一人暮らしで気ままに暮らしている。
休日になると,天気が良ければ海釣りをするか,上杉謙信の居城春日山城跡を訪れることが多い。歴史物が好きで,小説でもゲームでも戦国時代のものよく選ぶ,特に義将上杉謙信が大のお気に入りだ。
春日山城跡は標高180mあり,眺めがとても良い。
特に,雲ひとつ無い快晴の日は景色が抜群だ。
本丸跡から日本海や頸城平野,周辺の山々を見ていると戦国武将になったような気がしてくる。
週末はかなり天気が良さそだ春日山にでも行ってみるかと,考えていたら信号が赤になった。
信号で止まっていると対向車線をワゴン車が信号無視をして突っ込んできた。
そこに右側からのトラックの直進車が,交差点に入りワゴン車と追突。
勢いが止まらずトラックは斜めにこちらに向かってくる。
「ヤベ!!!」
慌てて車を発進させて避けようとしたが間に合わず,トラックは影山春樹の乗る運転席を直撃した。
激しい衝撃音と体に受ける強い衝撃。
影山春樹の意識はそこで途絶えた。
熱にうなされ意識が朦朧としていた。自分が誰なのかさえはっきりしない。目を開けると見慣れない天井があり,自分は横たわっていた。ここは,一体どこだ。
「定景様,お気づきになられましたか・・・良かった」
横に幼さの残る着物姿の女性が座っていた。
表情から安堵した表情が見える。
「志乃・・・すまぬ」
初めて会うはずなのに何故かその女性の名前が口をついて出てきた。
「3日も高熱を発して意識もなく寝込んでおられました。祝言を上げたばかりなのに後家にされては困ります」
穏やかな表情でそう言うと
「粥を持って参ります」
志乃はそう言って部屋を出て行った。
一人になると定景と呼ばれた男の記憶と令和の時代を生きた影山春樹の記憶。
二つの記憶が混じり合う。
影山春樹として生きた40年の記憶。
長尾定景として生きた15年の記憶。
影山春樹の記憶に長尾定景の記憶が吸収されたような感じだ。
長尾定景が病弱で高熱を発して死んだ瞬間,影山春樹の魂が入り込んだのだろうか。
これがファンタジー小説で言う逆行転生とか言うやつなのか。
ファンタジー小説なら、神様や天使が出てきて説明してくれるのだろうが誰も出てこないし、予言めいた声も聞こえてこない。試しに小声で‘’ステータス‘’と言ってみたがそんな画面が現れもせず。
さらに手のひらに意識を集め水をイメージして‘’ウォーター‘’と言ってみたがです訳もない。
これ以上,このことを考えても結論は出ないから,とりあえずこのことを考えることはやめよう。
それよりも,長尾定景が問題だ。
長尾定景は,上杉謙信の歳の離れた兄だ。親子と言っても通じるだろう。
やがて長尾晴景と名乗り父長尾為景の跡を継いで守護代となる。
父の為景は,ミスター下剋上とも言うべき存在であり,下剋上を自らやった人物。
父が掻き乱した越後国は,守護派,反守護派,為景派,反為景派,独立志向派などいろいろな勢力が入り乱れる混沌たる状態を示していた。
よく,晴景は病弱で暗愚だなどと言われるが,それは後世の人間が勝手に暗愚の像を作り上げたためらしい。病弱で戦嫌いではあるが巧みな外交を繰り広げ,戦によらずに越後国内を安定させ,反体制派の国人たちとも一定の関係を作ることに成功。騒乱状態を一時的ではあるが抑えるなど外交手腕に優れていた。
しかし,義理の父でもある
景虎も兄の期待応えようと奮戦し,見事な手腕で敵を撃退した。
今度は,景虎のあまりに見事な手腕に国人たちが騒ぎ出す。
景虎を長尾家当主にと!まだ13歳の若さ。神輿にすれば,うまくいけば自分たちの勢力を伸ばせると考える国人たちも多くいただろう。
国人たちの勢いは強く,国内を収め,戦乱を防ぐため,またこの時、病気でまともに政務も行えない状態だったこともあり、景虎に長尾家当主を譲ることにした。
謙信も兄のために頑張ったのに,結果として兄を苦しめることになり,複雑な思いだったろうと思う。謙信は後年、兄は病弱であったとしか語らなかった。
38歳で隠居して家督を譲り,五年後に死去する。
どうにかして生き延びて,謙信に家督を譲り,あとは楽隠居で長生きすることを目指そう。
謙信に家督を譲るまで死なぬようにして,可能なら謙信にもっと良い状態で家督を譲れるようにしよう。それができれば自分がもっと気楽に楽隠居できるだろう。
あとは,自分がこの時代に転生して大きく歴史が変わらないように願うしかないか。
そんなことを考えていると,勢いよく襖が開けられた。
「定景!気がついたか!」
大股で勢い良く入って来て横に座ったのは,父為景。
越後国の下剋上の実行者。前の越後守護,
下剋上の権化で国衆達には,強面の父だが長男の自分には何故かとても大甘だ。病弱だが廃嫡しようとは絶対しない。
こんな戦国乱世。当主が病弱では,たちまち他に飲み込まれてしまう。この時代なら病弱だけで廃嫡されても当たり前で、弟が嫡子とされる世の中だ。だが、何故かそうしない。そして,いつも自分にはとても優しい。
弟(のちの次男長尾景康)も兄思いのいいやつだ。
「高熱を発して寝込んだと聞いて心配したぞ。しかし,大事無くよかった」
「親父殿,申し訳ありません」
「お前は食が細い。もっと食え。そして体を鍛えろ」
「定景様,粥をお持ちしました。父上様,お忙しいのに申し訳ございません」
「志乃殿,気にするな。それより定景にもっともっと食わせてくれ,食わねば力が出ん」
笑う二人を見ているとこの笑顔を守りたい。
そう強く思わずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます