第3話  警察官の息子

2022年9月29日

V.3.1

平栗雅人



○ 玉虫のスーツ

  市内の別の中学に通うAと初めて遭遇したのは、中学3年生の時でした。

彼の不良行為が警官に見つかりそうになったのを助けたのですが、その時は一言も言葉を交わしませんでした。


  高校2年生のとき駅でばったり再会し、その日わたしが(渋谷のある暴走族主催の)パーティに行くといったところ、「ちょうどいい出物がある」と言って、(お礼の意味をこめて)スーツを私の家までバイクで届けてくれました(貸してくれた)。


  袋を開けてみると「玉虫織」。

  きらきら光る生地(織り方)で、もともとコートの裏生地などに使用されていたものを仕立てたスーツです。芸能人やその筋の方が着るようなもので、一般の人はまずこんなスーツを着ることはない。私も「パーティだからいいか」という気持ちと、何といっても成人式用のスーツをまだ購入していなかったこともあって、やむなく着ていったのです。

・・・

  パーティそのものは、開始1時間ほどで、新宿対渋谷の暴走族のケンカとなって、ビールの瓶や灰皿が飛び交い、大混乱。普段なら、これ幸いと一緒に騒ぎに飛び込むのですが、なにせ「借り物のスーツ」着用ですから、コーラの染み一つ付けるわけにもいきません。

  浅草の友人と外へ出て、喫茶店に寄り、そのまま帰りました。

・・・

  翌日、Aがスーツを引き取りに来た時、彼が「どうだった、受けたろう ?」というので、

  「まあな。渋谷の暴走族のやつらが、アイツ(平栗)はヤクザの舎弟(弟子・子分)なのか、とか、洋服に詳しい奴は、あの玉虫はかなりの上物だから30万円はする」なんて言ってたぜ、と言いました。

  そして、「お前、あんな危なっかしい物どこで手に入れたんだ」と聞くと「親父にもらった」と言う。


  「ええ! それじゃ、お前の親父ってのはヤクザか?」と驚くと、大笑いしてこう言うのです。「ヤクザじゃねえよ、マッポ(警察官)だよ」と。

・・・

  彼によると;

  ある日、親父が「お前にちょうどいいだろう」と言って、あのスーツをくれた。

  なんでも、あるヤクザの事務所へ手入れ(家宅捜査)に入った時に、幹部の部屋の衣装ダンスから「証拠品」「捜査関連資料」として「かっぱらって」きたのだと。

  一般の人にそんなことはできないが、相手はヤクザ。

  家宅捜査に入った捜査員に指一本触れれば「公務執行妨害」で即逮捕、あとで裁判所に訴えられることもない。万が一、そんなことをすれば、彼らの経営する夜の店をことごとく営業停止にして干からびさせる。

  ということで、儲かっている暴力団の組事務所は、警察にとって格好の餌食になるのだという。

・・・

  話は変わりますが;

  2015年頃か、埼玉県下で10歳の男の子が轢き逃げされて死亡した、という事件がありました。その時、亡くなった少年が腕に付けていた1万円のミッキーマウスの腕時計は「証拠物件」「捜査資料」として、所轄の警察署に保管された。


  結局、犯人は捕まらず、数年後時効を迎えた日、一人息子を失ったこの母子家庭の母親は、スーパーのレジ係りをしながらコツコツと貯めて誕生日にプレゼントし、子供が死ぬ瞬間まで身に付けていたこの腕時計を、大切な形見として受け取りに行きました。

  しかし、この大切な形見の品は、ついにお母さんの手元には戻りませんでした。

  警察署内で「紛失」した、というのです。

  母親は弁護士を通じて、再度この警察署に問い合わせたのですが、回答は同じだった。ということでした。その後のことはわかりません。


  そんな記事をネットで読んだ時、私は即座に「玉虫のスーツ」を思い出しました。

  証拠物件・捜査資料として警察が「保管」した時点で、この腕時計は署から「消えて」いたのではないか。亡くなった小学生の同級生が父親からのプレゼントとして腕にはめていたのかもしれません。


○ 食い逃げ事件

  2度あることは3度ある、といいますが、それから2週間後、駅前でバッタリ3回目の遭遇となった私たちは、それぞれのバイク(原付)で、となり駅の近くにある焼き鳥屋へ向かいました。

  酒に弱い私はコーラでしたが、彼はお銚子3本でかなり酔っていました。会計は自分が払うと言い張るので、表で待っていると、タバコを一本吸い終えるくらいしてから出てきた。

  そして、戸を閉めると、一呼吸おいてから、脱兎のように駆け出す。こちらも「蛇の道はヘビ」ですから、一緒になって50メーターほど走り、駐輪場のバイクに飛び乗って一目散に走り出す。

  何度か信号無視をしながら、2・3キロ走ったところで止まるので、事情を聞いてみた。  

  ケンカ好きらしいので、てっきり、危ない奴らともめてたのかと思いきや、単に、会計に店員がいない隙を見て、金を払わずに出てきた、と言います。

  「バカ、それじゃ食い逃げじゃねえか! 二度とあの店に行けないぞ」と叫んだのですが、「1年経てば時効だよ」なんて、さすが警察官の息子、罪を罪とも思っていない。


  「幽霊やお化けよりも、生きた人間のほうが怖い」という言葉がありますが、「ヤクザよりも怖い警察官(の息子)」というのは、現実に私が体験した「真の恐怖」でした。


○ 成人式

  大学2年生の時でしたか、市の公会堂で行われた成人式に出席しました。

  式典なんてのは退屈ですから、私は30分くらいで表に出て、タバコを吸っていました。すると、中学時代の不良仲間が集まってきて、さながら同窓会です。

  中学時代の同級生が「教育委員長の平栗なんていうおっさんが祝辞読んでたけど、あれ、お前と関係あんの?」なんて聞くので「叔父さんだよ」というと、結構受けました。「お前の叔父さんが、市の教育委員長かよ!」なんて、みんなで爆笑。すると、横にいたAが「親父じゃないぜ、叔父さんだろ、ほぼ無関係だぜ」なんて言うので、私は「お前の場合は・・・」なんて、心の中でつぶやきました。


  続けて、Aが言います。「さあてと、オレも二十歳になったんだから、バイクの免許でも取るかな」と。

  すると、そこにいた数人全員が「???」。

  そのうちの一人が「お前、だって高2の時から125cc乗ってなかった?」

  別の一人が「電車通学だとトラブルが多い(すぐケンカになる)から、身体がもたねえ」って言って、バイク通学にしたんだろ。」

  するとAが「正確には、1年の3学期からだけどな」とタバコの煙を吐き出しながら、軽く言います。


つまり;

  「電車通学だとケンカばかり増えて、警察に勤務する親父に迷惑がかかる。だから、親父にバイクを買わせて、無免許で乗っていた」ということでした。

  検問とか取締りがある時には、朝「今日はどこそこでやってるから迂回しろ」と教えてくれる、それでも、信号無視、スピード違反、等々、何かで捕まったときには親父の名刺を出すと見逃してくれる。そんなことは3年間で20回以上あった、ということでした。


  私は彼のことを知っていたので驚きませんでした。

  ただ、当時の悪ガキたちというか、社会の風潮として「汚ったねえな、ちくしょう!」と言ったきり、皆、別にそれ以上詮索もしないし、話題にもなりませんでした。

  警察なんてそんなもんだ、それが社会ってもんだ、と大らかだったのです。


  小学生の頃、親父の使いでタバコを買いに行くと、たまたま店に来ていた専売公社(現在のタバコ産業㈱)の職員が「タバコを吸うと、ヤニが保護膜になって虫歯にならないんだよ」なんていって、子供に喫煙を勧めていたくらいなんです。



  成人式の日、Aと私は久しぶりに例の焼き鳥屋へ行きました。

  そこでAはこんな話を私にしたのです。


○ 親父はAに絶対に警察官にはなるな、と言う。

  「親父さんは、若干の理想と、とりあえず飯を食うために警察官になったが、決して正義の味方なんかじゃない。それはお前(A)が一番よく知っているはずだ、と言うのだそうです。

  お前(A)は不良だったので、警察官の立場を使って色々助けざるを得なかったので、お前には話せるが、本来、子供に向かって自慢できるような職業ではない。」とも。


○ ところが、Aの弟や妹は警察官にあこがれているらしい。

  Aの母親は「運転免許センター」に勤めているのだそうですが、そこは各警察署で不祥事を起こした人間が行き、ほとぼりが冷めたころ、別の警察署に転勤になる、という人が多いらしい。

  Aの母親が言うには「警察官は多少の悪事をしても首にはならないし、Aの母親のように肉親にいい勤め口を世話してくれるし、弟が警察官になるのは賛成だ」と。

  A自身も、高校時代からかなり割りのいい、各種アルバイトを(親父さんの紹介で)していました。また、高校卒業後にAは就職したのですが、警察官が保証人ということで、すぐにいい就職先が決まったようでした。


  親父さんは、弟は仕方がないが、妹まで警察署に勤めたいというのには反対しているそうです。警察署内では、当時まだそんな言葉はなかったようですが「不倫」とか、偉いさんが女子職員を妾にしたりと、かなり乱れているのだそうです。


  もっと、いろいろな話を聞いたのですが、この辺にしておきます。


  私自身も、また、これを読まれる方(大学日本拳法人)にとっても大事なことは、

○ Aは誰にも言えないようなことを、私には、まるで兄弟に話すかのように淡々と語ってくれた。

  ということであり、それは私と言う人間が

○ 「口が堅い男」「嘘・はったりをやらない男」と思われていた、

ということです。

(実際、この話は聞いてから今まで50年近くの間、誰にも話したことはありません。今回、ここにあえて書いたのは、大学日本拳法をやられる方々に「警察の幻影」を見ている方がいたとしたら、一応、言っておくべきと思ったからです。)

  (人の進路・人生は人のものです。しかし、「(大切なことを)知っている者は、知らない者に言う義務がある」という、アメリカン・インディアンの言葉を私は支持します。)


  私という人間が、人を利用して自分(私)を大きく見せたり、箔(ハク)を付けたり、虚像を演出したりしない、素の人間であると、Aはあの時、私が彼を助けながら何も言わずに立ち去った瞬間に感じ取ったのだと思います。そうであればこそ、彼は誰にも話せないようなことを、淡々と私に洗いざらい話した、と思います。


  これは私が大学に入る前の中学時代のことであり、大学日本拳法とは何の関係もない頃の話です。ですが、私がそういう「素の人間」であったればそ、大学入学時、空手でも少林寺でもなく、日本拳法に魅力を感じたのだと思いますし、現在、大学日本拳法をやられている方たちも、大要、同じことを感じて日本拳法を選択されたのではないでしょうか。

  もちろん、空手や少林寺をやる人が「素ではない」ということではありません。私自身が、そういう意識を、特に60歳を過ぎてから強く感じるようになったということです。



○ 私にとっての大学日本拳法の魅力

  これは40年前ではなく最近になって気づいたことなのですが、どうも、「寸止め」というのは、そのシステム上、どうしても「カッコを付け」ざるを得ない。審判に見せるという「演技」を、その要素として発揮する必要があるように見える。

  40年前の私は、その若さゆえに尚更、寸止めではなくストレートにガツンと、本気でぶん殴れる日本拳法にしたのだと思います。


  そして、40年前に私が大学日本拳法に対して抱いた「素の」イメージは、例えば、2019年11月の総合選手権における青学・大熊さんの、どんな相手に対しても、前に出てガツン・ガツンとパンチをぶち込む、素直で真面目な拳法や、2021年7月の立教・高橋さんと青学・桃香さんとの「ガチンコ対決」 → ゴジラとキング・ギドラの死闘のような、ものすごい熱戦に、現実の姿となって復活したのです。


  私が憧れていた姿を、何十年も経った今、私とは何の関係もない人たち(しかも女性)の中に見い出せた、という幸運。

  女性とはいえ、私より余程、鍛錬に鍛錬を重ね、強く洗練された戦い方と闘志を持つ人たちに、自分ができなかったけれども「これが大学日本拳法」という姿を見ることができた幸福。

  あの「明治の木村」でさえ、その強さとか技術云々よりも、彼の持つ嘘はったりのない、ストレートな闘志と直向(ひたむき)な真面目さ(という人間性・徳性・品性)を見れるという点にこそ、私にとっての大きな価値があるのです。


2022年9月29日

V.3.1

平栗雅人

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