第4話 「存在を書く その2 顔立ちってどこまで書けばいいの?」

 では顔立ちはどうでしょうか。

 書かない人が多いのですが、本当に書かないほうがよいのでしょうか。

 これがなかなかに難しい。

 「顔立ちの違いで人物を書き分けられるほど、小説は細かく書かない」ものだからです。

 絵や写真ならそれを見るだけで顔立ちの違いは一目瞭然。

 だから絵や写真があるなら細かく書く必要なんてありません。





書かなければのっぺらぼうなのか

 「書いたものは存在し、書いていないものは存在しない。」

 であれば、顔立ちを書かなければのっぺらぼうなのかと思われかねませんね。

 この場合、書かなければ「特徴のない顔立ち」になります。

 なので、特徴のない平均的なのであれば、取り立てて顔立ちを書く必要はありません。

 たとえば、韓国人の顔はどれも同じに見えることってありますよね。

 差異を書くから差別化できるのであって、どれも同じに見えるのなら差異なんて見つけられません。それなら詳しく書く必要がないのです。


 異世界ファンタジーでも異民族は同じ顔に見えて当たり前なので、顔立ちを書く必要はまずないでしょう。異民族の中にわが民族の人間が混じっていれば、その人だけがとくに浮いて見えるはずです。

 その場合は他と差異があるので、顔立ちを書く必要も出てきます。

 周りと同じなら書く必要はなく、差異があれば書く。

 それだけで書く、書かないの基準になりますね。





どこまで細かく書くべきなのか

 では小説で顔立ちをどこまで書くべきでしょうか。

 たとえば「一の字眉に一重まぶたで彫りが深く、鷲鼻で大きな口、豊かな口ひげをたくわえている。」と書いたとします。

 これ、どこまで顔立ちの差別化ができると思いますか?

 この小説に兄弟姉妹などの血縁者が大量に出てくると、ほぼ同じ顔立ちの人だらけになります。

 そしてここに挙げた六点の特徴で書き分けるのは、読み手にこのキャラクターの顔立ちを知らせるのに有効なのか。

 そもそも、平均的な顔立ちがわからない以上、どれが「平均的な」もので、省ける要素なのかもわかりません。


 もちろんすべてが特異なので書かなければならないと思うでしょう。

 しかし六つも特徴があると、どうしても文章によく書くパーツと一回しか書かないパーツに分かれてしまいます。一回しか書かないパーツを改めて書く必要はありませんよね。その要素で差別化ができていないのですから。

 顔立ちは、特徴的なものをひとつから三つ程度に絞っておくと、差異が出しやすくなります。

 もちろん主人公が最も特徴的である必要があります。

 主人公が凡百では顔立ちが書けませんからね。





顔立ちに特徴があるのは主人公と相手役だけでもじゅうぶん

 他の人が凡百でもいっこうにかまわないのですが、主人公はできるかぎり顔立ちに特徴を持たせたほうが有利です。

 顔立ちに特徴があると、映像化したときに差別化しやすい。

 これは脳内で顔立ちをイメージするときにも働きます。

 たとえば「氷蒼の瞳」という特徴を主人公に持たせると、他の人とは違うので「氷蒼の瞳」が主人公の代名詞になります。

 もしその一族が代々「氷蒼の瞳」であるのなら、一族の代名詞になりますよね。

 「ふっくらとした唇」という表現で美女を演出するのも昔からの伝統ですが、これも作中にひとりでじゅうぶんです。ふたりも三人も「ふっくらとした唇」では差別化できません。

 人物の書き分けもできないので、描くならひとりに絞りましょう。

 このように顔立ちに特徴を持たせるのは、主人公と相手役(恋愛ものなら異性、バトルものなら敵)のふたりに絞ると物語が映えます。





身振り手振りやしぐさを書く

 身振り手振りやしぐさなど、話しながら体を動かす場合も、その動きを書くと人物を特定しやすくなります。

 とくに性格がわかりやすいですし、動きのクセも描けるからです。

 絵や写真では動きは表現できません。

 しかし小説は実際には目に見えないものの、その動きを書けるのです。

 なにかをしながらしゃべっている。

 それだけで書くべきものが増えます。

 そして身振り手振りやしぐさに感情が表れやすく、「心を描く」のに向いています。

 もちろん身振り手振りやしぐさで感情を表すには、ノンバーバル・コミュニケーションに詳しくなければ難しい。

 ですが、しぐさの書籍を一冊買ってでも、ノンバーバル・コミュニケーションについて知っておくと、途端に書いている小説が深くなります。


 「心を描く」で「俺はイライラした。」「私はホッとした。」なんて書かずに、「思わず貧乏ゆすりをした。」「肩の力が抜けた。」のような動作で伝えられると、よりスマートに読み手へ「心を伝えられます」。

 しぐさで伝わる感情は、意外と万国共通なものが多いですし、マンガやアニメ、ドラマや映画になったときに映像化しやすいという利点もあります。

 単に「僕は喜んだ。」と書かずに「僕は何度も飛び跳ねた。」と書いたほうが「心を描く」趣旨に沿います。

 なんでもかんでも「喜怒哀楽」の単語で描くよりも、身振り手振りやしぐさで描くのです。

 小説が上手な人ほど、身振り手振りやしぐさをしっかり使って書いています。





あとがき

 今回は「存在を書く その2 顔立ちってどこまで書けばいいの?」について述べました。

 登場人物すべてを特徴的な顔立ちにしてしまう方もいらっしゃいます。

 ですが、それだと全員が重要な人物に見えてしまいます。

 それほど重要でなければ、とくに顔立ちで差別化を図らないようにしましょう。

 また「心を描く」ときに、身振り手振りやしぐさを交えるようにすると、格段に表現が豊かになります。

 しぐさから感情を読み取ることを「ノンバーバル(非言語)・コミュニケーション」と言います。

 顔のしぐさから手足のしぐさ、胴体のしぐさまで。

 感情を直接書かずにしぐさで示す。

 これができると文章の質が確実に上がります。

 書籍を買って勉強してもよいですし、ドラマや映画などで俳優の演技から盗んでもよいでしょう。




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