第35話 話のうまい人
話のうまい人と、話がつまらない人の違いは何か。
オチの出来とか、流れとか、リズムとか、色々とあるんだろうけど、話がうまい人に共通するのは「話を聴く側の立場」をよく理解してるって事なんだろうね。
たとえば「会議でAさんとBさんが大喧嘩した事」を「同僚」に話す。
これはすごく簡単だよね。AさんとBさんのキャラも日頃の関係性も、みんな知ってるから。でも社外の無関係の人に話す時は、色々と付け加えたり省いたり、脚色しなきゃいけない。話がうまい人ほど、このメンツあのメンツ、ともだち、家族、聴く側に何が必要か不要かをそのつど判断して、理解しやすく面白くなるように調整してる。
逆に、いつも話し方が一辺倒で自分の視座だけで話したいように話す人は、やがて「あの人の話はおもしろくない」という定評が出来上がる。何かを話し始めても、また独演会が始まるぞ……と悟られ、途中でさり気なく話題を変えられたり、あるいはぶった斬られる。忘年会なんかでは、その人の周りだけ人が寄り付かない。
これは小説を書くにおいても、当てはまるよね。
「読者」にとって「作者」の満足は関係ない。知ったことじゃない。
ミステリーでも、読者を翻弄するためのミスリードも度が過ぎると「読者おちょくっとんのか?」ってなる。作者だけ悦に入ってる状態が透けて見えて、読者は白ける。物語の中で説明が必要な事柄も、度が過ぎるとひけらかしになる。凝ったつもりの暗喩も読者に伝わらないなら自己陶酔にしかならない。
自分本位で読者の事を考えず「アマチュアは好きなように書くんじゃああ! 好きを詰め込むんじゃああ!」で書いてれば、読者は寄り付かない。「自己満足ですので」と正当化してみても、本音の読まれたいという気持ちが矛盾した宣伝行為に走らせる。本当に自己満足のためなら公開などしない、まして宣伝などしない。
「読者側の視点」に立つというのは、とてもとても難しい事だけど、それに努めてる人の小説は、アマチュアだろうと多くの読者を獲得する。カクヨムにも、そんな人がたくさんいるように。
小説を書く時、「読者側の立場を想像する努力」を大切にしたいね。
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