第3話 異聞寺優
「最初に話しかけられてから振り向くまでに、一分五十七秒もかかった。俺が殺人犯なら、今頃お前は殺されているな。背中を一押しだ。そんなことではこれからが困る。もっと周囲に気を配れ、マヌケ。そもそもお前は―」
「ストップ。ストップ。スト~ップ。え、話すの初めてだよね? どうしてこんなにディスられてるの?」
何なんだ、こいつ。初めて話す相手から、これだけ罵声を浴びせられる意味が分からない。僕が何をしたって言うんだ。っていうか背後に気をつけろって、どんだけ物騒な大学に通ってるんだよ!
目の前の男をキッと睨む。生まれてこの方二十一年。こんなにも失礼で嫌みな奴と出会ったのは、生まれて初めてだよ。どんな顔をしているのか、見てやろうじゃないか。
男の顔を覗き込む。背が高いな。百八十以上はあるか。腹が立ってきた。む、顔も良いな。少しだけ長い茶髪の奥に、キリッとした瞳、形の良い口と鼻。死ぬほど腹が立ってきた。いくら背が高くて顔が良いからって、こんな嫌みな性格じゃ、絶対にモテないだろうけどな。・・・・・・あれ。よく見たらこの顔、どこかで見たことあるぞ。
「も、もしかして、あの異聞寺優?」
「さっきの男はどう見えた」
「は? 名前を聞いてるんだけど」
返事はなし。ただ、じっと見つめてくるだけ。いや、睨んできてる。背が高いから、威圧感が凄い。手に持ってる大きな鞄のせいで、怪しさ抜群。質問してるのに答えてくれない不親切さ。話しかけてきたのはそっちなのに、会話する気ある?
異聞寺優。他学部の僕でも知っているほどの有名人。入学してから今までずっと、理学部の首席に立っている三年生。意外にも、授業には真面目に出席しているらしい。身長と顔で目立つから、大学内で何度か擦れ違ったのを覚えている。
顔と頭が良く、身長が高い。どう考えてもモテる要素しかないのに、そういった噂がないのはどうしてだろうって思っていた。でも、実際に喋ってみて、よ~く分かった。こいつとは関わりたくない、絶対に。
適当に答えて帰ろう。眠いし。
「どうもこうもないよ。普通の人間に見えた。あっ、普通の人間って言ったのは、この場所で幽霊の噂が―」
「その根拠は」
「へ?」
根拠だって? そんなことを知ってどうするんだろう。頭の良い人間の考えることは理解できないな。
「言っても良いけど、理解でき―」
「早く言え」
「か、体が赤黒く発光してないから? これは、幽れ―」
「成功だな」
異聞寺がふんっと鼻を鳴らす。それも、三回も僕の言葉を遮って。質問してきたくせに、最後まで話を聞かないのは失礼すぎる。こいつ、どういう教育を受けてきたんだよ。それに、「優しい」で「優」って、どう考えても名前負けしてるだろ。親御さんが可哀そうだ。
異聞寺は目を細めた。元々細かった目が、さらに細くなる。
「異聞寺優で合っている」
「それを今答えるのか? 聞いた時に答えてよ」
「お前の質問に答えたんだから、いつでも良いだろう」
その、やってやったのに、みたいな顔が腹立つ。上から目線すぎる。何様だよ。はぁ、ダメだ。会話が通じない。意思疎通ができない。言葉のやり取りになってない。こういう存在が一番嫌なんだ。怖いし、関わりたくない。
「あのさぁ、会話をするなら名前で呼んで。『お前』は名前じゃないから。僕の名前は―」
「視条院零だろ。知っている。これで良いな? 明日の、いや今日か。夜七時に、この大学の体育館前に来い。以上だ。明日に備えて帰るぞ」
一方的に捲し立て、エレベーターの方に体を向けた。異聞寺の背中が会話を拒絶している。だとしても、大人しく「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいかない。こいつには聞きたいことが山ほどある。
異聞寺の態度にムカついたから、その腹いせに、シャツを力いっぱい引っ張ってやった。前からぐっと、くぐもった声が聞こえる。振り向いた異聞寺が口を開く前に、先制攻撃。
「引っ張ってから振り向くまでの時間は、四十三秒。三十秒以上経った時点で、かかり過ぎなんじゃない? 僕が殺人犯なら、首を絞めて殺されているよ。周囲には気をつけてね、異聞寺」
ふふ~んと、鼻を鳴らして勝利を確信した。異聞寺の驚いた顔と言ったら、傑作だね。写真に収めてやりたいくらいだよ。まぁ、こいつの写真なんていらないから撮らないけどね。
「・・・・・・はははっ」
「おい、どうし・・・・・・ひっ」
異聞寺の顔を見て、思わず数歩下がった。正確には、下がろうとしたところで窓にぶつかった。えっと、そんなに面白いことは言ってないよね。
何がそんなにお気に召したのか分からない。分からないが、しばらくの間、顔を抑えて笑い続けていた。やっぱり、会話が成立しない相手は怖い。早く帰りたい。
ひとしきり笑って満足したのか、異聞寺は最初の表情に戻った。
「ははっ。気に入ったよ。俺と組むんだから、これくらいはやってくれないとな。良いだろう。どんな質問にも答えてやるさ。ただし、明日だ。俺はもう疲れた。十五時に理学部の三階に来い。数井田教授の研究室だ」
「君が疲れたから明日って、どれだけ我儘なんよ。それに、数井田教授の研究室へ行っても使えないでしょ。邪魔になっちゃう」
僕はまた、異聞寺のツボに入ることを言ったらしい。ひとしきり笑った後、極悪人顔負けの素敵な笑顔で教えてくれた。イケメンが台無しだな。
「数井田教授は俺の成績を大層喜んでくれてな。いない間は、好きに使っても良いと言ってくれた。ゼミから優秀な研究をした生徒が出ると、教授の株は上がりまくりだ。ほら、もう良いだろう。帰るぞ」
「教授がそんなこと言うかな。君の成績が飛びぬけて良いのは事実だから、嘘ではない気がしなくもないけど」
首を傾げて唸っていると、痺れを切らした異聞寺に大きな溜息をつかれた。
「はぁ。もう良いだろう。早くしてくれないか。まさか文学部にいて、日本語が理解できないわけじゃないだろうな。俺はそんな奴と組む気はない」
そう偉そうに吐き捨てると、エレベーターまで歩いていった。しょうがないので、急いで異聞寺を追いかける。本当に自分勝手な奴。友達一人もいないタイプでしょ、あれは。
あ~、ムカつくッ!!
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