第2話 遭遇
今は六月上旬。蒸し暑さが感じられる季節。暑いし、暗いし、あと眠い。
電車通学だから、大学周辺のお店を渡り歩いて時間を潰した。家にいる弟や妹が心配だけど、大丈夫かな。
警備員に見つかると思っていたから、あっさり侵入できたのは幸運だった。あとは、目の前にある文学部棟の学習室に行くだけ。幽霊に遭ったら、人前に出てこないでって交渉してみるか。声は聞こえないけど、口の動きを見て、それっぽく会話を進めればいい。
「よし、行くぞ」
文学部棟の中には、人っ子一人いない。音が聞こえなければ、気配も感じない。
スマホを開き、時間を確認する。一時四十五分。幽霊が出るまで、あと十五分。建物の中は暗いから、スマホのライトで歩くしかない。ここだけ電気が点いていたら怪しまれる。わざわざこんな時間に来たんだ。警備員に捕まって調査できなかった、では困る。
学習室は文学部棟の最上階、五階にある。エレベーターを使うくらいは、大丈夫だと思いたい。体力のない僕としては、調査をする前に階段を上るのだけは避けたい。幽霊に遭えって言われるより、五階まで階段を使えって言われる方が怖い。
エレベーターのボタンを押す。扉が中央から左右に開き、小さな空間が現れた。そっとエレベーターに乗って、五階のボタンを押す。大きな音を立てて上がっている間、誰にも気づかれませんようにとひたすら祈っていた。
「無事に到着」
エレベーターから降り、フロア内を見渡す。文学部棟はそこまで大きな建物ではない。そのため、一フロアがそれほど広くないのだ。五階は学習室しかないので、エレベーターから降りたら、そこが目的地になっている。
机と椅子は、所狭しと並べられている。飲み物とパンの自販機は、フロアの端に二つずつ。奥にはガラス張りの小さな会議室があり、予約をすれば誰でも使える。
学習室内を見渡せる椅子に座り、二時になるのを待つ。幽霊の類は怖くない。それに、和夫の話も半信半疑だ。ただ、幽霊の特徴を言い当てたことは気になる。もちろん、僕自身は誰にもその話をしていない。霊感がない人にも視えてしまうほど、怨念の強い幽霊なのか。それとも、幽霊が視える人に特徴を聞いたのか。
再びスマホを開いて、時間を確認する。あと一分。心の中で、五十九、五十八、と順番にカウントダウンする。視線は学習室の奥から離さない。
「ゼロ」
ピッタリ深夜二時。椅子から立ち上がり、学習室の奥を凝視する。コツ、コツ、と革靴の音が響いてきた。お年寄りがゆっくり歩くような音。・・・・・・え、革靴だって?
「誰かいますかーっ!」
左手を口にあて、やまびこの要領で呼びかける。右手にスマホを持ち、その光を音の方へと向ける。スマホを右へ左へと動かし、光の真ん中に影が浮かび上がるのを待つ。
「和夫の話は本当だったんだ」
疑って悪かったという気持ちより、幽霊の顔を、口元を、何よりも早く見たいと思った。少しでも意思疎通を図るためには、口の動きを見るしかない。幽霊は何を考えて、どうしてここにいるのか。
幽霊はのそのそとした足取りで動いている。このままでは逃げられる。幽霊に近づくため、エレベーター近くの椅子から部屋の奥へと移動する。しかし、幽霊の動きが速くなった。
「待って。そこの幽霊さん、待って下さ~いっ!」
呼びかけに応じてくれる素直な幽霊かは分からないが、何もしないよりはマシだろう。走りながら、何度か呼びかけてみる。
追いかけながら叫ばれて、止まる人間はまずいない。それは、幽霊も同じらしい。ある意味、一つ学習できた。
追いついたと思ったのも虚しく、幽霊は窓からいなくなった。念のために、と窓から見下ろしてみる。スマホのライトを向けてみた。周辺の花壇や茂みが、人型に凹んでいるようには見えない。誰かが落ちた形跡は感じられなかった。暗がりだから断言はできないが、見間違いはないと思う。
五階の窓から消えた。それだけで、人間だとは思えない。和夫は、幽霊の周りが赤黒く発光していた、と言った。それは幽霊の特徴とピッタリ一致する。
おかしくないか? だって、今僕が見た「ナニカ」は、赤黒く発光していなかった。
スーツを着ている男性で、体を曲げていた。これは和夫の話通り。それなのに、「体が赤黒く発光している」という証言が一致していない。これは、「幽霊と生者を区別する特徴」だ。肝心の特徴がブレていたら、話しにならない。あの「ナニカ」は、本当に幽霊だったのかな?
「騙された、のかなぁ」
「誰に騙されたって?」
「同来和夫っていう僕の友達。心配して、わざわざ深夜に来たのが無駄になった。もう絶交してやる」
「それは賢明な判断だな。付き合う人間は選ぶべきだ」
「だよねぇ・・・・・・ぇ、え? ん? んんん???」
いやいやいやいや、僕は誰と喋ってるんだ? 幽霊の声は聞こえないはず。となると、消去法で人間? でも、深夜二時だぞ。こんな時間に大学に来る物好きがいるのか。
振り向くことができず、窓の下にある手すりを握りしめる。確実に誰かが立っていて、喋りかけてきている。どうするか。答えは一つ。握りしめていた手すりを離し、体を半回転させた。
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