第1話 友達:同来和夫の証言

 ここは、界位大学のカフェテラス。お昼時なのもあって、周りの席は全て埋まっている。一人で食べる者もいれば、友達と食べる者もいる。ガヤガヤとした喧騒は、大学にあるカフェテラスの醍醐味だ。

「はぁ~。大会まで、あと二カ月だぜ。この日がきて欲しいような、きて欲しくないような」

「どっちつかずだね」

 目の前で呻いている友人、同来和夫の言葉に苦笑する。和夫は教育学部に通う三年生で、僕とは高校からの付き合い。大学のバスケ部に所属している期待のエース。一年生でスタメン入りし、今でも試合で活躍している。小学生の頃からバスケをやっており、中学では優勝チームのスタメンだったらしい。そのお陰でモテているが、本人は全く気づいていない。

「本当に引退しちゃうの? せめて、冬の大会までは続けたら」

 未練がましい顔をする友人には、この言葉を送るしかない。

これから始まる就活と実習のため、夏の大会で引退すると話は聞いていた。周りは説得したが、バスケを続ける気はないらしい。

「悪ぃな。また弱音吐いちまった。実習も就活も本気で頑張りたいんだよ。俺はいくつものことを同時にできないからな。せめて、二つには絞らないと」

「意外に真面目だよね」

「意外は余計だよ」

 顔を見合わせて笑い合う。一緒にいる時は、大体こんな感じ。緩い会話をダラダラと続けるのが丁度良い。

 あまりにも和夫が将来について考えているから、自分と比べて輝いているように見える。三年生でありながら、卒業後にどうしたいのかが決まっていない。そんな自分に焦りを感じていた。

 一人でセンチメンタルになっていてもしょうがない。

「お昼に誘ってきたのは、弱音を吐きたかったから? 珍しくカフェテリアに来たがってたし」

「いやぁ・・・・・・」

 和夫にしては珍しく、妙に歯切れが悪い。どうしたんだろう。相談したいことがあるって言ったのはそっちだ。呼び出しておいて、言いづらいってことはないよね。

 何度か視線を彷徨わせて、やっと和夫は口を開いた。

「信じてもらえないと思うけど、幽霊を視たんだよ」

「・・・・・・え?」

 幽霊を見ただって? まさか、和夫にも霊感があったのか?

 物心がついた時から、幽霊や妖怪などの「人ではないナニカ」が視える。残念ながら、声を聞くことはできない。これでは、必要な会話をすることができない。だから、「ナニカ」の姿が視えたら、口元をじっと見るようにしていた。動く口さえ見ていれば、言いたいことが何となく分かる。会話ができない。意思疎通が図れない。これが一番困る。だから、声が聞こえない分、口の動きで伝えたいことを知りたいと思った。

 幽霊の場合、基本的に見た目は生者と同じ。顔があって、胴体があって、手があって、足があって。欠損している幽霊もいるが、それは生前に失くしたんだと思う。幽霊になってから消えたわけじゃない。人間と違うところと言えば、体の周りかな。幽霊の体の周り、輪郭は、赤黒く発光している。だから、はっきり視えていても、生者と間違えることはない。

 今も、ほら。和夫とカフェテリアに来た時、気づいたら僕の後ろに立っていた。肩までの黒髪で、ロングスカートを履いた女の子。身長は百五十くらいかな? 体の周りが赤黒く発光しているから、確実に幽霊だ。何か喋るわけでもなく、じっと後ろに立っている。声が聞こえないから、実際は喋っているかが分からない。女の子の幽霊に気づいてからは、何度か振り返って口元を確認していた。でも、動いていなかった。少なくとも、僕が振り返った時は何も喋ってない。

 考えることに意識を使っていたせいで、返事を忘れていた。不安になった和夫が顔を覗き込んでくる。

「信じられない、よな」

 いつもは元気な友人が、不安から暗い表情になっていた。助けて欲しいと縋るような視線。言葉の最後には、顔が下がっていた。

「ごめん、ぼーっとしてた。和夫が言うなら信じるよ。幽霊を視たんでしょ」

 僕の一声で、バッと顔を上げた。短い髪が、顔の動きに合わせて舞う。

「ありがとう」

 大口を開けて笑う和夫を見て、ほっとした。こいつに元気がないと、こっちの調子まで狂う。

 僕以外にも姿が視えたという幽霊。霊感のない人にも視えるタイプなのか、全部が作り話でからかっているだけなのか。

 和夫は身を乗り出して小声になった。

「零って文学部で合ってるよな」

「そうだけど、それが何?」

「あれ? 知らないんだ」

 不思議そうな顔をされても困る。思い返してみても、文学部に幽霊の目撃情報はなかったはず。幽霊の噂だったら、すぐに広まるだろうし。

「文学部棟の五階に学習室があるだろ。深夜二時にそこへ行くと、幽霊を見られるんだ」

「へぇ。知らなかったよ。和夫はその幽霊を見たってこと? どんな姿だった?」

 机から身を乗り出し、和夫に詰め寄る。その勢いで飲み物が零れそうになった。グラスの中で、紅茶の波立つ音がする。

「聞く気になってくれたのは嬉しいけど、落ち着けよ」

「そ、そうだよね。ごめん」

 前のめりになった体を元に戻し、大人しく椅子に座る。カフェテリア内が騒々しいお陰で、大声を聞かれずに済んだ。冷静になると、ちょっと恥ずかしい。

 僕の考えていることに気づいたのか、和夫はふっと笑った。

「一昨日の夜、深夜二時に、文学部棟の学習室へ行ったんだよ。噂を確かめてやろうと思ってな。怖かったけど、一人で行ったぜ。大人数だと幽霊も出にくいと思ってさ」

「要らない配慮だね」

「その配慮あっての幽霊との遭遇だぞ」

 我が友人ながら、どういう感覚なんだと言ってやりたくなる。そもそも、大人数だと幽霊は出にくい、ということはない。現に、人間で溢れかえっているこの場所にも幽霊は立っている。ちらっと振り返ってみたが、口元は全く動いていない。

 和夫は大物ぶった咳払いをした。

「シ~ンと静まり返る学習室。その奥に向かって、ゆっくりゆっくり歩いていく」

「突然の小説口調」

「良いだろ!? 最後までツッコまずに聞いてくれ」

「そう思うなら、最後まで真面目に説明してくれ」

 大笑いしている和夫を見て、本当に相談しに来たのかと疑いたくなった。悩んでいる人間の態度じゃない。頭が痛くなってきたぞ。

「奥に歩いてく途中、机の前をナニカが横切った。ススス~っとな。スーツを着て背中を丸めた、男の幽霊だったと思う。生気のない感じだったし。恥ずかしい話、結構ビビっちまったんだ。大声を上げて、大慌てで帰ったよ。

あれから、あの幽霊が気になってさ。零は、幽霊とか怖くない派だろ。だから、文学部棟の幽霊が何なのか、確かめてきて欲しいんだ」

 恥ずかしそうに頭を掻く和夫は、僕の意見を求めるように黙り込んだ。期待を寄せてもらえるのは有難いが、これだけでは判断のしようがない。アレは最後に質問するとして、まずは幽霊の特徴について考えてみよう。

 ここは大学だ。スーツを着た男の人なら大勢いる。教授に就活生、外部からのお客さんに事務の人。たまたま誰かがいて、見間違えたのかもしれない。

「男の人の顔は見たことあった?」

「一度もないな」

「教授とか就活生っぽかったとか」

「それもない」

 これは困った。でも、仮に見たことある男の人だったとして、その時間に学習室で何をしていたのかって問題も残る。ここは、その幽霊に会いに行く方が良いのかもしれない。和夫とお茶を飲みながら話していたって、正体が分かるわけじゃない。

「今日にでも学習室に行ってみるよ。深夜二時だったね」

「ホントかっ!? 助かるぜ~。危ないから、気をつけて行けよ」

 和夫は一安心といった顔で、胸を撫でおろしている。安心しきったところを見ると、よっぽど怖かったのかもしれない。友達の助けになれるのなら、深夜の大学に忍び込むくらい、どうってことない。

「最後に一つ、聞いておきたいことがあるんだけど」

「何でも聞いてくれよ。もっと細かく話した方が良いか。俺の文才で」

「また小説口調になる気か。勝手に手ごたえを感じるな」

 僕が見に行くからって、態度が大きくなっているな。それに、なぜ小説口調の説明でいけると思った。

 グラスに入った紅茶を数回揺らす。薄茶色の液体が、ゆらゆらと波を立てる。

「和夫が見たっていうスーツの幽霊。生きている人間と違うところってあった?」

「違うところって、どういう意味だ」

 首を傾げる和夫に、どう説明したもんかと頭を悩ませた。「赤黒く発光していた」という幽霊の特徴を、和夫の口から言ってほしい。言えなければ、スーツの男は人間だ、とこの場で判断できる。

「う~ん。例えば、腕がもげても動いていた、みたいな。人間には無理でしょ」

「分かりやすい例えだけど怖ぇよ。大きな怪我くらいにしてくれ」

 最もな意見に、どうしてこんな例えにしてしまったのか、と不思議に思えてきた。最近、幽霊の存在を間近に感じる機会が増えたから、疲れてるのかも。

 悩んでいた和夫の顔が明るくなる。

「あっ、一個思い出したわ」

「本当に? それ、それを教えて。会った時に困りたくはないからさ」

 友達を疑うのは心苦しいが、ちょっと信用できない。幽霊の存在を否定しているわけではない。からかうつもりで騙しているのか、人間を見間違えただけなのか。正直、この二択だと思っている。

 だから、この答えは予想していなかった。

「幽霊の周りが、赤黒く光ってた。あれは、電気やライトの光じゃないと思うぜ」

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