2-10


「キャナリー。預けたけんがあるだろう。それをここに、持ってきてくれ」

「汚れが気になるの? 昨日、小川で洗っておいたから、綺麗だと思うわ」


「そんなことまでしてくれていたのか、きみは」

「ええ。あっ……でも、騎士きしの剣に勝手に触るのはいけないって、子爵家で習ったかも。ダグラス王国では、騎士に会う機会がなくって忘れていたわ。もしかしたらジェラルドって騎士? いけないことをしていたら、ごめんなさい」


「いや。きみならば、まったく問題ない」

「そ、そう? じゃあ、よかった」


 キャナリーは顔の熱が収まってほしいと念じつつ、戸口の傍に立てかけていた、大きな黒塗りの鞘に入った剣を取りに行く。


「重たいわよねえ。よくこれを振ったりできるわ」


 言いながら持っていくと、ジェラルドはベッドから、少しふらつきながらも降りた。

 そのまま、ジェラルドはすらりと剣を鞘から抜く。


「えっ! 何をするつもり?」


 びっくりしているキャナリーの正面に立ったジェラルドの頭が、急にストンと低くなる。 キャナリーの前に、ひざまずいたのだ。


「ジェラルド……?」


 呆気あっけに取られていると、青い瞳がこちらを見つめて言う。


「この剣のつかを、両手で持ってほしい」

「わ、わかったわ。でもいったい、どういうこと?」


 尋ねるキャナリーを見上げ、ジェラルドは静かにつぶやいた。



「風も水も土も火も聞け。我は今この剣を持つ者を主とし、忠誠をちかう。この約束たがえた時は、その四つの威力いりょくをもってして、我をばっすべし」



 動揺しているキャナリーに、冷静にジェラルドは続けた。


「キャナリー。剣を受け取った、と言ってくれ。それから、柄を額につけて」

「えっ。……け、剣を、受け取った……」


 キャナリーは言われたとおり、次に剣を持ち上げて、柄の部分を軽く額につけた。

 一瞬いっしゅん、パッ、と目の前が明るくなった気がする。


「今のは何? ……これでいいの? はい、返すわよ」


 物騒ぶっそうなものを持っているのが怖くて、キャナリーは急いでジェラルドに剣を渡した。

 ジェラルドは妙に嬉しそうに、剣を鞘へと仕舞しまう。


「キャナリー。今の一連のやりとりは、『剣の誓い』だ。国によって正式な作法に違いはある。けれど騎士も戦士も、剣をあつかう者にとって、この誓いは神聖なものだ」

「初めて知ったわ。ええと、それを誓うとどうなるの?」


 混乱しているキャナリーに、ジェラルドは微笑む。


「つまり、俺の剣の主は、きみということだ。危険があった時には、俺は何よりもまず、キャナリーを守るという約束だよ」

「そ、そう、なの」


 キャナリーはどう返事をしていいか、どんな態度を取ればいいのか、わからなかった。


「でも、あの、そうだわ! それじゃあ私も、なるべくジェラルドを守るようにするわね。一方的なのって、不公平でしょ?」


 キャナリーの言葉に、ジェラルドは白い歯を見せた。


面白おもしろいなあ、きみは。本当に、これまでこんな女性に会ったのは初めてだ」


 事態がみ込めないままのキャナリーだったが、気に入ってくれたらしい、というのは理解できる。


「それは、お友達と思っていいっていうこと?」

「そうだな。当面はそれでいいことにしよう」

「当面?」


 それはとりあえず今は、という意味だろうか。先々は違うのだろうか。

 どうも時々ジェラルドの言うことは、遠回しでよくわからない。

 けれど、はっきりわかっていることがある。それは明日から、一人きりになるということだ。途端にキャナリーは、これからの先の厳しい生活を思い浮かべ、目をせる。


「……でも、せっかくお友達になったのに寂しいわね。体力が戻ったら、明日くらいにはここをつんでしょう?」


 たった二日ではあるが、ジェラルドと過ごした時間はとても楽しかった。

 忙しく駆け回ったおかげで、将来の悩みや不安を忘れられていた、というのもある。

 しかし一人になったらそれに加えて、一気にラミアがいなくなってしまった悲しさや、孤独こどく感が襲ってくるだろう。

 その心細さをぐっと堪えて、キャナリー笑みを作って言う。


「どうか気を付けてね。もしもまたこの付近に来ることがあれば、いつでも家へ寄っていって。精一杯せいいっぱいもてなすわ」

「キャナリー。……俺と一緒にいてほしい」


 えっ? と、突然のことに目が点になる。

 お別れの言葉を言ったのに、「一緒にいてほしい」と真逆の応えが返ってきたのだ。

 言葉の意味に戸惑っているキャナリーの腕を、ジェラルドは急に引いた。



「──俺と一緒にいてくれ……」



 ぽすん、とジェラルドの胸にき寄せられ、低く甘い声でそうささやかれたキャナリーは、ひたすらうろたえ続けてしまう。

 何しろ、異性にこんなふうに抱き締められるどころか、手をにぎられたこともない。


(どどっ、どうしたの、ジェラルド。っていうか抱き締められたからって、なんで私、頭がぐるぐるしているの。キツネやウサギを抱っこした時には、ほっこりするだけなのに)


「まっ、待って! あの、えっと、こんなふうにされると、苦しくて」


 苦しいのは、本当だった。なぜか胸を突きやぶってしまいそうなほど、心臓がばくんばくんと暴れている。頭がぼーっとするほど熱いし、言葉も上手く出てこない。

 混乱して両手を厚い胸板むないたに突っ張ろうとすると、ようやくジェラルドの腕の力がゆるむ。

 キャナリーは、そっとジェラルドの胸を押すようにして、抱擁ほうようから抜け出した。

 ジェラルドは、心配そうに瞳をらしてこちらを見つめる。


「驚かせてごめん。しかし、どうしても我が剣は、きみにささげたかったんだ。こんなにまで信頼しんらいできる女性とは、もう出会えないと思ったからね。むろん、どうしても迷惑だと言うならば……精霊にそむばつは、俺だけが受ければ済む話だが」

「そんな。違うの、迷惑だなんて、全然思ってないわ。ちょっとびっくりしただけ」


 まだ胸はバクバクしているし、首から上が全部熱くて頭がちゃんと働かない。

 旅の同行という、急な申し出に即座そくざには返事ができず、キャナリーは考え込む。

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