2-9


 ***



 午後になると、もうすっかり元気になったからと、アルヴィンがこのあたりの様子を見てくると言って出て行った。

 キャナリーはジェラルドにお茶をれる。


「おちゃ菓子がしが、何もなくってごめんなさいね。前なら保存用のジャムが壺に四つあったんだけど。この家に戻ることは滅多にないと思って、子爵家へ行く時に、全部食べてしまったの」


 あの壺よ、とキャナリーは空っぽになった馬の頭くらいの大きさの陶器とうきを指差した。


「ええと、キャナリー。ずいぶんと大きな壺だと思うんだが」

「そうなの、たっぷり入るのよ」


「あの壺四つに入ったジャムを?」

「そうよ、ベリーが二つと、オレンジと、こけもも」


「全部きみ一人でたいらげたのか?」

「ええ。美味しかったわあ」


 思い出してうっとりしていると、くす、と小さくジェラルドが笑った。


「食いしん坊なんだな、きみは」

「えっ。そ、そう? まあ確かに、食べることは好きよ」


 少し恥ずかしく思いつつ認めると、ジェラルドは、すまなそうな顔になる。


「だというのに、食料を分けてもらって申し訳ない。このポットのお茶だって、貴重なのだろう? よかったら、きみも一緒いっしょに飲んでくれ」


 本当なら、長く留守にして汚れた部屋を早く掃除そうじしたかったのだが、どちらにしてもお客さんがいては、埃を立てられない。

 それにジェラルドと話すのは楽しいと感じていたので、キャナリーは素直に従って、ベッドの傍でお茶を飲むことにする。

 改めてまじまじとジェラルドを見たキャナリーは、思わず感嘆かんたんの声を出してしまった。


「窓からの光に銀髪が光ってる。それに瞳が本当に、宝石みたいに青くて綺麗ね……」


 するとジェラルドは、なぜか慌てたような様子になった。


「そ、そうか? 俺の家族はだいたいそうなので、自分では何も思わなかったが。そんなふうに言われると、嬉しいものだな。ありがとう」

「お礼を言われるようなことじゃないわよ」


 キャナリーは思わずくすくす笑う。


「きみこそ、キャナリー。つややかな黒髪くろかみがとても綺麗だ。それに俺は、きみの暖かな瞳が、その……す、好きなんだ」


 えっ、と今度はキャナリーが慌ててしまった。


「ほっ、本当? 私も嬉しいわ、そんなふうに言ってもらえると」


 ジェラルドと話していると、不思議と顔が熱くなることが多い。

 そんなキャナリーに、なおもジェラルドは言う。


「そしてきみの声も。昨晩の子守歌は、胸のしんから癒される思いがした。それだけじゃない。食事も、何もかも……こんな穏やかな日々は初めてだ。ずっと続けていたいと、俺は思った。──この先、ずっと……年老いても、いつまでも」


 わあ、とキャナリーはすっかり嬉しくなって、両手で頬を押さえた。


「私、自分の歌で迷惑めいわくをかけたせいで自信をなくして、とても落ち込んでいたのよ。でもジェラルドがそんなに褒めてくれて嬉しい」


 キャナリーの言葉にジェラルドは、なぜか緊張きんちょうした面持おももちになる。


「……キャナリー。きみは十六歳だったな。もしかして、もう恋人こいびとはいるのか? あるいは、かわわしてはいないが、心に決めた相手は」


 それはどういう意味だろう、とキャナリーは考え込んでしまう。


「なぜそんなことを聞くの? 私はずっと、ラミアと二人でここにいたのよ?」


 キャナリーは薬でめ尽くされた、古くて狭い室内を、ぐるっと指差した。


「王立歌唱団に、男性はいなかったし。それに貴族の男性は、誰も私なんて目に入らなかったみたい」


 するとジェラルドは、表情をなごませる。


「そうか、それならいい。焦る必要はないわけだな。しかしバカな男どもだ。……ところで、きみの淹れたお茶はすごく美味しいな。料理も上手だし」

「そう? ラミアに木の枝でたたかれながら、きたえられたかいがあったわ」


 笑って答えるキャナリーに、ジェラルドも苦笑くしょうした。


「いろいろな意味で、すごい人だったみたいだな、きみの育ての親は。昨日はあまりよく見られなかったが、外に薬草園もあったようだ」


「ええ。ラミアはどこかの国の生まれらしいんだけれど、そこでは薬草に詳しいと、魔女まじょと呼ばれてつかまったり、いやがらせをされたりすることもあったんですって。ひどい時は、牢屋ろうやに入れられたそうよ。ここはどの国にも属していない森だし、近くのダグラス王国は、薬草が一番の特産品でしょう? 悪く言う人もいなくて暮らしやすいから、この森に住んだらしいわ」


「ダグラス王国といえば、腹痛の白い丸薬、頭痛の黒い粉薬、で有名だからな」

「有名なのはそのふたつね。でも睡眠薬すいみんやくや化膿止めだってよく効くのよ」


 得意げに胸を張ってから、小さくいきをつく。


「まあ、追放された身だからもうダグラス王国で商売はできないんだけどね」


 今後のかせぎについても、キャナリーはどうしようかと頭をなやませていた。

 森に帰ってきたのはいいが、どう生活するかは改めて考えていかなければならない。


「きみの才能をかさないなんて、国にとって損失だろうにおろかなことだ。特別に田畑の土が良いわけでも、軍事力があるわけでもない王国が豊かなのは、薬のおかげだろう。それに、ゴーレムが出ない」

「そんなに他の国は、その怪物に酷い目にっているの? こっちに来なくてよかった。だってダグラス王国の王族だと不安だもの」


 キャナリーはあの、甘ったれた王太子の顔を思い出し、げんなりして言った。


「その怪物を倒せるのは、魔法だけって言ってたわよね。令嬢の歌にちょっと魔力があるくらいじゃ、とても無理でしょう? だったら王族が魔法で戦うことになるんでしょうけど、あそこの王族たちには無理よ。なのに、そんな怪物が来たら……」


 言いながら心配になってきたキャナリーは、ジェラルドの方を向いてハッとした。

 深く青い瞳が、ひたとキャナリーを見つめていたからだ。

 どういうわけかまたしても、首から上がぼわっと熱くなってくる。


「ええと、あの、ジェラルド?」

「きみのことは、俺が守る」


 低い、真剣な声で言われるうちに、心臓の鼓動こどうが早くなってきた。


「そ、そう言ってくれるのは嬉しいけれど。でも、ずっとここに、あなたにいてもらうわけにもいかないし、こん棒もほうきもあるから、怪物くらい私が一人で」


 焦りながら説明していると、真剣だったジェラルドの表情が、ふっと和んだ。

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