2-8


「この人は、俺の命の恩人だ。どこの誰ともわからない俺たちを助け、家に入れ、寝床ねどこゆずり、自らの服を破って包帯にし、薬を調合して治療を施し、危険をいとわず深夜の森で水を汲み、ろくに眠りもせずに看病をし、食料を提供し、服を洗ってくれたのだぞ! そして感謝を求めるどころか、それを当たり前だと言い、何ひとつとして、こちらに要求しようとしない。……これまでの人生で出会った中で、いや、おそらくこの先の人生においても、一番素晴すばらしい女性だと俺は思う!」



 力強く熱弁を振るわれ、そこまで感謝してくれているのか、とキャナリーはすっかり照れてしまった。人にめられるのは初めてで、どうしたらよいのかわからない。

 そんなに言ってくれるなら、もっとたくさんキノコを採ってくればよかった。


「べ、別に、そんな、おおげさよ。二人とも、 悪い人には思えなかったし」

「それだけではない。では呼び捨てにさせてもらうが、キャナリー……」


 ジェラルドは一度言葉を切り、青い瞳をキャナリーに向ける。


「俺は昨晩、目は閉じていたが、痛みでなかなか寝つけなかった。ところが、きみの優しい、とおるような歌声を聞いた途端、すーっと苦痛が収まっていったんだ。アルヴィンも、そうらしい」

「私の、歌?」

「ええ。先ほどお話ししようとしたのは、そのことなのです」


 テーブルにつきながらアルヴィンも言う。


「椅子でうつらうつらしながら、子守歌を耳にするうちに、打撲の鈍痛どんつうが消え、いつの間にか眠っておりました」


 関係ないわよ、とキャナリーは照れるのを通りして、少し呆れてしまう。


「昨日話したとおり、私の歌は披露会で、地震を起こしたのよ。今回は違う歌だから大丈夫だったみたいだけど……。子守歌は昨晩みたいにラミアにいつも歌っていたから、この歌だけでも地震の魔法が発動しないようでよかったわ」


 ほっとしつつキャナリーは言うが、ジェラルドは難しい顔になった。

 やがてアルヴィンが、思いがけないことを聞いてくる。


「その、ラミアさんという方は、かなりお年をしていたのですよね。持病などは、なかったのですか?」


 ううん、とキャナリーはラミアとの日々を思い出す。


「そうね。私が物心ついた時には、もうおばあちゃんだったから、曲がった腰が痛いとか、目がかすむ、とはよく言っていたわ。歯もなかったし。でも何しろ薬作りの名人だから、すごく長生きだと自慢じまんしていたけれど」

「きみが物心ついた時に、すでにそんなご高齢こうれいだったのか?」


 ジェラルドの問いに、キャナリーはうなずく。


「おばあちゃんていくつなの? って初めて聞いたのが、私が十歳くらいだったかしら。その時、ちょうど百歳じゃよ、って言われてお祝いしたのを覚えてるわ」



「「百歳?」」



 二人は同時に叫ぶ。


「待ってくれ。ラミアさんがくなったのは?」

「今から、一年半くらい前よ。私が十四歳のころ」

「キャナリーが十歳の時に、百歳。では、亡くなったのは百四歳ということか」


 ジェラルドとアルヴィンは、顔を見合わせる。


「そんな! 信じられません。我が国に記録してある、歴史の中の最高齢が、 先々代国王の九十八歳です。延命の魔法でも使える者がいたら、別だったでしょうが。そのような癒しや回復魔法が使える者がいるとしたら、伝説の大聖女くらいです」


 そうなの? とキャナリーは驚く。人の寿命じゅみょうがどれくらいなのか、知る機会がなかったのだ。

 子爵家の家庭教師からは、基本は上流階級の令嬢れいじょうとしての行儀ぎょうぎ作法と言葉ことばづかい、それに簡単な王国史、教養のための詩や芸術を習うばかりで、そんなことは教えてくれなかった。


「自分が歌うようになったのは、何歳くらいか覚えているかい、キャナリー」


 なんでそんなことを聞くのだろう、と思いつつキャナリーは答える。


「え、ええと、そうね。ああ、思い出したわ。木こりのおじさんに、森のけの歌だよ、って教えてもらった歌があったの。ラミアがそのころずっと毎日寝込んでしまって、初めて一人で水汲みに行った時。確か四歳くらいだったわ。覚えたての歌が嬉しくて、毎日のように歌ったものよ」


「寝込んだ後、ラミアさんは回復されたのか?」

「ええ、あの時は。いつの間にかすっかり元気になって。私が養女に行く前の年までは、キノコ採りにも行ってたわ」


 ということは、とジェラルドは、重要なことを打ち明けるように言う。


「キャナリーがあかぼうの時に、ラミアさんは九十歳。長生きとはいえ。すでに身体はあちこち弱っていた。そして九十四歳で寝込む。もしかしたら、そのまま天寿てんじゅをまっとうする可能性もあったかもしれない。その時四歳のキャナリーが、歌を歌い始めた。そしてラミアさんは回復して元気になり、さらに十年近く生き百四歳という驚くべき年齢ねんれいに達した」


 で? とキャナリーがきょとんとしていると、アルヴィンがガタン! と音をさせて席を立つ。


「そ、それでは、やはり推測どおりキャナリーさんの歌に、治癒や回復の魔力が秘められていると? だとしたらそれは、とんでもない魔力の持ち主ということですよ!」

「ないない、それはないわ」


 キャナリーは思わず、笑ってしまった。


「言ったでしょう? 私の歌に魔力はあるにはあるみたいだけれど、目覚めの儀式でも、何も感じなかったし」

「自分で気がついていないだけで、実はとっくに魔法に覚醒かくせいしていたから、儀式ぎしきでは何も感じなかった、という可能性もあるぞ。昨晩もその前も、この家で歌っていた時に、地震など起きなかったじゃないか」


「あれは別の歌だったから、魔力がのらなかったのかもしれないわよ。それにダグラス王国には地震って、ほとんどないって聞いてるわ。少なくとも、王国の歴史書に記載きさいがないそうよ。いくらなんでもそんな滅多めったにないことが、私が歌うと同時に起こったなんて偶然ぐうぜんは、あり得ないと思うの」

「もしかしたら、地震を起こす魔法ではないのかもしれないですよ」


 アルヴィンの言葉に、キャナリーはびっくりしてしまう。


「地震が起こったのは本当よ? それに何種類もの魔法が使えることなんてあるわけないじゃない」


 歌姫うたひめで覚醒した魔力持ちが使える魔法は、一種類と決まっている。

 笑いを含んだ声で言ったが、ジェラルドは妙に真剣しんけんな顔をアルヴィンに向ける。


「たしかに王族以外では何種類もの魔法を使えることはない。だがアルヴィン、何かそう感じるのか?」

「はい。微妙びみょうに事態が変わったと感じます。国内に入れば、もっと詳しいことがわかるのではないかと思いますが」


 まさかグラス王国に用事がある人々なのか、とキャナリーは察する。

 商用か、それとも交流のある貴族がいるのか。

 自分の魔法に、ダグラス王国――空気が変わるのをキャナリーは感じていたのだった。

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