2-7


「ありがとう、キャナリーさん。ジェラルド様、このご様子でしたら、もう一晩こちらで休息されれば、森を移動できる体力になるのではないですか」


 ここに来たばかりの時は、二人とも回復には数日かかる状態だったが、この治りの速さならなんとかなりそうだ。

 異例の治癒ちゆ速度に驚きはすれど、仲間と早めに合流できそうだと感じたらしいジェラルドは、ほっと安堵あんどした顔になる。


「そうだな。では、キャナリーさん。もう一日我々がとどまることを、許してもらえるだろうか」


 もちろんよ、とキャナリーは微笑む。


「洗濯物も乾いてないし、どうぞそうしてくださいな。キノコのスープにきないならね」

「飽きるどころか、毎日でも食べたいくらいだ。ただ、きみがしてくれることの負担を思うと、どうにも心苦しい」

「何を言ってるの」


 キャナリーは半分あきれて、ジェラルドに言う。


「助けた人が元気になったら嬉しいから、私は少し手を貸しただけ。自分の満足のためにしていることよ。だから心苦しいなんて、見当けんとうちがいだわ」


 キャナリーが言うとジェラルドは、ハッとしたようにこちらを見た。


「きみは……見ず知らずの人間を救って、そんなふうに思うのか? 見返りも求めず、恩に着せもせず」


 意味がよくわからず、キャナリーは肩をすくめた。


「どこかおかしい? だとしたらきっと、森で育つとそうなるのよ」


 キャナリーのその言葉に、ジェラルドの深く青い瞳が、木漏こもを反射した泉のようにきらめいた。

 それには気づかず、キャナリーは窓を見て微笑む。


「あら。こっちにもお客さんだわ」


 窓の向こうでキツネがこちらを見ていた。

 朝ごはんのおすそ分けとして、木の実を持って行こうと台所へ行く。

 その間、キャナリーはなんとなく背中にジェラルドの視線を、ずっと感じていた。


(よっぽど奇妙きみょうむすめだと思われちゃったかな)


 だとしたら残念だけれど、これが自分だから仕方ない。そう思ったキャナリーは、ん? と首を傾げる。


(残念? なんでかしら。旅の人にどう思われても、どうでもいいはずなのに)


 自分の感覚にまどったキャナリーだが、考えてもわからなかった。




 朝食後、またもキャナリーは彼らの昼と夜の食材を調達しに、森の中を駆け回った。

 キノコや山菜だけでなく、果実、木の実、食べられる様々な野草や根菜。

 幸い実りの季節であったのと、長く手付かずの状態だったので、たくさん収穫しゅうかくできた。

 けれど一年を通してとなると、気候によってはまったく収穫できないし、ラミアとならば保存食にして半月は、ほそぼそと食いつなぐ分量だ。

 戻ると乾いた洗濯物を取り込み、ジェラルドの傷の様子を診ることにしたのだが。


「もう本当に大丈夫だ。不思議なことだが、治ってしまったらしい」


 シャツを脱がせようとしたジェラルドに、やんわりと断られ、キャナリーは眉を寄せる。


「どうしたの? まさか痛くなったのを、隠したりしていないわよね?」

「い、いや。自分でもう、しっかりと確認したんだ。それに、つまり、レディの前でそう何度も素肌すはだを見せるものではない、と思い始めて」


 確かにキャナリーもなぜか今朝、シャツの前を開いたジェラルドを目にして、みょうにドキドキしてしまったのを思い出す。


「でも、あの、治療が上手くいったかどうか、確認だけはしなくっちゃ」

「だっ、だめだ!」


 シャツのボタンに伸ばしたキャナリーの両手首を、ジェラルドがパッとつかんだ。


「……ジェラルドさん?」


 首をかしげて彼と目を合わせると、ジェラルドはハッとしたような顔をした。

けれどなぜか手は掴んだままで、わずかに力がめられる。


「キャナリーさん……」


 今までとは違う、どこか甘さを含んだ声で名前を呼ばれ、ぼぼぼっ、とキャナリーは自分の顔が火照ほてるのを感じた。

 掴まれた手首も、妙に熱い。

 何か言おうと口を開いたが、言葉がなかなか出てこなかった。


(い、いきなりどうしたんだろう、ジェラルドさん……)



 そのまま沈黙ちんもくが長く続き、キャナリーがうろたえると、ガタン、と扉の開く音がした。


「キャナリーさーん! 水はどこに置けばいいですかー?」


 水を汲みに行っていたアルヴィンが戻ってきたのだ。

 彼の声が聞こえた途端、ジェラルドの手が離れる。


「え、あ、水瓶の横に置いておいてください!」


 照れ隠しのようにキャナリーも大声で返すと、アルヴィンが水を置いて部屋に入ってきた。


「……何かありましたか?」


 アルヴィンは赤くなっている二人を、不思議そうに見た。


「なっ、なんでもないです!」

「そうですか? あ、そうだ、キャナリーさん。私たちの回復の早さについて、ジェラルド様とお話しして、思い当たることがありましたよ」

「え? あっ、ちょっと待って、その前に」


 名前を呼ばれ、キャナリーはこれまで感じていた、違和感いわかんを口にする。


「お話に入る前に、お願いがあるの。多分だけどジェラルドさんも、アルヴィンさんも、本当なら敬語を使って、『様』をつけなくてはならない人たちでしょう?」


 その言葉にジェラルドは、とんでもないという顔をした。


「もしそうだとしても、この家の主は、キャナリーさんだ。つまりこの場ではきみが一番偉い。そんなづかいはしなくていい」

「いいえ、それだけじゃなくて、としだって、ジェラルドさんたちのほうが上だと思うわ。 ちなみに私は、十六歳」

「俺は十九歳、アルヴィンは二十歳はたちだ」


 でしょ? とキャナリーはさらに言う。


「だから、私に『さん』なんてつけなくていいわ。キャナリーって呼んでください。なんだか、あんまり丁寧にされると、背中がもぞもぞかゆくなってくるの」


するとジェラルドは、きょとんとしてから、ははっと笑い声をあげた。


「痒いのはよくないな。それなら俺のことも、ジェラルドと呼び捨てでいい。いや、ぜひそうしてくれ」

「ジェラルド様!」


 アルヴィンが悲鳴のような声を出した。


「私はともかく、ジェラルド様を呼び捨てとは、あまりに無礼、いや、不敬……」

「アルヴィン」


 吸い込まれそうな、濃い青い瞳がちらりとアルヴィンを見てから、キャナリーに向けられる。

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