2-5



 やがて夜がけて、そろそろねむくなってきたけれど、ランプのはつけたままにしておくことにする。

 もし夜中に、ジェラルドの体調に変化があったりした時、すぐに様子を見られたほうがいいと思ったのだ。

 長旅で、相当疲れていたのだろう。

 ベッドの足元の椅子で、アルヴィンは首を垂れ、眠ったようだ。

 ジェラルドも目は閉じていたが、時折苦しそうな声を出して、あらい息をついた。


「……痛みのせいで、眠れないのね」


 屋根裏で眠るのはやめ、そばに付きって様子を見守ろう、とキャナリーは決めた。

 そっと額に触れると、傷のせいか、熱も高くなっている。

 キャナリーは冷たい水を求めて、泉に走った。

 戻ってきて枕元まくらもとに近づけた、だい代わりにしている丸太にキャナリーが座ると、ジェラルドはうすく目を開く。


「今しがた、扉の音がしたが」

「ええ。水を汲みに行っていたの。留守にしていたから、水瓶は空っぽだし、いっぱいにするにはまだ何往復か必要だわ。ともかく、あなたの額を冷やさなくちゃ。熱が出ているもの」


 熱にうるんだジェラルドの瞳が、驚いたように見開かれた。


「もう、深夜だろう? 外に行くなんて、危険すぎる」

「平気よ。慣れているから」


「しかし夜の森を、一人で歩くなんて」

「走ってきたもの」


 安心させるようにキャナリーは笑って、冷たい水に布をひたし、ぎゅっと絞った。


「ちょっと、失礼するわね」


 キャナリーは、汗にれたジェラルドの前髪まえがみを、指先でそっとよけた。

 それからやさしく首や顔の汗をぬぐい、ひんやりした布で額を覆うと、ジェラルドは気持ちよさそうに目を閉じる。


「どう。少しは眠れそう?」

「ああ。だが、キャナリーさん。これでは、きみが眠れないだろう」

「平気よ。私、元気だけが取りだから」


「しかし頼む。もう夜の森には出て行かないでくれ。逆に心配で、眠れなくなってしまう」

「それはよくないわね。わかったわ」


 キャナリーは椅子を、枕元にさらに近づけた。


「それに具合が悪い時って、誰かいないと不安になるものね。私はもう朝まで、どこにも行かないわ。こうしてあなたの傍に、ずっといます。だから、どうか安心して眠って」


 そう言うキャナリーを、ジェラルドは不思議な生き物を見るかのように見つめてくる。


(旅先で大怪我をしたら、心細くなっても無理はないわ)


 キャナリーはそう考えて、もう一度額の布を、冷たいものに取り換えた。

 そしてジェラルドが目を閉じたのを見計らい、かすかな声で、静かにもり歌を口ずさむ。

 ラミアがよく寝る前に、聞かせてくれとせがんだ歌だ。



「あおきつき ひかりのもと こよいはしずか ねむれゆうれい けもの ようまのすべて すうすうねむれ ほしをまくらに」



 ジェラルドの苦しそうだった表情は、安心したものになり、やがてうっとりしたようにおだやかなものになっていたのだが。

 あっ、とキャナリーは口を押さえた。


(大変っ! 歌っちゃいけなかったのに。……でも、なんともないわね。ひょっとして、違う歌なら大丈夫なのかしら?)


 様子をうかがいながらも三番目まで歌うと、その途中で、ジェラルドはようやくすこやかな寝息ねいきを立て始めた。


(よかった。眠れたみたいね)


 キャナリーもジェラルドの体温の伝わる毛布にして、いつの間にかうとうとしてしまった。



 ***



 ふと気が付くと、窓の外がうすあかるい。

 小鳥たちの声が聞こえ、夜明けがきたことを知ったキャナリーは、そっと身を起こした。

 ジェラルドはまだ眠っていて、その額から布を取り、そっと触れてみる。


(熱は下がったみたい。もう大丈夫だわ)


 キャナリーは急いでかごを持って外へ行き、キノコや木の実を集め始める。


「あら、おはよう、小鳥さんたち」


 朝の早い鳥たちが、キャナリーの回りに集まって、肩や頭に止まってさえずった。


可愛かわいい声。それに空気が冷たくて気持ちいい。やっぱりいいなあ、森の暮らしは。あさつゆに濡れた緑の、なんていい香り)


 キャナリーは深呼吸をして、朝の森の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 しかし、ゆっくりはしていられない。

 朝食の支度したくをしなくてはならないからだ。

 水もまだ足りないので、大きな水瓶をいっぱいにするべく何度か泉を往復するうちに、裏木戸が開いた。


「おはようございます、キャナリーさん。早くから働かせてしまって、申し訳ありません。よろしければ、お手伝いさせてください」


 それはアルヴィンだった。

 この人もジェラルドほどではないにしろ、昨日は青白い顔をして、やつれて見えた。

 しかし今朝は、よく眠れたのか顔色がよく、目にも光が戻っている。


「おはようございます。それならかまどの火を見ていてくださいな。私、ジェラルドさんの血で汚れた服や道具を、川で洗ってきますから」

「そんなことまでしていただけるのですか。もう、水も冷たい季節でしょうに」


「ここで生まれ育った者としては、川の冷たさには慣れっこよ。さあ、私のことは気にしないで、かまどをお願い」

「わかりました、お安い御用ごようです」


 アルヴィンは了承りょうしょうして、かまどの番をしてくれた。

 その間にキャナリーは大きな籠に、ジェラルドとアルヴィンの、血と泥で汚れたシャツや、治療に使った布を入れてかかえる。

 そして飲み水にはできないけれど、生活用水として使っている小川で、ざぶざぶと洗濯せんたくを始めた。

 これも洗ったほうがいいかな、と大剣たいけんも持ってきたのだが、正解だった。

 刃先はさきには、なんだかよくわからない液体が付着して、すごく汚れていたからだ。


(うわあ。べったりとくっついたこれは、何かしら)


 もしかしたらこれがゴーレムという怪物かいぶつの、体液なのかもしれない。

 そんなことを想像したら、背中にぞくっと悪寒おかんが走った。

 明日まで放っておいたら固まって、容易にさやからけなくなってしまっただろう。

 朝の光を水面に反射させ、さらさらと心地ここちよい音をさせて流れる小川は、そんな汚れを浄化じょうかするように、洗い落としてくれた。

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