第二章 森で皇子を拾いました

2-1



「ああー! み切った空気! と土のいいにおい! 私、帰ってきたんだわ!」


 ぐーっとキャナリーは両手を上げ、うでばした。

 どうやら自分で思っていた以上に、貴族社会での暮らしはキャナリーをしばり、窮屈きゅうくつに感じさせていたらしかった。


「でもまさか私の歌で、地響じひびきが起こるなんてね。自分でもおどろいちゃった」


 それを考えると落ち込むより、むしろ笑ってしまった。

 ともあれすべては関係のないことだ。

 キャナリーはじょう機嫌きげんになり、なつかしい家を目指して再び歩き出す。


(貴族向けのお料理やデザートが、もう食べられないことにだけは、正直、ちょっとだけ未練があるなあ。でも久しぶりのここでの食事も楽しみ)


 もう旅行かばんのケーキもチーズも、九割は食べてしまっていたが、ここから先はキャナリーの庭だ。

 どの辺りの樹にどんな果実がなり、キノコの群生地があり、美味おいしい水のく泉があるのか、よく知っている。

 キャナリーは大好きな森へと帰ってきた喜びで、いっぱいだった。

 窮屈なくつぎ、鞄を持っていない方の手で持つと、裸足はだしで歩いた。

 いずれは着ている外出着もろとも、どこかに売りに行こうと思っているので、捨てたりはしない。

 すう、と息を吸い込むたびに、懐かしい緑のい香りが胸にみた。

 と、ちょろちょろと、枝の間を跳ねながら、こちらへ近寄って来る者たちがいる。


「あら、おむかえしてくれたのね! ただいま、帰ってきたわよ」


 それはふかふかとした毛の長い、この辺りにたくさん住んでいるリスだった。


「ふふ、耳をかじっちゃ駄目だめよ、くすぐったいじゃない」


 二ひきのリスが足元からけのぼってきて、かたの回りをうろうろし、笑いながら手に乗せて遊んでいると、別の方向から何者かが、走って来る足音が聞こえた。


「キューン!」

「あなたもお出迎えに来てくれたの。久しぶり、元気にしてた? 前に怪我けがしたところはちゃんと治ったみたいね、よかった」


 駆け寄ってきたのは、ホウキのような立派な尻尾しっぽをしたキツネだ。

 倒木とうぼくで傷つけた足を薬草で治療ちりょうしたことがあるのだが、お礼に美味しいキノコの生えている場所を、教えてもらえるようになった。

 頭をで、ふかふかの尻尾の手触てざわりを楽しんでから、キャナリーは再び荷物を手にする。


「今日は何も持ってないけれど、ジャムを作ったらご馳走ちそうするわ。今年もたくさん実を付けそうな果樹を教えてちょうだい」


 だれかが待ってくれている。そう思うだけで、キャナリーの心は温かくなる。

 実はもうラミアがいないことにさびしさを覚えていたのだが、森の動物たちのおかげでいやされた。

 ところが、みんなで懐かしいラミアの家に向かっていると、急にキツネが足を止め、その耳がぴくっと動いた。

 サッとちがう方向に顔を向けひくひくと鼻先を動かしてから、知らない匂いを感じ取ったのか、リスたちも同時に背を向けて、げ去ってしまう。


(何か、いるみたい)


 キャナリーは気を引きしめて、木陰こかげに身を隠した。と、かすかに話し声が聞こえてくる。


「……です、頑張がんばってください」

「ああ、そのようだな」


 そっと観察すると青年が二人、ラミアの家に向かって、よろよろと歩いていた。

どちらも長身だが、一人は一人に肩をかし、今にもたおれてしまいそうだ。

 この辺りでは見たことのない二人の装束しょうぞくに、最初は警戒けいかいしたが、よく見るとそれはぼろぼろになっている。


(遠くから、旅をしてきた人たちかな。盗賊とうぞくとは全然違う身なりだし。危ない人たちじゃなさそうね。もしかして迷ったか、けものおそわれたりしたのかも)


 そうして見つけたラミアの家を、避難所ひなんじょにしようとしているのだとしたら──。


「あっ……大変!」


 気付いたキャナリーは思わず木陰から飛び出して、彼らにさけんだ。


「ドアにさわらないで!」


 こちらの声に、青年の一人が驚いたようにいた。

 そして困惑こんわくした様子で、大声で言う。


「この家のあるじですか。どうか、休ませてはいただけませんか」


 なおも青年は、ドアに手を伸ばそうとする。


「ドアに触っちゃ、ダメええ!」


 叫びつつ、キャナリーはドアに向かって走り出したのだが。


(間に合わない!)


 えいっ! とキャナリーは思い切り、彼らに向かって鞄を投げつけた。

 鞄が弱っているほうの男に当たり、うっ、とうめき声を出す。


「何をするのですか! こちらは礼をくしてたのんでいるというのに」

「違うのよ! 少しはなれていて!」


 やっと追いついたキャナリーは、ハアハアと息を切らしつつ、二人を少し下がらせた。

 ドアを二度、ガタガタと右に動かし、それから同じように、二度左に動かす。

 そして、ふう、とあせを拭った。


泥棒どろぼうよけに、わな仕掛しかけてあるのよ。こうしないと毒をった矢が、上から飛び出してくるようになっているわ。この辺りの人は、みんなうちの仕掛けを知ってるから近寄らないの。あのまま取っ手を引っ張ったら、二人とも死んでたわよ。さあもう大丈夫だいじょうぶ、入って、ゆっくり休んでくださいな」


 目を丸くしている青年二人を、キャナリーは家に招き入れた。

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