1-4


 ***



「キャナリー。わかっていますね。わたくしたちが、なぜあなたを養女にしたのか」



 いよいよ王太子殿下を前にした、歌と魔法の披露会の前日。

 深夜、随分と遅くなってから、養親である子爵夫妻の部屋に呼ばれたキャナリーは、延々と説教されていた。


「あなたが歌姫に選ばれて、ホッとしておりましたけれど。先日お茶会では、他の歌姫たちと喧嘩けんかをしたという噂を聞きましたよ」


 喧嘩? とキャナリーは首をかしげる。


「何か言われていた気はしますけれど。飛び蹴りをしたり、なぐり合ったりはしていません」

「当たり前だ!」


 カッ、と眉をつり上げて、子爵が怒鳴どなる。


「殴り合う、などという言葉が出てくることからして、けしからん。貴族の令嬢が考えることではないぞ」

「でも私が貴族ではないことは、お二人ともよくご存じではないですか」


 キャナリーが一年半ほど前、ラミアの家から子爵家に引き取られたのは、こちらが希望したことではない。

 なぜかキャナリーのことをどうしても養女にしたい、と子爵家が言ってきたのだ。

 そのころ、高齢こうれいのラミアは長いこと込んでいて、あと数日も生きてはいられないのではないか、という状態だった。身体からだは弱っても、まだはっきりと意識のあったラミアは、子爵家からの申し入れを聞き、こう言った。


『この娘がしいのかい。そうさのう。最後にたらふくうまい飯を食って、浴びるようにワインが飲みたいのう。それと、こしが痛くてかなわんから、やわらかい布団ふとんが欲しい。わしの望みがかなうんなら、その娘はくれてやるわい』


 性格はともかく、キャナリーを育ててくれたラミアは、いわば大恩人だ。

 キャナリーはラミアの、人生最後の望みとえに、子爵家の養女になることを了解りょうかいした。

 ちなみにラミアは、すでに歯はなかったのだが、数日後にくなるまでに、シチューとスープをそれぞれなべに八杯と、ワインを十七本飲み干した。

 もしかしたら老衰ろうすいではなく、食べ過ぎと飲み過ぎが死因ではないかと、ちょっと考えたりもしたものだ。

 ともあれ、木のベッドにうすくワラを敷いただけの固い寝床ねどこではなく、ふかふかの布団でラミアが永遠の眠りにつけたことは確かだし、それについては子爵家に感謝をしている。

 だからキャナリーは約束を守らねばと、テーブルマナーも、重たくて動きにくいドレスでのダンスレッスンも、半年間必死に学び、歌唱団に入団した。

 口髭をたくわえた、大柄’おおがらでいかつい顔の子爵は、延々とキャナリーをさとす。


「貴族出身ではなくとも、歌に魔力はあったのだから、やはり我々の目に間違まちがいはなかった。ここまできたら、あと一歩なのだ。いったい、なんのためにお前を養子したと思っている」

「あの、むしろ一度聞きたいと思っていたんです。本当に、いったいなんのために、私を引き取ったんですか?」


 尋ねると、マレット子爵家夫妻は、目をきらりと光らせた。


「決まっているではありませんか、キャナリー。披露会ではなんとしてでも王太子の心を射止め、王家に嫁入よめいりするのです。それが無理な場合でも、歌姫ならば後宮に入るか、公爵家こうしゃくけとつげる可能性があるようですし。そうすれば我がマレット家の、格が上がるというものです」

「お前が聖女である可能性もあるんだからな! そうなったら大成功だ。国中が注目する舞台ぶたいで、マレット家の名声を社交界にとどろかせるチャンスなのだ」


 ああ、そういうことだったのね。と、森育ちで世間にうといキャナリーは、ようやく気がつく。


「でも私が使える魔法が、国を護るようなものなのか、わからないですし」

「いいや、キャナリー。お前はきっと覚醒かくせいすれば、素晴らしい魔法が使える。そう見込んで、わざわざ森から連れてきて、教育を施したのだ。どうだ、何かこんなことができそうだ、という予感などはないのか」


 全然、とキャナリーは正直に首を左右にった。


「魔力を目覚めさせ、魔法を使えるようになる儀式を行うのは、披露会の舞台に出る直前です。ですから誰にどんな種類の魔法が使えるかは、舞台で歌い出すまでわかりません。それもまた披露会の醍醐味だいごみでもある、と団長からうかがいました。私以外の歌姫も、予感などについては、話していませんでした」


 だからこそ、歌姫に選ばれたとはいえ魔力を持っている実感などまったくなく、いまだに信じられないのだ。


「他のご令嬢方は、聖女でなくともよいのだ。もとが大貴族なのだから、それに加えて魔力を持っているだけでも僥倖ぎょうこうだ。しかし、キャナリー。お前は事情が違う」


 子爵はトゲのある声で言い、陰険いんけんな目でキャナリーを睨む。


「そもそも、お前などをうちが引き取ったのは、背中のアザの噂を聞いたからだ。もしあれが見当けんとうちがいだったのなら……」

「はい? 背中?」


 なんのことやらと眉を寄せると、ドン、となぜか夫人がひじで、子爵の脇腹わきばらいた。

 子爵はゴホッと咳払いをして、キャナリーに険しい顔を近づけた。


「と、ともかくお前にはマレット家の格式を上げるという、義務。いや、責任がある。それをよく覚えておけ」


 自室にもどったキャナリーは、ボフッとベッドに倒れ込む。

 子爵夫妻の思惑おもわくげられなければ、キャナリーは酷い目にうかもしれない。

 でもそれ以上に、もしも王太子の妃に選ばれたら……公爵などの高位貴族に嫁ぐことになったら……と想像すると怖気おぞけがし、キャナリーは、ぶるっ、と身震みぶるいをした。


(ラミアのために養子になったのはいいけれど、まさか成り上がるための道具にされるなんてね。たとえ一生美味しいものが食べられるとしても、自由のない生活なんてごめんよ)


 キャナリーはこの国の堅苦かたくるしい貴族の風習だけでなく、料理人や庭師など、庶民しょみんたちを人とも思わない考え方に、どうしても馴染なじめずにいた。

 ラミアには飛び蹴りどころか、フライパンでおしりを叩かれた。

 それでも人形のようにすました顔で、人を見下す貴族たちよりは、ずっと信頼しんらいできる裏表のない人だった。


「まあいいわ。今あれこれ考えても、どうにもならないもの。こんな時は、食べて元気を出すのが一番!」


 そう独り言をつぶやいてから手をばし、りんを鳴らした。



「何かご用でしょうか、お嬢様じょうさま


 すぐにひかえの間から入ってきたメイドに、キャナリーはにっこり微笑ほほえんでたのむ。

 おそらくいくつか年下の、頬にそばかすのある、可愛らしい少女だ。


「寝る前の、お茶とおやつを持ってきてほしいの。いお茶とフルーツの砂糖け。ベリーのパイもお願いするわ。たっぷりクリームも乗せて」

「はいっ!」


 満面の笑みでメイドが退出したのは、必ずキャナリーがおやつの半分を分けているからだ。

 もちろん、知られたらおこられるが、今のところ子爵夫妻にはバレていない。


「貴族の令嬢になって何がいいって、食べ物に関してだけよね」


 窓際まどぎわ近くのかべには、明日の披露会で着る予定の、大きくすその広がったドレスがかかっている。キラキラふわふわした美しいドレスだが、キャナリーにとってはなんの興味もなかった。

 そんなことより、披露会では美味しい料理が出るのかな。出るのであれば、コルセットできつく身体をめるのはいやだな。と思うだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る