第十五話 未羽の記憶

 未羽は父と母の三人で暮らすどこにでもいる一般家庭の女の子だった。決して裕福とは言えなかったが、家族が仲良く毎日を過ごすだけで幸せだったのだ。それがある日を境に状況が一変してしまった。


 パンデミックが発生した際にまず、父親がゾンビに噛まれ、ゾンビになってしまった。幸いにも二人は何とか難を逃れ、このショッピングモールに逃げ込む事が出来た。だが、そこでとある男に目を付けられてしまった……。


 けんじぃだ。


 当初、着の身着のまま逃げ込んだ者が多く、明日がどうなるのかわからないパニック状態になっていた。幸いにも生活用品は店にあり、上手く一階と二階を隔離する事が出来ていた。だが、一階には常にゾンビが徘徊し、その呻き声は昼夜問わずショッピングモールに響き渡っていた。そんな状況を見て、人々の間ではゆっくりと確実に絶望が拡がっていた。だが、そんな中でショッピングモール内で母を守る為に奔走していた未羽には他の者にはない、生きようとする強い意志があったのだ。


 それはショッピングモールでの生活に慣れてきたある日の事だった。


 当時、『ドライ』の実験が頓挫し、廃棄という形で一階へ放ちつつ、観察するだけの状態になっていたけんじぃは新たな実験体を求めていた。


「『ドライ』は投与する量を間違えてからはどうしようもなかったのぉ。今度はいきなり投与しないで――――」


 ぶつぶつと独り言を喋りながら歩いていたけんじぃだったが、ふと、この空間に似つかわしくない程元気な娘を見つけたのだ。


「ほぉ、これはこれは……。今度の個体はただその時の精神状態によっての変化の観測もしてみたいのぉ。ちょうど次は若い個体も一度試してみたいと思っとったところじゃ。どれ、上に確認を取ってすぐにでも実験開始じゃな」


 どす暗い笑みを浮かべたけんじぃはそのままあの方の元へ向かい、即日に許可を取る。


「ほぉほぉ。あの子の名前は芦田 未羽じゃな。母親と一緒にここに避難してきたと。しかもあの方が既に母親を狙ってたとは世界は狭いのぉ。まぁ確かに美人じゃったわい。儂があと十年若かったら……って奴じゃな」


 そこからの動きは驚く程に早かった。あの方が狙ってたのもあり、数日後の夜中に母娘は拉致され、二階の会議室に運ばれていった。


「あ、あの何が起きてるのですか……?」


 未羽の母親は眠らされている未羽を守るように男達の前に立つ。その姿をニヤニヤしながら見ている男達の姿を未羽は忘れられなかった。


「なぁに、ただ我らの手伝いをしていただきたいだけですよ?」


 一番前に立つ眼鏡を掛けた男は、芝居じみた手振りで未羽の母親に詰め寄っていった。


「手伝い……?」


「そうです! 人類を発展させる為の大切なお手伝いなのですよ! そしてその為には、そちらの未羽様をお借りしたいのです!」


「未羽を!? うちの娘に何をさせるつもりですか!!」


 未羽の母親の言葉にけんじぃが前に出る。


「ふぉっふぉっふぉっ。なぁに、ちょっと儂の用意した薬を飲んでもらうだけじゃよ」


 未羽を見る目があきらかに異常なけんじぃを見て、未羽の母親はそれだけでは済まないんじゃないか、と直感で感じとる。


「あとですね、奥様も是非、あの方の元へ行っていただけたら幸いでございます。そうしていただけましたらお二人の身の安全は保証いたしましょう」


「あの方……?」


「あなたたちのような方達にはお教え出来ないような方ですよ。逆らう事はオススメしません」


 あきらかに自分達とは違う世界の話をしていて、背筋が凍るような思いをしている母親だったが、親として目の前で怯えている娘を前に無責任な事は出来ない。娘を守れるのはもう母親しかいないのだから。


「保証といいますが、こんな状況でどうやって保証していただけるのですか? 娘と一緒にはいられるのですか? 薬とはどんな薬なのですか?」


 そこからいくつか質問を繰り返してきたが、答えられていない質問があまりにも多く母親の不信感は増していくばかり。そんな母親の様子に最初のうちは誠実そうに返答していた二人も、段々と本性を現してくる。


「しつこいですね。あの方が望んでいるのです。四の五の言わずに従えばいいのですよ?」


「早くその娘をよこすのじゃ。人類の発展に貢献できるのじゃぞ? 感謝してもらいたいくらいじゃ」


 その様子に未羽の母親がどうにかして脱出しようと考えていたのだが、それに気づいた男達が二人を拘束しようとしてきた。


 母親は護身用の靴の下に隠し持っていたナイフを出すと、一番近くにいたけんじぃの首元に当てる。


「ごめんなさい。とてもじゃないけど信じられないわ。このショッピングモールから出ていくから解放しなさい」


 首元からナイフを当てられているにも関わらず、誰も動揺している様子が無い事に首を傾げた未羽の母親だったが、その直後に、その理由がわかった。いや、わからされたと言った方が正しいだろうか。


 首元のナイフをそのまま手で押し込み、けんじぃが自ら首に刺したのだ。思わぬ行動に悲鳴をあげ、ナイフを放してしまうとそのまま他の男達に拘束されてしまう。


「なんじゃ、どんな実験だと言うからせっかく実験の成果を見せてやったんじゃが。それが悲鳴を上げるとはどういう事じゃ?」


 刺さったナイフを投げ捨てると、傷口が少しずつ治っていく。それをけんじぃはわざと見えるように拡げ、それを見た未羽の母親は腰を抜かしてしまった。


「どうじゃ? お主の娘も儂らと同じになれるのじゃぞ?」


「いや……いやっ!」


 拘束を振りほどこうとしたが、多勢に無勢。未羽の母親はそのまま抑えつけられてしまう。


「……んっ? お母さん?」


 未羽の母親が騒いだ事で起きてしまった未羽が見たものは、母親が数人の男に地面に抑えつけられ、こちらに向かって他の男達が寄ってきているところだった。


「え? どういう……?」


 寝ぼけた状態から戻ってこれない未羽を母親同様に抑え込む男達。


「いやっ! いやあああ!! お母さん! お母さん!!」


 抵抗するも空しく外へ連れていかれる未羽の母親。そして未羽はそれを止める事も出来ず、騒いでいる事しか出来なかった。








 その数日後、母親が発見された。あんなに美しかった面影はそこになく、未羽が最期に気付く事が出来たのは、母親が二階から落とされるところだった。それもけんじぃが意図的にその姿を見せたのだ。気づいた時には既に遅く、未羽は母親の元へ行こうとするも、そのままけんじぃに連れていかれた。その後、様々な実験が行われた後、母親と同様の処置を受ける。


 そこからそのさらに数日後、新たな実験として未羽、改め、実験体『フィーア』も守が通るタイミングに合わせて投下。接触させる事に成功し、現在に至ったのだった。


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