誰ガ為

桝克人

誰ガ為

 その夜は気分が良かったことを覚えている。

 旧友が結婚の報告をしてくれた。仲良しの友達に声をかけて婚前の祝いをした。しこたまワインを飲んでチーズや原木の生ハムを何度も削って貰った。懐かしい笑い声が満ちていた。

 幸せな時間はあっという間に過ぎて別れを惜しみ家路の途中もにや顔が抑えきれず高揚していた。少々千鳥足だったがそれすらも軽快な足取りだと思う位浮かれていた。


「随分ご機嫌だね」


 真っ赤なビニールの屋根の屋台が一つだけ街灯の下に建てられている。声の主と目があう。タンクトップにジャージを履いた推定八十代位の肌黒い店主はにーっと笑う。金歯が鈍く光る。薄気味悪さに一気に酔いが醒めた。気づかないふりをして去ろうとしたが恐怖から思うように足が動かない。店主は慌てることなく言葉を続けた。


「お嬢さんがもっとご機嫌になるものをあげようね」


 怪しい物を売りつけられるのではないか。外国の奇妙な食べ物か、幸福を謳う金メッキの置物か、はたまた違法の薬物だったらどうしよう!逃げるしかないが酔っぱらった上にヒールで走るなんて絶対に追いつかれる。今も怖くて一歩も動けないのに逃げきれるはずがない。

 店主は台の上にに手つきの籠を置いた。小さい籠の割りに持ち手は背が高く大きく見える。五つのまだ色づいていない緑色の鬼灯がぶらさがっていた。


「これは嘘をつくと赤く色づく魔法の鬼灯だよ」

「は?」

「嘘だと思うかね?丁度零時だ。明日の同時刻までに一つでも緑の鬼灯が残っていれば百万円をあげよう。どうだい?」


 意地の悪そうに笑う双眸は喉を鳴らした私の強欲さを見透かされている気がした。


 帰宅後アルコールと疲れは眠気を催し、風呂を済ませすぐにベッドに潜り込んだ。

 翌朝ぼんやりした頭を掻き毟っていると鬼灯が目に入る。酒が抜けて冷静になると酷く馬鹿馬鹿しい話にまんまと乗せられ期待した自分に嘆息した。

 するとひとつの鬼灯が付け根からじわりと絵具が溶けるように赤く染まった。見間違いかと目を擦って凝視する。確かに五つの内一つが赤々と染まっていた。

 突如アラームが鳴り響く。目の前で起こった光景に疑心を抱きながらも出勤準備に取り掛かった。エコバックに鬼灯の籠を入れた。


 入社して四年目、すっかり慣れた事務の仕事中に何度も鬼灯を見たが特に変化はない。一つだけ初めから赤かったのだと思い直した。だって急に色が変わるわけがない。


「良かったらランチご一緒しませんか?」


 一つ下の後輩は真面目で素直で人懐っこく見た目は少し地味な印象だ。最低限の身だしなみには気を遣っているが垢ぬけない。しかし仕事は人一倍出来るし何より自分を慕っているのが素直に嬉しい。


「日替わり定食はからあげと焼き魚ですって!健康のことを考えたら焼き魚だけど揚げ物の気分なんですよね。先輩どちらにします?」

「焼き魚かな」


 本当は揚げ物が食べたい。しかし社食の油は何度も使っているから絶対に体によくない。ならば少しでも油の少ないものを選ぶに越したことはない。しかも昨日飲みすぎてこれからダイエット期間に突入だ。結婚式に着ていく服の為にも余分な脂はご法度だ。ごはんも少なめにしよう。


 昼食から戻り鬼灯の様子を見ると愕然とした。更に二つも赤くなっている。

 嘘なんかついていないのに!

 やはり嘘だったんだ。何もしなくても一日で赤く染まるような仕組みがあるに違いない。もう捨てようと思ったが店主に一言文句が言いたかくなった。

 残業を終え日付が変わる時間まで居酒屋で時間をつぶした。スマホを片手にSNSを漁っては友人たちの華やかさを肴に日本酒をちびりと飲む。糖質脂質に気を遣ったつまみが厭に味気なく感じた。


 零時を廻る前に屋台へと出向くと同じ格好の店主が出迎えた。エコバックから取り出すと四つの鬼灯が色づいていた。私は安堵した。店主は腕時計に目をやり「もう少しだね」と言う。

 油断していたとしか思えない。ついお金の為じゃないけれど本当に嘘をつくことで色づくのか訊ねたくて来ただけだと言ってしまった。残りのひとつが赤くなったのは言うまでもない。


「惜しかったね」


 店主はわざとらしく残念そうに語尾を伸ばした。


「そんなぁ…こんなの詐欺じゃないんですか?」


 悔しさを紛らわすように店主に詰め寄ると、何も言わず笑顔のまま目を少し見開いた。妙に煌めいた瞳が「本当にそう思う?」と問いかけているようだった。

 最初に色が変わった様子を確かに見たことを否定することはできなかった。ただどこで嘘をついていたのかどうしてもわからなかった。


「人は無意識に嘘をつくものだよ。思い返してごらんなさい。本当にしたいことを我慢して別の選択肢をとるなんて人生ざらにあるだろう?」

「そんなことも嘘なんですか?」

「素直に生きるのは難しいことだ。でも自分に嘘をついたところでお嬢さんは不幸ではないだろう?」


 店主の言葉は猜疑心を埋めた。気付かずついた嘘は未来の投資なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰ガ為 桝克人 @katsuto_masu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ