第4話 見えないものと見えるもの

「それで?」

「それでって……」

「あるんだろ? 心霊現象が」


 男は秋生を見て笑っている。いや、正確には秋生の後ろを見て笑っているのだ。映していないはずの黒い瞳が確かにそこにある何かを見ている様に動き、秋生はごくりと唾を飲み込んだ。


「……心霊かどうかはわからないけど」


 秋生はそう前置きすると、会社を辞めてからおこった出来事をあげていった。


 深夜のラップ音(家鳴りだろうけど)、金縛り(疲れてたせいだ)、家の電気やテレビがよく消える(壊れたのかな)、階段や信号待ちで誰かに押される(周りに人がいない時もあったけど、多分気のせい)、一人で入った飲食店で二名様と言われる(イタズラだ)等々……。


 秋生がおこった出来事の後に必ず気のせいだ、なんてことを付け加えるので、男はおかしそうに笑った。


「そんなに色々おこってて、よく気のせいだなんて言えるな」

「幽霊なんて見たことないし、そんなものいるわけないだろ」

「そうだなあ、君は見たことないもんな。見えないものは、いないのと同じか」


 腕を組んで言い放った秋生に、男は頷いて賛同する。そして流れるような動作でその手をすっと伸ばすと、秋生の顔に触れるか触れないかの距離でピタリと止まった。空気が触れるような感触に、秋生はむず痒くなる。なんだ、と口を開きかけて、男が一層笑みを深めた。


「じゃあ、君もいないのかな」

「……は?」

「僕は君が見えない。君はいないのか?」

「それは……」

「僕が見えるのは、この世ならざるものだけ。君も、このカップも、僕には見えない。見えないものと存在しないことは果たして本当にイコールか?」


 暴論だ。と言いたかったが、秋生は押し黙った。男が何を言いたいのかは分かった。男には秋生も、そのほかの物も、何も見えてはいない。ただ一つ見えるのは、秋生の知らない世界だけなのだ。そしてその世界には、万人には存在しないと結論付けられているものたちしかいない。

 彼が唯一見えているものを否定するということは、彼の世界を否定するということ。いうなれば彼自身を否定することになるのかも知れない。


「……悪かった」


 秋生は肩を落として謝った。男は少し目を丸くしたが、その瞳を閉じるとふっと笑った。


「君は優しいな」

「え……」

「それで、ほかには何かないのか?」


 男が話を戻したので、秋生もそれ以上は先ほどのことに触れず、考えを巡らせる。唯一思い出したのは今日会った採用担当者だった。


「……これは、関係ないかもだけど……会社に受からない。今日なんて顔見ただけで不採用にされて……」


 まあ、これは俺の問題だろうけど。秋生は自嘲気味に笑って付け加えたが、男は首を振った。


「関係あるな」

「はあ⁉」

「その採用担当者は見えたのかもな。君の後ろにいる彼女が」


 そういえば、と秋生は思い出す。あの担当者は秋生を見るなり顔を青くして、慌てて秋生を部屋から追い出した。


「まさか……」


 今度は秋生が顔を青くする番だった。幽霊のせいで仕事にも就けないなんてたまったもんじゃない。いや、正確には幽霊ではないのだが、秋生にとっては似たようなものだった。


「これからどうすればいいんだよ……このままじゃ仕事にもありつけなくて、そのうち餓死……?」

「生霊に殺される方が先かもな」

「そんな!」


 紅茶を飲みながら平然と恐ろしいことを言う男に、秋生は縋るように声を上げた。男はカップを置くとふうと息を吐き、安心しろ、と告げる。


「言っただろう、助けてやると」


 殺されるかも、なんて脅した口で、一秒後には助けてやるとのたまうこの男。信用できないタイプの人間のはずだが、なにやらその言葉には妙な安心感があった。


「……だけど、どうやって」


 信用してしまいそうになるが、手放しで信用するには危険な人物であろうことは明白で、秋生は不信感を隠さずに男に尋ねた。

 男は少し顎に手を置いて、ややあって秋生に言った。


「君、長岡梓とラインを交換したと言ったな」

「ああ、まあ……ブロックしてるけど……」

「彼女に連絡を取ってみろ」

「はあ⁉」


 男の言葉に秋生は素っ頓狂な声を上げる。

 あの事件以来、秋生は勿論長岡と連絡を取っていない。その方がお互いのためだと思ったのだ。いや、何より連絡を取るのが怖かった。次に会った時は殺されるんじゃないか、そんな恐怖さえあった。

 それでも、長岡のラインは消せなかった。

 あの時、あの喫茶店で別の返しをしていたら――長岡を傷つけることが無ければ、お互いもっと別の道があったんじゃないか、そんな罪悪感があったから。


「会いたいと伝えるんだ」


 だが男はそんな秋生の気持ちを知ってか知らずか、そんなハードルの高い要求をしてくる。秋生はぶんぶんと力強く首を振る。


「いやだっ! 大体、俺のこと呪い殺そうとするぐらい憎んでるのに、会うなんて――」

「彼女じゃない」

「……は?」


 男の言葉に、秋生は体も思考も停止する。そんな秋生でもちゃんと理解ができるように、男はもう一度、詳しく事実を告げた。


「君に憑いている生霊は、長岡梓じゃない」

「……はあああ⁉」


 雑居ビルに秋生の声が響く。雨はいつの間にかやんでいた。

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