第3話 落ちてくる

「さあ、ここだ」


 雑居ビルの四階。エレベーターでたどり着いた先にあったのは、何の変哲もない、雑居ビルのドアだった。近くには木の板が置かれていて、秋生は首を傾げる。


「入ってくれ。適当に座ってくれてかまわない」


 男は鍵もしていなかったらしいドアを開けると、さっさと部屋の中へと入っていく。秋生もその後ろに続いて中に入った。


 部屋の中には応接用のテーブルとソファ、備え付けのキッチンと冷蔵庫、パーテーションで仕切られた先にはパイプベッドが一つと小さな衣装ケース、そして部屋の奥、窓を背にするように椅子と机が置いてあった。

 確か住んでいると言っていたが、それにしては物が少ない。どちらかといえば事務所か何かのようだった。


 きょろきょろと部屋の中を見ていると、男が衣装ケースからタオルを二枚取り出して、一枚を秋生に渡してくれた。


「ありがと……」


 男は特に反応も示さず、まるで見えているようにしっかりとした足取りで部屋の中を歩く。そして濡れていることも気にせずに奥の椅子にどかりと座った。


「ふう。やっぱり外は疲れるな。色々とうるさい」

「はあ……」


 良くわからない男の話に曖昧に返事をして、秋生はとりあえずタオルで顔を拭った。それだけでも少しすっきりして、気持ちに多少の余裕が生まれる。

 その生まれた余裕で考えるのは、この人についてきて大丈夫だったのか、ということだ。

 流れでついてきてしまったが、どう考えても怪しい。まさか突然屈強な男でも入って来て身ぐるみはがされるんじゃないか、なんて考えて、秋生はつい入り口をちらちらと気にしてしまう。


「安心しろ。ここに居るのは僕と君の二人だけだ」


 突然男から投げかけられた言葉に、秋生は驚いて男を凝視した。まるで見えている様なタイミングだ。その視線に気づいたらしい男はふっと馬鹿にするように笑った。


「君の考えそうなことぐらいわかる」


 そしてこれまた楽し気に、ああ、いや、と続けた。


「そこにいる女性を人と数えるなら、正確には三人かな」


 びくりと秋生の肩が揺れ、辺りをきょろきょろと見回す。だが当然女性などおらず、秋生は睨みつけるように男を見た。


「……あんた、もしかして幽霊が見えるって言いたいのか?」

「そうだと言ったら?」

「なら、それは嘘だ」

「どうしてそう思う」

「長岡は死んでない」


 長岡が飛び降りたのは3階建ての屋上だった。大怪我はしたものの、命に別状はなかったと秋生は聞いている。男の言うように長岡の霊がいるわけがなかった。


「どこでこの話を聞いたのか知らないが、俺を騙そうってんなら――」

「君の後ろにいるのは生霊だ」


 秋生の言葉を遮って、男は断言した。秋生は眉間に皺を寄せて男の言葉を繰り返す。


「生霊……?」

「強い個人の念だ。あまりにも君のことを怨むものだから、君に憑りついたんだな」

「……そんなの、信じられるわけ――」

「多少心当たりがあるから、僕についてきた。そうだろ?」


 見透かしたような言葉に反論したくなったが、秋生は押し黙った。男の言う通りだった。

 何も言わない秋生を男はふっと笑って、立ち上がる。そのまま台所に立つとヤカンに水道水を入れて火にかけた。


「話すと言い。力になろう」


 流し台に背を預け、男は笑う。

 秋生はソファに乱暴に座ると、口を開いた。


「長岡……長岡ながおかあずさは、新卒で入社してきた女性社員で、俺は長岡の教育係だった。

 

 初めての教育係で、俺は張り切った。

 長岡に仕事のことを一から教えて、コミュニケーションが苦手らしい長岡が会社に馴染めるように、色々気遣ったりした。

 みんなと一緒にお昼に誘ったり、雑談に混ぜたり。緊張をほぐせるように、お菓子なんかをあげてみたりして。

 

 少し大人しいけど、真面目でいい子だと思った」


 当時のことを思い出しながら秋生は話す。

 長岡のことは嫌いじゃなかった。積極的ではなかったが、言われた仕事はきっちりこなすし、きっといい社員になると思っていた。


「……けど、ある日、長岡が俺に弁当を作ってきた。

 手作りのやつで、びっくりしたよ。作ってほしいなんて言ったことないし、突然だったから。

 でもせっかく作ってきてくれたから、俺はそれを食べた。」


 突然差し出された弁当を不審に思ったが、秋生は会社の休憩スペースで、自分の分も作ってきたという長岡と一緒に食べた。

 なんてことない普通の弁当で、食べ終わって長岡にありがとうとご馳走様を言った。嬉しそうに笑っていたが、秋生の苦悩はそこから始まった。


 秋生は両手をきつく握りこむ。


「……そこからだ、長岡がだんだんおかしくなっていった。

 仕事中、急に俺の手を握ってきたり、太ももに手を置いてきたりするようになった。俺はすぐに振り払ったけど、度々そういうことをするようになった。


 それから、何か仕事で悩んだときに相談できるようにって、ラインを交換したんだが、頻繁にメッセージが送られてくるようになった。

 おはようとか、お休みとか、今何してるんですかとか、そういうのが何通も何通も……。


 終いにはあとつけられて、家に突然来たこともあって……その時はなんとか帰らせたけど、流石におかしいと思って上司にそれとなく相談した。

 でも、好かれて良かったじゃないか、なんて笑って相手にしてもらえなかった。


 これで性別が逆だったら対策を取ってくれたかもしれないだろうな……今となっては遅いけど」


 はっ、と自嘲気味に笑って、秋生はぐしゃりと頭を抱えた。


「だから仲の良い同僚にだけこのことを話して、少し距離を取るようにしたんだ。

 ……その矢先だった。

 さっきあんたが言ったように、俺と同僚の話を長岡は聞いたみたいで、書置きを残して会社の屋上から飛び降りた。

 俺が会社に戻ってくるその時を待ち構えて、俺の目の前に、長岡は落ちてきた」


 ピッ―! と、待ち構えていたようにヤカンが音を立てた。はじかれるように秋生は顔を上げる。男は特に驚いた様子もなく火を消すと、カップにティーバッグを入れてお湯を注いだ。

 秋生はその様をぼんやりと眺めながらも、頭では別の風景を見ていた。


 昼下がり。心地の良い天気。どうでもいい話を同僚としながら、面倒だけど午後も仕事頑張るか、なんて思って見上げた空。何かわからない大きな物体が横切ったと思った瞬間には、もう足元にいた。大きな音と、足元の血と、周りの叫び声。ゆっくりと下げた視線にいたのは、


「書置きにはなんて書いてあった?」


 はっとした。男の声と目の前に置かれたカップに現実に引き戻される。湯気の上がる紅茶を見ながら、秋生はぽつりと零す。


「俺に拒絶されたのが悲しいから死ぬって」


 書置きには、喫茶店でのことと、秋生のことが好きで、それが受け入れられなかったこと、悲しい、生きている意味が見いだせない、というようなことが書かれていた。

 男は自分で聞いたくせにまるで興味がないようにふうんと零し、秋生の正面に座って紅茶を一口飲んだ。


「俺が長岡になんかしたんじゃないかって警察に疑われたけど、上司や同僚に長岡のことを相談してたおかげで、その疑いはすぐに晴れたよ。

 でも会社には居づらくなって、そのまま辞めた……今はあの会社の奴とは誰とも連絡を取ってない」


 そうしめて、秋生は紅茶をくいっと飲んだ。熱かったが、体の中からあったかくなるのを感じてほっと息を吐く。

 男は足を組むと、面白そうに秋生を“眺めた”。

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