第五話 約束

青年が動かなくなったのを確認してから、ようやく一息つく。


「全く、腕無くなってるじゃぁん、ダメだよそういうことしたら!実之くんもだけど、もっと体大事にしてよ!」


こちらに駆け寄ってきた千歳にそう怒られた。

死者なので魂が破壊されない限り死ぬことはなく、今無くなった腕も再生できるが、だからといって自分の体を使い捨てにするようなことはいけないのだと。


「ありがと、二人が気づいてくれて助かった」


「手を出すなっていうから我慢してたけど、次からはダメだからね?」


「分かってんよ」


戦っているうちにこっそり目配せしたが、正しい意味で伝わっていたようで良かったと梓は安堵する。

梓が伝えたのは、好機が来るまで手を出すなということだ。

助けてでも、加勢しろでもなく、ただ待てと。

青年を一撃で仕留める好機が来るまで、梓には自分一人で抑え込める力があったからこそ言えることだ。


「ふぅ……良い運動になった」


すっきりしたような顔でぐんと伸びをしている実之は、頭から赤い液体を垂らしている。

腹部の出血に加え、なかなかに凄まじい様相になってしまっていた。


「うわっ、めっちゃ汚れてる……」


「もう実之くんたら、汚いよぉ。それにお腹も酷いことになってるじゃん」


千歳も血を被ってしまったが、実之の服の裾で汚れたところを拭った。

仕返しだと言わんばかりに一切の遠慮なく擦り付けている。


「あー、お風呂入りたい」


「やめろ俺に擦り付けるな」


それに苛ついたらしい実之が、千歳の顔を引っ掴んで剥がそうとする。


「おい梓、一ついいことを教えてやろう。こいつはこう見えて生粋のサディストで、暇さえあればそういう趣味の小説を執筆している」


「あー、あれってそういうこと……」


思い出すのは、ここへ来たばかりの時のことだ。

何か書き物をしていたらしい千歳が必死に隠そうとしていたのは、そういう事だった。

確かにあやとりを手にして異形を縛っていた千歳は、どこか恍惚としていた。

だが、すかさず千歳は反論する。


「ちょっと変な風に言わないでよね。梓くん困ってるじゃん。僕の趣味はそんなんじゃなくて、至高の快楽と耽美を追求するれっきとした……」


「要はただの性癖だろ」


反論か反論になっていない。


「もう、実之くんは分かってないなぁ!そういう君だって、何かあったらすぐ暴れて物を破壊するじゃん」


「そんなちょっとしたことをまだ気にしているのさ」


「ちょっとしたこと!?どの辺が!?朝起きたら部屋のドアが木っ端微塵にされてた人の気持ち分かる!?」


「わざとじゃないんだ。ただ少し加減を間違えただけで。それに、俺が何を壊してもお前は止めなかっただろ」


「そりゃそうだよ!寝てたからね!」


「寝てる方が悪い」


そう言いながら実之は、また空から落ちてきた肉塊を蹴り飛ばす。


「うわっ、責任転換!?もう最悪だよこの人!てかさっきから危ないんだけど!やめてよ!」


「邪魔だ」


実之による激しい戦闘の結果、あちこちに肉片が飛んで、境域の糸に引っかかっていた肉塊が落ちてくるのだ。

三者三様に暴れた結果、境域内は凄惨な様子になってしまった。

とりあえず、実之の足癖には要注意だということだけは理解できる。


「で……この人、どうする?」


千歳が困ったように視線を向けているのは、今しがた息の根を止めた青年だ。

横たわる青年は、まだその名も目的も聞き出せていない。


「とりあえず、結社に連れていこう。どう考えてもコイツは罪人だし」


もしかしたら、体を修繕して尋問にかけることもできるかもしれない。

梓は青年の体を抱き抱えようと、その体に寄っていく。


「ねぇ……ねぇ、美しい君」


手を伸ばそうとした時、小さな声が聞こえてきた。


「なんだ、まだ生きてたのか……」


「君だけに教えてあげるよ。誰にも言ってはいけないよ」


ゆっくりとした口調で、穏やかに微笑む青年。

その瞳に、光は無い。


「僕の名は、悠璃ゆうり。また君に会えるのを、心から楽しみにしているよ」


「ふーん」


梓はニコリと微笑むと、青年の上半身を抱え起こす。

そうして、流れるように刀を抜くとその首を切り落とした。

またしても、断面からは何も出ない。

梓は刀を納めると、切り落とした頭部と残りの胴体を抱え上げる。


「あ、梓くん……!?」


話の内容は二人には聞こえていなかったようで、梓の突然の行動にぎょっとしている。


「お前、本当に書庫番だったんだよな……?」


梓の手際は慣れたもので、とても新人の手つきには見えない。

まして、現代を生きていた若い少年なら尚のことだ。

梓は二人を安心させようと、わざとへらへらと軽薄そうに笑う。


「書庫番だったよ。でもその前は死者の取り締まりをやってたね。色んな部署を巡ったんだ。どこも楽しかったし勉強になったよ」


そういうわけで、梓は刀の扱いになれていた。

前は書庫番にいただけで、前の前や、その前は違う。

梓が獄楽浄土へ来たのは、これ以上配属する先が無いため狭間の世界に飛ばされたというのが最大の理由なのだ。

それでも二人は怪訝そうな表情。

当然だ。全ての部署を担当したことのある新人獄卒なんて、阿呆らしい作り話のようにしか聞こえない。

梓自身ですらそう思っている。

そもそも、梓がそうしなければならなかったことには厄介な理由があるのだから……。


「あ、ましろちゃん……」


ふと、千歳が目線を向けた先では、青年のいいつけ通りに大人しく待っていたましろがいた。

あの惨劇の中、一歩たりとも動くことはなくずっと大人しく傍観していたのだ。

例え、自分の兄が殺されようとも。


「……ねぇ、あの人って本当にましろちゃんのお兄さんなの?」


千歳の言葉に、ましろはこくりと頷いた、


「うん。お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。お兄ちゃんは、わたしをお家へ連れてってくれるの」


初めて兄の話をしていた時も、その言葉を言っていた。

家へ連れていってくれる。


「どういうことだ?」


梓には分からないが、実之は何かを察したようだ。


「恐らく本当の兄では無い、ただの擬似家族のようなものだ。そしてこの子供は……」


実之のどこか寂しそうな視線がましろに向けられる。


「ねぇ、お兄ちゃんもみょんたんもいなくなっちゃったよ。わたし、どうやってお家に帰るの?」


ましろは、死者だ。

彷徨う亡霊。

自分が死んだことに気づいていない、哀れな死者。

家に帰りたい……帰りたいのに、どうやって帰るのかが分からない。

当たり前だ。ここは現世ではなく、獄楽浄土という狭間の世界。

彼女が生きていた場所は、この世界ではどれほど探したところで見つけられない場所なのだから。


「お兄ちゃんは、お家への帰り道を知ってるって言ってたんだよ?千歳お兄ちゃんは?梓お兄ちゃんは?実之お兄ちゃんは、知ってるの?ねぇ、わたし、みょんたんもお兄ちゃんもいなくて、どこへ行けばいいの?」


ましろの涙の溜まった大きな瞳に見つめられて、三人は押し黙る。

恐らく悠璃という彼は、ましろが彷徨う死者であることに目をつけ、家へ帰してあげるなどと言い、手なずけていたのだろう。

本当に悠璃が現世への行き方を知っているのかどうかは分からない。

けれど、無理に現世に行ったところで肉体はとうに滅んでいるに決まっているのだ。

本当の意味で帰れる時は、永遠に訪れない。


​───────帰りたい、のか。


自分が死んだ時、生きていたいと思ったかどうか覚えていない。

けれどもし、死者になってすぐ、まだ自分が死んだことを受け入れられない内に元の世界に帰してやるなどと言われたら、頷きたくなるのは当然だろう。


「……大丈夫だ。そんなもんなくても、俺たちが家に帰してやるよ」


ましろを安心させるように、梓は彼女の丸い小さな頭にぽんと手を置く。

ましろは、驚いたように顔を上げた。


「ほんとうに?」


「本当だよ。僕たちは嘘はつかないからね」


「大丈夫だ。帰り道なら俺も知っている。だからましろは、安心して休むといい」


三人の顔をかわりばんこに眺める。

それから、安心したようにふっと表情を緩めると、にこりと笑った。


「やくそくだよ!」


怒るのでも泣くわけでもなく、ただこちらに笑って手を振る。

次の瞬間、ましろの姿は陽炎のように揺らめいて、地面にはぱたりと何かが落ちた。


「あっ、待って……」


ましろの立っていた場所にあったのは、小さなぬいぐるみだった。

あの悪霊が封じられていたぬいぐるみによく似たうさぎのような形で、長年使われていたようでちょっと汚れている。


「そっちかぁ……なるほどなぁ」


ましろは死者である。

が、元々人ではなかったということだ。

大切に扱われてきた物には霊が宿る、付喪神の一種であろう。

幼子の姿は、持ち主の姿を模したものと考えられる。

みょんたんというぬいぐるみを必死に探していたのも、同じ「物」であるからなのか。


「……仕方ない、帰るか」


実之がそう言い、ぬいぐるみを大切に丁重に持ち上げる。

千歳も諦めたように頷いた。


「だね……。まだ聞きたいことはあるけど、ましろちゃんが無事に帰れるのならそれでいいよね」


梓も同調するようにうんうんと首を縦に振る。


「いやあ、とんだ初仕事だったけど楽しかったな。いい世界だな、ここ」


「は……?」


「は……?」


二人は信じられないものでも見るかのようにこちらを凝視した。


「正気じゃないな」


「冗談キツいって……」


「あれ?」


何だか思っていた反応とはまるで違う。

梓としては本心からの言葉だったのだが、そんなに否定されるとは思わなかった。


「このめちゃくちゃな狭間の世界がいい世界だってさ。いやあ、すごいすごい」


「え、な、なんでだよ……?」


棒読みのまるで感情のこもらない声だ。

確かに、街中でいきなり訳の分からない正体不明の男に襲われたり、急に近隣で悪霊が発生して大暴れする世界はなかなか大変かもしれない。

でも絶対に退屈はしない。

そう思って言ったのだが、この世界は梓が想像しているよりも厳しいらしい。


「まあ、お前も住んでみれば分かる。幸いにも、獄楽浄土はお前を歓迎しているようだからな」


実之にぽんと肩を叩かれ、行くぞと促される。

獄楽浄土に歓迎されているかどうかは、きっとこれから分かることだろう。


​───────そう言えば俺って、獄卒じゃなくて禍憑になるのか。


先程は自身を獄卒と称したが、そのうちにこちらに染まっていくのだろうか。

上手く染まれればいい。

何も無い自分の中身を少しでも埋められるのなら、それでいい。


腕の中の体は、妙に軽かった。

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