第四話 獄卒なめんなよ

織彩境域しきさいきょういき、起動!」


一瞬にして鮮烈な赤が視界に広がる。

四方八方に糸が張り巡らされ、公園の上空に網状の結界が広がっていく。

この場所が周囲から隔絶されたかのよう。

青年も動きを止めて、面白くなさそうな表情で空を睨んでいた。


「僕の境域に入ったからには、絶対に逃がしはしない」


先程までの穏やかな表情からは想像もできないくらい、千歳は冷たい目をしていた。

初めて見るその色に、梓はゾクリとする。

千歳のあやとりと連動しているようで、あやとりは彼の手元で複雑な模様を描いていた。


「なんだこれ!?」


梓はその見慣れない赤い光にすっかり困惑してしまった。


「千歳の結界術だ。相当に練られているから、脱出するには時間がかかるだろう。奴が術を壊す前にカタをつける。梓は離れていろ、まだ力が使えないのに化生の相手はできまい」


「なっ、そう言われても……」


実之の言う通りではあるが、この状況で大人しくしていてくれと言われてもそうすることはできない。

だが相手は待ってくれないようだ。


「これはまた面倒だな……」


忌々しげに、けれども気だるげに青年はそう言う。

腕の中のましろが、首を傾げて青年の襟元を掴んでいる。


「お兄ちゃん、これなに?」


青年はそれに答えることはなく、代わりにましろを腕の中から降ろした。


「眞白、少し向こうで待っていてくれるかな」


眞白はこくりと頷いて、こちらに目を向けることもなくすたすたと歩いていく。

梓たちの言うことはまるで聞かなかったのに、青年に対しては驚くほどに従順だった。


「ご期待通りにしてあげよう。せいぜい力を見せつけてくれ」


彼は抱えていたぬいぐるみを宙に放つ。

力なく宙を舞ったぬいぐるみは、瞬く間に変質した。

布地が張り裂け、綿が詰まっているはずの体が肥大化していく。

中から出てきたのは、泥のような赤黒い異形だ。


「あんなのが中に入ってたのか!」


ましろの言葉は本当にで、あのぬいぐるみはやっぱりヤバい代物だった。

ぐちゃぐちゃと耳障りな音を立てながら、異形は姿を形作っていく。

腕は四つ、足は六つ。

頭部にはぎょろりとした目玉が縦にいくつもあり、腹部に大きく裂けた口がついている。

人のようで人では無い、どこまでもおぞましい化け物がそこには現れた。

よく見るような悪霊よりも凶悪な外観で、人体のパーツを継ぎ接ぎにしたかのようにゆがんでいる。

この狭い公園には収まりきらず、結界内の周囲の建物や木々をなぎ倒してしまう。


「こんなの持ってるってことは、このお兄さんは捕まえなきゃだよね!」


異形が動こうとする前に四方から糸が巡り、即座にそれを拘束する。

いくつもの手足が糸に絡め取られ、化け物は地を這うような耳障りな呻き声を上げた。

その隙を逃さず、実之が刀を抜いて駆け出し、大きく跳躍する。


「斬る!」


異形の腹部を鮮やかに一閃する。

刃は真っ直ぐ肉を裂き、赤黒い液体がほとばしり、近くの建物の屋根に着地した実之に降り注いだ。


「甘いな……」


頬を伝う真っ赤な血を、ぺろりと舐める。

その青い瞳の奥に、ぎらついた欲望のようなものが垣間見えた。

けれども異形は崩れることなく、絡み合う糸の中でもがいている。

この状況では経験のない梓は邪魔になるだけかもしれないと、梓は唖然としながら後ずさる。

異形がいくつもの手を使い糸を引きちぎるも、また千歳があやとりを結ぶ。

すかさず実之が連撃を入れて、上手く連携を取って戦っている。

この間に入れるような技術は、梓はまだ持っていない。


「君は戦わないのかい」


「……え?」


異形を操っていたはずの青年に、こちらを見ることも無く、唐突にそう尋ねられた。

戦わないのかと、今の状況を作り出した張本人に問われるとは思わなかった。


「残念。また神様に邪魔をされてしまったみたいだ」


つまらなさそうに肩をすくめる。

梓に戦って欲しくてこんなことをしたのなら、馬鹿げているとしか言いようがない。

それよりも梓は、この青年のことで思い当たることがあった。


「なあ。さっきのアレ、もしかしてアンタの仕業か」


先程、川を挟んだ向かい側で起きた騒ぎの中心にいた異形は、今目の前にいるデカブツとよく似ている。

そしてましろは、「兄は大きな橋の方を探している」と言っていた。

実之も千歳も既に気づいているだろう。

あの騒ぎの首謀者は彼で、異形を放った後にましろを迎えに来たと考えれば辻褄は合う。


「そうだと言ったらどうするつもりかな」


青年はにやりと余裕な笑みを浮かべている。

肯定、と取っていいだろう。


「どうするってそりゃもちろん、アンタを結社に連行していくだけだろ」


キッパリと梓がそう言えば、青年は大きく口を開けて笑った。


「は、はははは、はははっ!」


気だるさを全く感じさせない、その勢いに梓は気圧される。

一体梓の言葉のどこが面白いと言うのか、青年はひどく愉快そうに笑っている。

まるで人が変わったようだった。


「な、んだよ。何笑って……」


その迫力に思わず押し黙る。

だが青年の言葉は、梓の予想だにしないものだった。


「君は欠陥品だ」


どきり、とした。

それはいつの日か、誰かに言われた言葉だった。

いつの間に近づいていたのか、青年の顔は梓の目の前にあった。

額と額がくっつきそうなぐらいの近さで、底の見えない瞳に吸い込まれそうになる。


「でも、だからこそ輝いている。僕好みの、可哀想なぐらいにひび割れたその魂……。美しいものには、傷があってこそ。君もそう思うだろ?」


思わず息を飲む。

それは、梓が実之に対して思ったこととそっくりそのまま同じだった。

まるで梓の内面を見透かしたかのような物言いに上手く言葉が返せない。


「やめてくれよ。アンタと一緒にしないでくれ」


梓の声は震えていた。

その時だった。

何かが素早く二人の間を掠めていったのは。


「……っ!」


地面に音を立てて突き刺さったのは、一振の刀。

それを放ったのは、千歳だった。


「おい、梓くんに近づくなこの下衆が」


あやとりから手を離し、汚いものでも見るかのような顔を青年に向けている。

青年と千歳の視線が交錯した。


「お前はお呼びじゃないよ。神でも、おもちゃでもないんだから。さっさと消えてくれ。はぁ……ほら、もう少し相手をしてやって。この子たちは退屈してるみたいだ」


青年がそう言った途端、千歳の糸にから娶られていたはずの異形が呻き出す。

先程までは見られなかったような力で糸を全て引きちぎり、何本もの脚を踏み鳴らして地を揺らしている。


「ちょっと、急に強くなんないでよ……!」


術を破られたことで千歳が怒っている。

異形が急に強化されたのは、青年が梓を煽るためにわざとやったのだろう。


「俺も戦う!」


いてもたってもいられず、梓は刀を向いて駆けていく。


「待て!危ないから下がれ!」


「危なくない!獄卒上がりなめんな!」


梓はそう言うと、実之の背後に迫っていた異形の腕を真っ直ぐ切る。

激しい水音を立てながら、異形のそれはただの肉片となった。


「……やるじゃないか」


「だろ」


梓が刀を使えると思っていなかったのだろう。

驚く実之に、ふふんと自慢げな表情を見せるのもつかの間。


「二人とも、来るよ!」


千歳の声のすぐ後、異形が迫り来る。


「応!」


「任せな!」


激しい切り合いと、異形の攻撃による衝撃で、周囲の瓦礫が飛散する。


「悪く思うな」


「え……うがっ!?」


実之が梓を蹴飛ばした。

美しい足さばきにより、なにも構えていなかった梓は吹っ飛ぶ。

一体急に何を、痛みに堪えつつも体を起こそうとする。

視界に入ってきたのは、腹から血を流して倒れている実之だった。


「実之!」


その向こうには、青年が妖しい笑みを浮かべて実之に掌を向けていた。

その手から微かに霊力の残滓を感じる。

恐らく、あの一瞬で術を使ってきたのだろう。

実之はそれに気づいて、梓を庇ったのだ。


「僕が何もしないとでも、思ってた?」


「……チッ」


実之は舌打ちをすると、すぐさま立ち上がる。

ツンとした鉄の匂いが漂ってきた。

それから、憂さ晴らしのように飛んできた瓦礫を蹴り返す。

先程梓を吹っ飛ばしたものと同じで、どうやら彼はなかなかに足癖が悪いらしい。


「おっと」


瓦礫は軌道を描いて青年の方へ飛んでいくが、青年は軽やかに身を翻してクスクス笑う。


「苛苛する……こんなもの、全部壊れてしまえばいい!」


その叫びと共に、実之の指が印を結ぶ。

瞬間、地面がドォンッと揺れた。


「うわっ」


「梓くん!」


慌てて倒れないようにバランスを取ろうとすると、駆け寄ってきた千歳に支えてもらう。


「爆ぜろ!」


実之が叫ぶと、眩い光が辺りを包んだ。

その眩しさに、一瞬目を閉じる。

轟音が響いた後、目を開けると異形の腹には大きな穴が空いていた。

実之が傷つけられたのと同じ箇所なのは、意図的だろう。


「なっ、これ実之がやったのか……」


「ひぇー、相変わらず凄まじいよね。ホント怒るとすぐそういうの使う」


小さな声で呟いたつもりが、実之には聞こえていたようだ。


「黙れ」


あの端正な顔が、酷く恐ろしい色をしている。

よほどご乱心のようだ。

だが、異形はこれほどの攻撃を受けてもまだ止まらなかった。


「もう、まだやるわけ?」


頭が割れそうなうるささの異形の咆哮に、千歳は顔を顰めている。

支えていた梓から手を離すと、千歳は再びあやとりを手にした。

ついでに先程飛ばした刀も回収して。


「ああ……気持ち悪い。でも、だからこそ潰しがいがあるよねぇ」


「チッ。面倒だな、もう消すか」


「だね」


淡々と会話しているが、二人の目に宿る強い衝動は見透かせる。

ここは二人に任せるべきだと、梓は身を引いた。

耳障りな声を上げながら接近してくる異形を二人は正面から待ち受ける。


「───────織彩六式、一糸不乱」


瞬間、視界に赤が弾ける。

境域の天井から勢いよく異形の体に突き刺さったのは、いくつもの糸だ。

一切その手で刀を振ることはなく、ただ子供の手遊びのようにあやとりをして、異形をいとも容易くひれ伏させている。

千歳のそれは、恐ろしさすら感じさせる術だ。


「もっと切り刻まねば」


実之が刀を構える。


「跡形もなく、全てを無に​─────生々流転」


一振り、二振り、三振り。

目で追うことすら出来ないような速度で、異形の手が足が、頭部が切り落とされていく。

腹を怪我しているというのに、それを微塵も感じさせないような動きだった。


「あーあ、神の御業だ」


青年は残念そうに見上げている。

ばらばらに分断された化け物は、ただの塊になって崩れ落ちていく。


「痛みは快楽。苦痛は悦楽。苦しみながら手折られる造花って、素敵だよね」


次々と無惨な肉塊が瓦礫のように地に落ちてくる。

千歳はその様を見て笑っていた。


「もっと……!もっと壊さなければ!」


これ以上どこを壊すというのかと聞きたくなるぐらいにぐちゃぐちゃになったのに、実之はまだ止まらない。

血の匂いはしなかった。

ただ、砂糖を煮詰めたような妙に甘ったるい香りだけが漂っていた。

凄まじい光景の中で、二人は楽しそうに踊っていた。


「アンタさ、本当に何者?」


梓は未だ空を仰いでいた青年にそう聞いた。

青年はすぐさま楽しそうな表情になる。


「俺に勝ったら教えてあげるよ」


「ふぅん」


梓は一歩前に出る。

すらりと刀を抜くと、迷うことなく青年の片腕を切り落とした。

ぼたり、と音を立てて肉が地面に叩きつけられる。

不思議なことに、断面から血が吹き出る様なことは無かった。

やはり彼は人外だ。

まさか梓がいきなり切りつけてくるとは思わなかったのだろう。

青年は呆然と何も無くなった片側を見て、ただ笑った。


「……容赦ないね。そういうのも嫌いじゃない」


「それで?反撃しないの?」


「言われずとも」


青年が残った片手で印を結ぶ。

その途端、空中から鋭い物が飛んできて梓の頬に一筋の傷をつけた。

たらりと流れる血を拭いながら、梓は飛んできたものを拾い上げる。

それは古びた刀だった。梓はそれを青年に投げつける。


「獄卒なめんなよ。悪いヤツには容赦しねぇからな」


「ふふっ、いい心がけだ」


青年は綺麗な太刀筋で梓の首を狙う。

迷わずそれを受け止め、跳ね返す。

キィン​──────という鋼がぶつかり合う高い音が響いた。

相手は片腕だというのに、両者の力は拮抗している。

互いに睨み合い、隙を探り、打ち込み合う。

何度もそれを繰り返していると、梓の背後に突如として陣が展開された。

青年の術だ。

回避する間もなく、術から放たれた鎖が梓の片腕を縛り上げる。


「っ、なんだこりゃあ!」


千歳の術と似ているが、これは拘束するというより、絞め殺す為の術だろう。

鎖が固く梓の腕を締め上げる。

一瞬、鋭い痛みに顔を顰めた。

そのまま陣の中に引きずり込まれるかというところで、梓は素早く自身の腕を切り落とす。

今度は本物の、真っ赤な鮮血が広がっていった。


「良いねぇ、その顔。綺麗だ、とてもとても綺麗だ。やはり君は僕の元にあるべきだ……」


恍惚とした表情の青年に思いっきり唾を吐く。

青年は気色の悪いことにそれすらも嬉しそうに受け止めた。


「余所見してんじゃねーよ、このヘンタイ」


梓はそう吐き捨てると、すぐさま飛び退いた。


「……っ!」


青年が梓の言葉の真意に気づき、背後を振り向こうとする。

しかし、時すでに遅し。


「梓くん!」


「梓!」


刃が二つ、青年の体に突き刺さる。

一つは腹に、もう一つは心臓に。

相当深くさしたようで、青年の体を貫通して刃の先はこちらに見えていた。


「ふふっ、これは卑怯じゃないかなぁ?」


青年の傷口からは、先程と同じように血は出ない。

だが、確実にその身体は機能を停止させていた。


「馬鹿言え。獄卒が罪人に情けをかけるかよ」


「ああ……いいね……その、表情……」


俺を信じたアンタが悪い。

梓はそう言ってしたり顔を向ける。

二人が刀を抜くと、青年の体は静かに倒れた。

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