第二話 初仕事
獄楽浄土の空は常に夕暮れである。
赤く染まる街は街灯が等間隔に並び、所々にある煉瓦造りや石造りの洋館が目を引く。
和と洋の入り交じった景色は、梓の生前ではフィクションでしか見れなかったものだ。
というのも、この世界を創り出したのは、人間の妄執と怨念である。
だから、この街は現世と同じ景色を映すというのだが、不思議なことに空は常に夕暮れで、時代も大正時代あたりからこれといって進歩はしていないという有様だった。
これに関しては、「創造主」が大正の世の生まれであるからだとかの諸説があるが、真偽のほどは定かではない。
「梓くんは、官舎の場所はもう知ってるかな?」
のんびりと三人で並んで坂を下りながら、千歳に尋ねられる。
結社の隣にある木造建築の官舎には既に訪れている。
梓の割り振られた部屋は、二階の角部屋だった。
「うん。でもここに来る前に荷物は置いてきたけど、特に荷解きはしてないんだよな」
「だったら、俺たちで手伝うぞ」
実之の提案に、梓は首を横に振った。
「いや、大丈夫。片付けるほどの荷物は無いから」
鞄ひとつ分とはいえ、持ってきたのは少しの衣類と生活必需品のみ。
物をあまり持たない主義、というわけではないが、わざわざ持ってくるのが面倒で処分したというのもある。
「そうか。ま、何か困ったことがあればいつでも言えよ」
うんうん、と隣で千歳が同意する。
「そうそう。隣人に壁を破壊されたり、窓を割られたりしたらすぐに相談してね……っあいたっ!」
「黙れ」
にこやかに笑ってとんでもないことを言うものだと思ったのもつかの間、なぜかすぐさま実之が千歳の脇腹に肘打ちしていた。
「んもう、なにするのさ。……僕は痛めつけられるより痛めつけたい派だって、何度も言ってるのにぃ」
梓にはよく聞こえなかったが、千歳は何やら小声でぶつぶつ文句を言いながら脇腹をさすっている。
対して実之は素知らぬ顔。
そんな壮絶な隣人トラブルがあって欲しくは無いが、二人のやり取りを見るからに経験済みのように思える。
「よく分かんないけどなんか物騒だな。ウケる」
そう笑ってから、あることに気づいた。
──────そういえば、自分の隣人は誰だっただろうか。
名前を確認した時に、変わった苗字だと思ったはずだが。
「……」
これは気づかない振りをした方が良いとすぐさま記憶から抹消した。
目の前の美男子がそんな破壊衝動持ちだなんて思いたくは無い。
きっと違う人の話だろう。
「梓は意外と楽観的なんだな。閻魔庁の書庫番をしていたんだろう?書庫番と言われるともっと硬派な印象があるんだが……」
千歳の言う通り、閻魔庁の書庫は死者に関する様々な情報が集められ、常に荘厳な雰囲気に包まれている場所だ。
機密情報の取り扱いには細心の注意を払わねばならない。
そういうわけで、書庫番は真面目で優秀な人物がほとんどだ。
梓が働き始めて日の浅いうちに配属された先としては、なかなか珍しい事例だと言えるだろう。
「書庫番っても、俺以外にも働いてる人はいたし、俺は補佐みたいなもんだったからね。色々あって書庫番の厄介になってただけで、俺が志願したわけじゃないからさ。楽観的なのは昔っからだと思うから、ま、よろしく頼むよ」
梓のように自由気ままにへらへら笑っている人は、どうしても硬派な書庫のイメージと繋がらない。
それは自分でもよく分かっていることだし、ワケあって配属されたと言えど、書庫の雰囲気にはなかなか慣れなかった。
「楽観的っていうよりも、浮世離れしてるっていうのかな。梓くんって不思議な雰囲気があるよね」
「ははっ、それよく言われる」
浮世も何も、ここにいる連中は全員死んでいるというのに、と梓は笑った。
「でもそれこそ、俺からしたら二人の方が浮世離れしてるように見えるけどな。特に実之。二人って、いつから獄楽浄土にいるんだ?」
閻魔庁にいたときは、生前に関することやどんな風に死んだのかは自己紹介がてら普通に話すようなフラットな話題だったが、それはこちらでも変わらないよう。
「俺は大正時代からだ。明治に生まれて大正の世で死んだ。享年は十八。死因は……まあ、見ればわかるだろうな」
「あぁ……確かに」
首元の白い包帯を見る限り、絞めたのか切ったのかは不明だが、そこが死因なのは間違いなかった。
その下の素肌がどうなっているのか、想像しないわけではないが、実之という美の中に唯一の欠落があるからこそ完成されるように思えた。
「僕は平成ぐらいかなぁ。享年は十七歳。梓くんと同い年だね。時代もそんなに離れてないと思うんだけど、ここにいると時間の感覚が狂っちゃうからちょっとズレてるかも」
「千歳って同い年だったんだ。歳上かと思ってた」
ちょっと挙動におかしなところがあったものの、彼の微笑みは陽だまりのような心地良さを感じさせる。
最初は気弱そうだとも思ったが、穏やかで落ち着いた雰囲気と言った方が正しかっただろう。
「でも僕には梓くんの方が年上に見えたよ。背も高いし、大人っぽいし。その黒髪もすごく良く似合ってる」
「ありがと。自分でも気に入ってんだよね。まあ、手入れは面倒なんだけどさ」
そう笑いながら、曲がり角を曲がった時だった。
「いたっ」
髪が何かに引っかかったようで、ぐっと体がバランスを崩して後ろに傾いた。
突然のことに驚き、思わず声を上げてしまった。
「どうした」
実之と千歳が怪訝そうな顔で振り返る。
「いやなんか、引っ張られて……」
そう言うと、ますます髪を引く力がぐぐっと強くなる。
「痛いって!なに、なんなん!?」
引っかかったのではなく、引っ張られているのだとようやく気づいた。
「わっ、ちびっ子だ」
千歳が梓の背後に周り、そう言った。
どうやら梓の髪を引いていたのは、子供だったらしい。
「お兄ちゃぁん……おいてかないでよぉ」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、高い声でそう言われた。
置いていくなと言われても、そもそも連れてきた覚えもない。
「ちょ、手放せって」
そう言うと、泣いていた子供はようやく梓の髪から手を離す。
くるりと振り返ると、小学一年生ほどの小さな女の子が、涙をこらえながら今度は梓の服の裾を引っ張ってきた。
「どうしよう、わたしのみょんたんいないよぉ。お家に帰りたいのに……」
何か探し物をしているようだ。
「迷子か?」
「ぽいね。死んだのに気づかないでさまよってるのかな」
全員で揃って首を傾げる。
全く見覚えのない初対面の子供だ。
髪は肩の上で切りそろえて、服はリボンのついたワンピース。
探し物がなかなか見つからず、通りすがりの梓たちに助けを求めたということだろう。
ひとまず落ち着かせようと、梓は屈んで目線を合わせる。
「よしよし、分かったから、そのみょんたんさんって何かお兄ちゃんに教えてくれる?」
少女はこくこくと頷いた。
「あのね、みょんたんはね、わたしのおともだちなの。いつもはふわふわでかわいいんだけど、ときどきすっごく大きくなったりするんだよ」
「……な、なるほど」
予想はしていたがなかなかに抽象的だ。
「なんだそれは」
「ぬいぐるみ、とかかな。ふわふわって言ってたし。でも大きくなるって何……?」
「子供は何を考えているのかさっぱりだな……」
ふわふわで可愛いとなれば、ぬいぐるみの類で間違いはないはず。
だが、時々大きくなるというのは一体どういうことだろうか。
梓はクマのぬいぐるみが巨大化して暴れる様子を思い浮かべるも、あまりにシュールな光景に何も言えなかった。
「とりあえず、結社まで連れていくか」
「ダメ!みょんたん探してよ!」
「お、おお……そうか」
さっきまで泣いていたのに、きっぱりとした口調で怒るものだから実之が気圧されている。
とにかく、そのみょんたんとやらを見つけない限り結社へ連れてはいけなさそうだ。
「お嬢ちゃん、今日は他に誰かと一緒に来たのかな?」
千歳の言う通り、死んだことに気づかないままこの世界に迷い込んでしまった可能性もあるが、同行者がいなかったか尋ねてみる。
少女は予想に反して、元気よく頷いてくれた。
「うん。お兄ちゃんといっしょ。あのね、わたしのお兄ちゃんはね真っ白な髪でかっこよくて、なんでも知ってる強いひとなんだよ」
「へぇ……そのお兄ちゃんはどこにいるんだい?」
「うーんとね、あっちの方で探してくれてるの。おっきい橋があったとこ」
「なるほどな、手分けして探しているのか。にしてもこんな小さな子から目を離すのは感心しないがな」
実之の言う通りだ。
この年頃の子供は目を離した隙にすぐにどこかへ消えてしまう。
少女が梓たちに目をつけたからよかったものの、良からぬ死者やあやかしの類に喰われてしまう可能性も少なくない。
─────それを防ぐために俺たちがいるんだけどな。
しかし、少女の言う兄の特徴がどうにも気になる。
「彼女の兄とやらに心当たりはあるか?」
「ないね。そんな目立つ容姿の人がいたら覚えてると思う」
千歳も怪訝そうに首を横に振った。
なんでも知ってる強い人、はともかく、白髪の少年もしくは青年ならなかなかに目立つはずだ。
人外も多くいるとはいえ、少女と血縁関係という意味での兄なら人間と仮定できる。
もちろん、少女がここは現世で兄も一緒にいると勘違いしている可能性も捨てきれないが。
「とりあえず、そのぬいぐるみっぽいのを探してみようぜ。もしかしたら、そのお兄ちゃんとやらもこの辺にいるかもだし」
まずは探し物を見つけることから始めようと、千歳も実之も頷いた。
「よし、お仕事の時間だね!」
本日の業務は、迷子の少女の落とし物探し。
時刻は既に昼過ぎ……ただし、世界は未だ夕暮れに包まれている。
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