獄楽浄土で逢いましょう

雪嶺さとり

第一話 獄楽浄土へ

獄楽浄土へようこそ。

あなたの死因は何ですか?




◇ ◇ ◇




西陽のさす木造の廊下を、一人の少年が歩いている。

銀の装飾が施された黒い軍服のような独特な衣装を身にまとい、同じ色の外套をはためかせている。

時折、立ち止まって窓に映る自分の前髪を確認したり。


​─────第一印象が大事だって言われたけど、この見た目じゃあなぁ。


なんて、上司に教わったことを思い出す。

左目が眼帯で覆われているものの、年齢の割に妙に大人びた顔立ちでどこか儚げにも見える。

ポニーテールにした黒髪は、歩く度にふわりふわりと揺れていた。

良く言えば、浮世離れ。

悪く言えば、派手もしくはチャラい。

閻魔庁の書庫番という地味な職業を前職としていたが、どこへ行ってもそう評されていた。


そんな彼の名は七条梓しちじょうあずさ

享年十七歳の少年であった。

そして今日から彼はらこの獄楽浄土の住人でもある。


あの世とこの世の狭間の世界。

人々の怨念と執念により生み出された、ワケありの死者やあやかしの集う、混沌の世界。

人ならざるものたちの為の場所、それが獄楽浄土だ。


「来たか」


少し先にある一室の前で立っていた男性が、こちらに気づく。

梓と似たような衣装だが、梓よりも背は高く、その硬い表情からして威圧感と風格を感じさせる。


「こんにちは、野々瀬ののせさん。へぇ、ここが俺の新しい配属先ですか!」


この世界は常に夕刻ではあるが、現世の時間に換算すると今は昼間。

梓はいつも現世の時間を基準にしているので、こんにちはの挨拶でいいのだ。

そうして、うきうきと声を弾ませる梓に対して、野々瀬と呼ばれた男性は無表情で頷いた。

それから、ガタリと立て付けの悪い戸を開く。

六畳ほどの部屋にいたのは、梓と同じ年頃と思しき少年が二人。

二人とも何か書き物をしていた最中のようで、突然入ってきた野々瀬と梓に驚いた顔になった。


「野々瀬さん、何かご用でしょうか?それと、そちらの少年は……」


緑がかった髪の少年が立ち上がって、野々瀬にそう聞く。

そのゆったりとした口調からして、どことなく気の弱そうな印象を受けた。


「本日付けで配属されることになった新人の七条梓だ。二人には、七条の教育係を任せることになった。よろしく頼む」


そう言って野々瀬は、手に持っていた書類をそのまま少年に押し付けた。


「えっ?えっ、でも……」


何も把握していないとばかりに、二人とも戸惑っている。

なにやら情報の伝達に遅れがあったようだ。

ともかく、ひとまず名乗ってからだろうと梓は一歩前に出る。


「どうも、七条梓です。死んで三年目、まだまだど素人の見習いなんでよろしくお願いします!」


「……」


一瞬で空気が冷えたのを感じる。

緑髪の少年からは困惑したような視線を、その奥にいる黒髪の少年からは刺すような冷たい視線が飛んできた。

彼がやけに整った顔立ちをしているものだから、その表情が余計に怖く見える。


「えっ、と……」


助けを求めるように黒髪の少年を振り返る緑髪。

黒髪の少年はすっと立ち上がり、こちらへ歩いてきた。

彼の耳元に飾られている、花結びの特徴的なイヤリングが揺れる。


「ちょっと待ってください、野々瀬さん。俺たちは引き受けるなんてそんなこと一言も……」


野々瀬はそこで彼の言葉を遮った。


「聞いてないからな。まあそんなに怒るな。それなりの報酬は約束する」


「そういうことじゃないんです!って、ちょっと野々瀬さん……!」


そのまま、これ以上取り合うことは無いというように踵を返していく。

少年は悩ましげに頭を抱えてしまった。

上官だから忙しいのは分かるけど抗議ぐらい聞いてやっても、と思ったが抗議の原因は自分なのでなんとも言えない。

ぽつんと三人だけ残された部屋は、どうにも気まずい。


「行っちゃったや……」


緑髪の少年は苦笑いになる。


「仕方ない、か。新人が来るとは聞いていたが、まさか俺たちのところだなんて思いもよらなかった。任された以上、最後までやり遂げるしかないだろうな」


その言葉で二人がこちらに向き直る。

彼の蒼い瞳が、梓のことを品定めするようにじっと眺めた。

珍しいその色に、思わず梓は魅入られたように見蕩れてしまいそうになる。

だがそれ以上に目を引くのは、彼の襟首からのぞく白い包帯だ。

幾重にも巻かれたそれは、生前の傷を隠すものだと考えて間違いはない。

この美しい人は、一体どんな死に様だったのだろうか……。


「七条梓といったな。俺は剣実之つるぎさねゆきという。禍憑結社まがつきけっしゃ特務課第三部隊所属だ。これからよろしく頼む」


「よろしく、お願いします……」


凛とした佇まいに、透き通るような声。

彼の名は剣実之というらしい。

世間ではあまり聞かないような、珍しい名だ。

見慣れない美男子の微笑みに、梓は妙な恥ずかしさを覚えた。


「僕は御守千歳みかみちとせ。僕も同じく第三部隊所属なんだけれど……あいにく、第三部隊は僕たち二人しかいないんだよね。そういうわけだから、君の教育係は僕たち二人で担当することになるんだ。どうぞよろしくね」


「えっ二人だけなん!?あっ」


思わず敬語を忘れてしまった。

今は二人だけなのかと思っていたが、ずっと二人だけだったとは。

特務課の第三部隊に配属とは聞いていたものの、人数までは言われなかったので想定していなかった。


「あはは、期待はずれだったらごめんね。それと、敬語じゃなくていいよ。僕たち歳も同じぐらいだと思うし。梓くん、って呼んでもいいかな?」


千歳の言葉に頷く。

千歳は教育係というより、友人のような関係を築きたいようだ。

その柔らかい微笑みは親しみを覚える。

梓としても、堅苦しいのはあまり得意では無いのでそちらの方が嬉しい。


「じゃあ俺は、千歳って呼ばせてもらおうかな」


それから、実之に視線を移す。


「アンタは実之っていう名前なんだな。珍しいよな、ちょっと武士っぽくて格好良い」


「当たり前だろう。生きてた時代が違うんだからな」


「あ、そっか」


実之は梓の生前よりも、もっと古い時代に生きていたということだ。

武士のようだとは言ったが、口調は現代と変わりはないので大正昭和当たりぐらいだろうか。

それにしても古いが、もし実之が今の時代に生きていれば、そのビジュアルなら芸能人になれただろう。


「それと、梓。特務課の業務について把握しているんだろうな?」


「一通りは。でも俺、今まで閻魔庁にいたから土地勘とか何も無いんだよな」


禍憑結社とは、混沌とした狭間の世界である獄楽浄土の治安を守るために、閻魔庁が設立した機関である。

具体的には、悪霊化して暴走する死者を鎮めたり、死者の魂を喰ったり悪行を働いたりするあやかしを取り締まったり。

現代で言うところの警察、地獄で言うところの獄卒のようなものだ。

その中でも特務課は治安維持にまつわる様々な業務を請け負う課で、通称として、なんでもやる課のように言われていたりする。

しかし、一通りの業務内容を聞いていても、獄楽浄土に足を踏み入れるのは今日が初めてなので役に立てるかどうかは断言できない。

本部の場所も、案内されてようやくたどり着いたぐらいなのだから。


「だったら、見回りがてら案内してあげるよ。どうせ僕たち暇だし」


千歳の提案に、それはありがたいと喜ぶが、ひとつ引っかかることがあった。


「えっ、でも暇って、さっき報告書みたいなの書いてなかったか?」


この部屋に入ってきた時、二人は机に向かっていて見るからに忙しそうだったはずだ。


「あっ、ああ〜、それは……」


なぜか途端に千歳が狼狽える。

あからさまに隠したいことでもあるかのように、慌てて机の上に広げてあった紙類をまとめて引き出しに押し込んでいる。

一体千歳はどうしたのだと首を傾げる梓を横目に、実之が机の上にあった紙を持ってきて見せつけた。


「見ろ」


紙だと思っていたものは和紙で、彼は墨で文字を書いていたのだった。


鮮やかに書き上げられた文字列は、まるで展示物のよう。


「うっわ、めっちゃ達筆じゃん!すげぇ……で、これって何?」


「知らんのか。写経だ」


そう言われて納得する。


「あー、お寺とかでやるやつ……その見た目でそれするんだ」


「どういう意味だ?」


梓の言葉に実之は眉をひそめた。

モデルみたいな顔で、筆を持って真面目な顔で文字を書いているのはなかなか意外だと言いたかったのだが、実之なら不思議と似合う気もする。

仏教の修行の一環らしいが、心を落ち着かせたり邪念を払ったりするのに効果があるらしい。

生前の習慣だったりするのだろうが、とにかく、書類仕事でないことは分かった。


「じゃあ、千歳は何書いてたんだ?」


「ぼっ、僕のは気にしないで!いや、ほんとなんでもないから!」


「……」


実之が千歳に白けた視線を送っている。

どうやら実之と違って梓には見られたくないことでもしていたよう。


(漫画とか描いてたのかな。中学ん時隣の席の奴がやってたし……)


特に追求する理由は無いので、言いたくないのならそれで良い。


「そ、それより早く見回りに行こう!ここにいたって、退屈でしょ」


千歳は椅子にかけてあった外套を引っ掴んで、話題を逸らすようにそう言った。


「そうだな。とりあえず、いつもの道順でいいか」


「じゃ、道案内頼むぜ」


獄楽浄土の街を歩くのはずっと楽しみにしていたことだ。

閻魔庁の書庫番だった梓がここに配属されることになったのは急な決定だったが、現世でも地獄でもない新しい世界に行けるのは、代わり映えのない日常を送っていた梓にとって願ってもみないことだった。


先頭を歩く千歳と実之についていく。

夕暮れの廊下は来た時よりも賑やかで、立ち止まって窓に映る自分を見る暇なんてなかった。

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