第8話 火の記憶

 最後に覚えているのは、燃え盛る火の記憶。

 今まで暮らしていた国が、住んでいた人が燃える、最悪の記憶。

 それより前のことはもうよく覚えていない。


 漠然と、幸せだったことは覚えている。でも両親のことも、お城での暮らしも、何に希望を抱いていたのかももう覚えていない。


吸血鬼バラド・ヴァンシュタイン。


 奴が現れたことで私の人生は一変した。


 家族や臣下、国民は全員殺され、私と世話係のモルド爺のみが生かされた。

 そして私はおぞましい吸血鬼へと姿を変えられ……幽閉された。


 恐ろしいことにその吸血鬼は私を妻にすると言った。どれほど私を侮辱すれば気が済むのだろうか。

 幸い子どもに手を出すほど愚かではなく、清い身体ではいられたが、いつあいつに汚されるのかと毎日泣いた。絵本で見たような王子様が助けに来ることを毎晩願った。


 まるで何百年にも感じる長い孤独。

 それはある日突然終わりを告げる。


 なんとあの吸血鬼が人間に討たれたのだ。

 吸血鬼を狩ることを生業とする吸血鬼狩りヴァンパイアハンター。彼らは当然吸血鬼の弱点を知り尽くしていた。


 化け物じみた力を持つバラドも、寝込みに弱点を突かれた事で、反撃する間もなくあっさりと死んだ。

 ようやくこの地獄も終わる。そう思ったけど、それは新たな地獄の始まりでしかなかった。


 彼らは物語に出てくる王子様なんかではなく……吸血鬼と同じく血に飢えた獣だった。


「おい。まだ吸血鬼がいるぞ」

「女の吸血鬼とは珍しい。少し遊んでから殺すか?」


 吸血鬼狩りヴァンパイアハンターが誇りある戦士だったのはもう昔の話だった。

 今は吸血鬼の落とすレアアイテムを欲しがるだけの傭兵集団と成り果てていた。



 私はひたすらに逃げた。

 洞窟に隠れ、街に潜み、夜道を駆け回った。


 しかし吸血鬼の優れた肉体を持ってしても吸血鬼狩りヴァンパイアハンターである彼らの追跡を完全に振り切ることは出来なかった。


 体も心も擦り切れ、モルド爺ともはぐれてしまった。

 今度こそ……本当に終わりかもしれない。


「ようやく見つけたぞ嬢ちゃん、大人しく捕まってくれや」

「……!!」


 声のした方向とは逆に駆ける。

 しかしそれを見越していたのかその方向にも吸血鬼狩りヴァンパイアハンターが待ち構えていた。


「くく、終わりだ」


 銀の剣を構える男。

 やっと解放され自由になったんだ、こんな所で死ねない……!


「クッ!」


 背中から羽を生やして高く跳び、剣を回避する。

 吸血鬼の力は大嫌いだけど使わなくちゃ生き延びられない。


「はは! やるな! だがもうずっと血を飲んでないのだろう? いつまでもつかな!?」

「うるさい……黙れ……!」


バラド公が生きている時は、奴から血の魔力が分け与えられていたので、血を飲まなくても大丈夫だった。だが奴が死んだことでその供給は止まった。私の喉は血に飢えていた。


 街に潜んでいた時に血を吸うチャンスはあった。

 モルド爺にもそれを勧められた。


 だけど私が血を吸った相手は、吸血鬼の眷属、食屍鬼グールになってしまう。


「誰にも私と同じ思いはさせない……」


 他人を化け物にするくらいなら死んだ方がマシだ。

 それだけが私を吸血鬼にしたバラドに対する、ささやかな反逆だった。


「他人を吸血鬼にしたくないとは見上げた心意気だ。だが」


 ひゅん、という音と共に足に走る衝撃。

 見れば足に矢が刺さっていた。ご丁寧に矢じりには銀の塗装が施されていた。


「ひゅう、命中」


 岩陰からもう一人の吸血鬼狩りヴァンパイアハンターが出てくる。伏兵は一人じゃなかったのだ。


「ぐ……っ」


 痛みに顔を歪めながら矢じりを折り、矢を抜く。

 吸血鬼の力で傷はふさがるけど、銀の効果で強い痛みが残ってしまう。これじゃあもう満足に走ることは出来ない。


「こんな……ところで……」

「もう諦めな嬢ちゃん。一度吸血鬼になった人間は元には戻れない、生きてても辛いだけだ。死を受け入れるんだな」


 こいつらの言うこともあながち間違っていない。

 今は抑えられている吸血衝動も、いつかは耐えられなくなる可能性が高い。そうなれば私は人類の敵となるだろう。


 頭ではそう分かっている。でも私は……それでも生きたかった。


「たすけて……」


 抑えていた心が、言葉が口から漏れる。


 分かっている。この世界は物語じゃない、助けてくれる王子様なんて現れない。

 だけど……言葉にせずにはいられなかった。


「ここまで逃げた褒美に一撃で殺してやろう。痛みはない、安心しな」


 振るわれる銀閃。

 私は目を閉じて痛みに備える。


 でも……いくら待っても痛みそれは訪れなかった。


「え……?」


 ゆっくりと、おそるおそる目を開ける。

 すると振るわれた銀の刃は、私のすぐ近くで止まっていた。


 それを止めていたのは黄金の刃。

 見とれてしまうほど綺麗な剣だった。


 そしてそれを持っていたのは……黒い髪をした青年だった。

 まるで絵物語から出てきた王子様のような彼は、私を見て安心したように笑う。


「良かった。間に合ったみたいだな」


 分からない。

 この人が誰なのかも、なんで助けてくれたのかも。


 でも――――私の鼓動は今までにないほど、速く、熱く脈動していた。

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