第17話
この日英治は所属事務所アップフラックスの会議室に呼ばれていた。「チーム英治」の会合である。
無事、医者からも活動再開のお墨付きをもらったため、来月の活動再開に向けて打ち合わせをするためだ。
「えっと、まずBIBIの撮影と、ラジオ、あとCMですね」
西村くんはそう言いながら相変わらず個性的な字でホワイトボードに書き出した。 前より少し読みやすくなったのは楓の指導の賜物なのだろうか。
「CMは今は休止前に撮った奴を流してて、春先に出来れば新しいのを撮りたい……って話だったっけ?」
楓が西村くんに尋ねると、即座に西村くんが答える。
「はい、どの企業さんも英治さんを継続して起用したいと仰って下さってます」
英治の現在のCMはチョコレート、栄養ドリンク、化粧水の3つだった。
楓は西村くんの言葉に頷く。
「そう、じゃあ担当の方に事前に復帰のお話しておいて。くれぐれも内密に、って伝えておいてね」
今度は西村くんが楓の言葉に頷き、そのまま言葉を続けた。
「で、新しい活動としては、ファンクラブの設立と公式SNS開設、動画サイトのチャンネル開設を考えています」
西村くんはホワイトボードの右半分にファンクラブ、SNS、動画サイト、と書き始めた。
「SNSはまず僕が英治さんのオフショットなどを更新しようかと思ってます。何か英治さんが書きたいことあればたまに登場してもらって」
ここまで話して西村くんは恐縮したように言った
「ファンクラブと動画サイトについてはまだ具体的なイメージがなく……」
「どう?英治。何かやってみたいこととかある?」
楓は英治に話を振った。
「んー……特にこれと言ってやりたいことはないんだけど……」
英治は遠慮がちに口を開いた。
「ファンのみんなが俺にやってほしいことをやりたいかな。ラジオで募集してみるとか……」
英治の言葉を聞いて楓と西村は顔を見合わせて笑顔になった。
「え、俺何か変なこと言った?」
英治は不安そうに言った。
「ううん、西村くんともね、英治ならファンのやってほしいことをやりたいって言うんじゃないかな、って話してたの」
「でも、そっか、ラジオで募集……は良さそうですね」
西村くんはラジオのところに「英治さんにやってもらいたいことを募集」と書き足した。
楓は英治が驚いたように目を丸くしていることに気づいた。
「どうかした?英治」
「あ、ううん」英治は我に返ったように言った。
「自分で色々決められる、って楽しいんだな、って思って」
楓はその言葉を聞いて罪悪感を覚えた。
「今まで全然自分で決められなかったもんね……申し訳ない」
楓がチーフになってから少し変わったが、STARSの時代はほとんど英治に決定権はなかった。
英治は慌てて首を振る。
「あ、ううん、俺も周りの大人が決めてくれた方が楽だと思ってたんだけど、何かこうやって自分の言葉が企画に繋がってく、って大人になったみたいで嬉しいな、って」もうおっさんだけど、そう最後に自虐を加えつつ、英治は笑った。
「これからはやりたいことどんどん言って」楓は少し微笑んで言った。
「……まぁ、スポンサーとのしがらみとか、コンプラとか、やりたいようにならないことの方が多いんだけどね」
「……かえでちゃん、目が笑ってない、コワイ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一通り企画が出尽くしたところで楓が口を開いた。
「じゃあファンが英治にやってほしいことをやる、ってことは、その前に苦手意識は払拭しておかないといけないよね?」
「ん?苦手なもの?……そんなものないよ?」
英治は明らかに楓から目を逸らして言った。
「そう、良かった。川島先生が英治に会いたいって言ってたから今から行きましょう」
「川島先生!?」
英治は明らかに狼狽えた。
ジョン川島はアップフラックス所属のタレントにダンスを教える講師である。
元々アップフラックスでアイドルをしており、30歳で引退。その後20年以上講師として若手アイドルをしごいてきた鬼講師として有名である。
英治ももちろん例外ではなく、ことごとく「指導」をされた。
――英治、遅れてる!ちゃんと曲聞け!!
――英治!お前何だそれは!酔っぱらってんのか!!フラフラすんな!
……思い出すだけで涙が出そうだ。
しかもSTARSのメンバーで怒られていたのは英治だけだったのだ。
他のメンバーは英治が怒られているのを見て呆れていた。
正直「ダンス」と聞くだけで背筋がぞわっとしてしまう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アップフラックスの事務所の1階にはスタジオがある。普段はタレントの練習用に使われることが多いが、最近はそこで子供向けのダンススクールも開講している。
たまにタレントとすれ違うこともあるため、ミーハーな親子にとってはたまらないらしく、常に定員オーバーで受講には抽選が必要らしい。
川島は今小学生低学年向けのダンスレッスンをしている時間だという。
楓と西村に連れられ会議室からスタジオに移動する道中、英治は注射を待つ子供のような顔をしていた。
それにしても、あの先生が一般の小学生向けのレッスン……親からのクレームが殺到するんじゃなかろうか……
英治がそんなことを思っているうちにスタジオに到着した。
ガラス張りになっているため、中の様子を窺うことが出来た。
英治は目を疑った。
そこにあったのは満面の笑みで子供たちにダンスを教えている川島の姿だった。
……え?噓でしょ?本物?そっくりさん?
英治が呆然として川島を見ていたら、目が合ってしまった。
川島の目がギラっと光ったと思ったら、獲物を狙うハイエナのように英治に向かって走ってきた。
「英治!!!」
英治はそれを見て全速力で逃げ出した。
「英治!!!Why? 何故逃げる!!」
「そんな怖い顔で追いかけられたら誰でも逃げます!!!」
と言った次の瞬間、ぐっと英治の腕を掴むものがあった。
後ろから追いかけてきた西村くんだった。
「英治さん、廊下走っちゃダメです!!!」
「いや、そこ!?てか、西村くんも走ってたでしょ今!!!くそう、若者足早い!!!」
英治は観念して川島と向き直った。
「……川島先生、ご無沙汰してます」
「……英治、来なさい」
川島は英治の腕を引き、スタジオの中に戻っていった。
「はーい、みんなごめんね、お待たせ」
川島は英治が聞いたことがない優しい声で子供たちに話しかけた。
「今日はみんなにダンスを教えてくれるもう一人の先生を紹介します、このおじさん知ってるかな?」
「え!?」
英治は突然の紹介に驚いた。
「わー、英治だ!!!」
「甘宮の人だー」
「もう元気になったの?」
英治人気は小学生にも通じているようだ。
「宮本英治です、こんにちは。もう元気だよ、ありがとう」
英治は観念して、笑顔で子供たちにあいさつした。
「あの、先生、俺、ダンス教えたことない、というか、ダンス下手くそなんですけど」と英治は小声で川島に耳打ちした。
「はい、じゃあさっきみんなに踊ってもらったダンス、英治先生にも踊ってもらうからみんなで見ましょうね」
川島は英治を無視して子供たちに声を掛けた。
子供たちは無邪気にはーいと返事をしたが、英治の頭の中には「絶望」の二文字が踊っていた。
――あぁなるほど、これはあれだな。子供たちの前で踊らせて、「これは悪い見本だからみんな真似しないようにね」ってなる奴だな、きっと。
いいんだ、いいんだ、どうせ俺はピエロさ……。
STARS時代にすっかり身についてしまったネガティブ思考が顔を出す。
曲がスタートする。
あれ……この曲……。英治はイントロを聞いてすぐ気づいた。
その曲はSTARSのデビュー曲「Shooting STARS」だった。
この子たちが生まれたか生まれないかくらいの時の曲ではあるが、基本的な振り付けが多いからのチョイスだろう。
特に川島に怒られた記憶のある曲だった。
振りは嫌でも体に染みついている。
――気づいたら音楽が止まっていた、その代わりに子供たちの拍手が聞こえてきた。
「すごーい!!!」
「かっこいい!!!」
「はい、みんなどうだったかな?みんなのダンスとどこが違うか、分かる人?」
子供たちは口々に思ったことを言っていった。
「止めるところをちゃんと止めてた」
「全然ふらふらしなくてすごい」
相手は小学生とはいえ、ダンスが好きな子供たちだ。
褒められるのは素直に嬉しい。
「そうですね、英治先生、このダンスを踊るときに気を付けているところは?」
川島は子供たちの答えに頷きながら英治に話を振った。
「あ、はい、しっかりお腹に力を入れることと、あとは音をちゃんと聞いて動くときと止まるときを気を付けています」
子供たちにわかりやすいように言葉を選びながら英治は答える。
川島に何百回何千回と言われたことだった。
今日楓がここに連れてきた意味に英治は少しずつ気づき始めた。
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