第16話
英治は緊張した面持ちで、右足、左足と体組成計に乗せた。
トレーニングを開始して一か月の体重測定である。
ピピー
「……75キロ!!」
5キロの減少である。現に英治の顔は以前のようにすっきりしており、お腹も立っていればほとんど目立たないまでになっていた。
「ブンちゃん、凄い!凄いよ!!」
英治はブンちゃんの手を両手で握り喜びを露わにした。
「ううん、英治が頑張ったからよ」
ブンちゃんも恍惚とした顔で英治を見つめていた。
「……あの……お取込み中すみません」
楓が遠慮がちに言った。
「わっ、かえでちゃん……と西村くん!いつの間に」
英治がブンちゃんの手を放し、声のする方を見ると楓と西村が立っていた。
「ちょっとぉ、少しくらい外で待たせておきなさいよぉ、折角二人っきりの時間を満喫してたのに」
ブンちゃんは二人を部屋に通したアシスタントに対してあからさまに不機嫌を露わにした。
「いや、外寒いので、お待ちいただくのもと思いまして……」アシスタントは恐縮した。
「……ブンちゃんが我々を呼んだんでしょうが」
楓はブンちゃんの傍若無人ぶりに若干呆れていた。
ブンちゃんは軽くため息をついて、楓と西村くんの顔を見た。
「で?お願いした件の準備は出来てるの?」
「はい、先方の編集長のOKは口頭で取れています。後は英治さんの意向を確認したら正式に進めようと」
西村くんが答える。
「さっすが出来るマネージャーね!英治の意向はもちろんオッケ……」
「ちょ、ちょっと待って、何の話!?」
英治は自分不在で話が進もうとしていることに気づき、慌ててブンちゃんの肩を掴んだ。
「……ブンちゃん、まだ英治に説明してないの?」楓がブンちゃんに尋ねる。
「だって誰が考えたってこれが一番いい方法でしょ?それにタレントに仕事の説明するのはマネージャーの仕事じゃないの?」
煽るような言い方にカチンとは来たが、ブンちゃんの言うとおりだ。
楓はため息をついて、英治に企画書を渡した。
「BIBIの表紙・巻頭グラビアとロングインタビュー?」
BIBIは女性に人気のある情報誌だ。英治もドラマのプロモーションなどで度々表紙を飾っている。
「英治の復帰の仕事にどうかと思って。撮影は来月。STARSの解散や今後のこととか語れる範囲で語ってもらう。あと……」
「ちょっと待って、ここに『宮本英治が肉体美を披露』て書いてありますけど!?」
「そ、英治には脱いでもらうの♡」
楓が答える前に、ブンちゃんが嬉しそうに言う。
「ぬ……!?」
「英治、落ち着いて、脱ぐって言っても全部じゃないから、上半身だから」
「そうよ、フルヌードなんて私が許さないわよ」
「ちょ、かえでちゃんもブンちゃんも、俺が気にしてるのそこじゃないから!!!西村くんも何か言って!!」
「編集長も『英治の復帰仕事がウチなんて、今から楽しみ』と仰って下さってます!」
西村くんは目をキラキラさせながら答えた。
「そうじゃないー!!ダメだ、こいつらみんなおかしい」
英治は普段しないツッコミ役に回ったせいでどっと疲れが出てその場にへたり込んだ。
「あのね、皆さん」
英治は改めて言う。
「俺、ダイエット中ですけど、まだ全然脱げる状態じゃないです」
「そんなこと私が一番良くわかってるわよ。撮影は来月よ」
ブンちゃんがさも当然かのように言った。
「でも、その、来月までに痩せられなかったら、とんだ大恥を……」
英治の言葉にブンちゃんの顔色が変わる。
「んなわけあるわけねぇだろうが、死ぬ気でやれよ」
「ブンちゃんこないだと言ってること違うよぉ、いつまでに痩せないととか考えなくていい、って言ったじゃん……」
英治は涙目で怯えながらも反論した。
「あれは英治が一か月で10キロ痩せるとか言ったからでしょ?ここまで順調に来てるから、こいつらに相談してこの仕事取ってきてもらったの」
ブンちゃんは顎で楓と西村くんを指す。
「それに、あんな記事が出て……私の芸術作品をコケにしやがって……」
ブンちゃんは未だに週刊誌の記事を根に持っていた。
「いい?英治。今の体形でもたぶん普通に復帰出来ると思う。英治のファンならきっと受け入れてくれる。でも正直世間へのインパクトに欠ける。完璧な姿で登場して周りを圧倒させられれば、凄くいい話題作りになると思う」
ブンちゃんは鼻息荒く言った。
「ブンちゃんにこういういい企画を持ち込まれてマネージャーとしては恥ずかしい限りだけど、私も賛成なの。あの週刊誌の記事も払拭できる。もちろん英治が嫌っていうなら止めよう」
楓もブンちゃんの言葉に続ける。
「……そんな風に二人に言われたら嫌って言えないじゃん……」
楓は座り込んだ英治の目線まで腰を落とす。
「英治はここまで大好きなお菓子も我慢して頑張ってきたんでしょ。あとちょっとだけ頑張ろう。英治なら出来る。万が一ダメだったら私たちも謝るから」
「かえでちゃん……」
英治がダイエットを始めた翌日、西村くんが大きな段ボール箱を事務所に持ってきたことを楓は良く覚えている。
聞けば英治が寄越したものだという。家にあると食べちゃう、でもお菓子に罪はないから捨てられない、だから事務所のみんなにあげる、と。
英治らしくてほほえましいと思いつつ、それだけ英治は本気だったのだ。
「ちょっと、松島!あんた自分だけいい顔して!!」
ブンちゃんは慌てて楓を英治の前から引きはがした。
「いや、別にいい顔っていうか……」
仕事なんだけどなぁと言いながら、私情が入っていないかと言われれば嘘になる。
「……うん、分かった、やる。頑張る」英治はまだ自信なさげに頷いた。
「英治、私が引き続きサポートするから大丈夫よ♡安心して」
ブンちゃんはトレーニングの準備をし始めた。
「じゃあ、僕は早速事務所に戻って編集長に連絡してきます!」
西村くんはジムを出る用意をする。
「英治」
楓は二人が目を離した隙に英治に小声で呼びかける。
英治は不安げな顔をしたまま楓を見る。
そんなに効果があるとは思えないし、恥ずかしいけれど、少しでも「ニンジン」になるのであれば。
楓はそう思って声は出さずに口の形だけで「ご・ほ・う・び」と言った。
自分で言ってて顔が赤くなるのを感じた。
英治は一瞬きょとんとした後に、楓の言葉の意味が分かったらしく子供のようなキラキラした笑顔になった。
効果はあったようだ。
「ブンちゃん、トレーニング何するの!?」
英治は立ち上がり、ブンちゃんを追いかけた。
「お、英治ようやくやる気になってくれたの?じゃあまずいつも通りエアロバイクでウォームアップかな」
「うん、俺頑張る、シックスパック目指す!」
「そ、そう……今の言葉録音しとこうかな……」
ブンちゃんは英治の突然の変わりように驚きながらも英治のやる気に火がついて一安心しているようだ。
「……英治のバーカ」
楓は誰にも聞かれない声で悪態をつき、自分も帰り支度を始めた。
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