第9話
その会議室に来たのはSTARSの騒動の時以来だった。
楓と西村くんは英治のマンションの会議室で英治を待っていた。
時間は14時5分、約束の時間を5分過ぎている。
「僕、部屋まで見に行ってきましょうか。」
西村くんが立ち上がりかけたその時、会議室の扉が開いた。
英治だった。パーカーのフードで隠しているが、ボサボサの髪で無精髭。頬から顎にかけても脂肪がついてしまったように見える。
西村くんが驚きからか楓を見たが、楓はそれをテーブルの下の手で制した。
「英治、時間くれてありがとう。」
楓は英治を真っすぐ見て優しく微笑んで言った。
「まず」
「本当にごめんなさい」楓と西村くんが同時に頭を下げた。
「え……?」英治は面食らった。
「私達が至らないせいで、英治にだけ辛い思いをさせた」
英治は小さく首を振る。
「まず、どんな選択肢を取るにしても、英治にはゆっくり休んでほしいの」
「……活動休止、ってこと?」
英治は消え入りそうな声で言った。
楓は頷く。
「次のことは元気になってから考えればいい」
「でも……」
「西村くん、アレ出してもらえる?」
楓は英治の言葉を待たずに西村くんに声を掛けた。
西村くんは頷き、一つのファイルをカバンから出し、英治の前に置く。
「これ全部英治さんあてのファンレターなんです」
厚さにして約3cmほどあった。
「STARSの騒動の後に来たものを西村くんにまとめてもらったの。このご時世にファンレターよ。しかもこんなにたくさん」
英治は恐る恐るページを捲った。
「英治さん、ドラマいつも見てます。大変だと思いますが、英治さんは俺の憧れです。これからも応援しています!」
「英治くんの笑顔を見てると明日も頑張ろう、って思えます。ソロになったとしてもずっと付いていきます。」
「ドラマ最終回の甘宮さん、ちょっとぽっちゃりしてましたがそれも可愛いって思いました笑 どんな英治さんでも応援してます。」
「辛そうな英治くんを見ると私も悲しいです。ドラマが終われば、ちょっとはお休み出来そうでしょうか。あんなことがあったのだから、時間が掛かってもいいから元気になれますように。」
そこから先は涙で読めなかった。
「人数が違うから物理的にSTARSと同じことは出来ないかもしれない。でも英治は一人じゃないよ。ファンのみんながいるし、私達もいる」
「……俺……」
嗚咽をこらえながら英治が言った。
「ここにいてもいいの?」
「当たり前でしょ?どこか他に行きたいところでもあれば止めないけど?」
楓がいつもの嫌味な口調で言う。
英治は何度も首を振った。
「俺、やっぱりアイドルやりたい」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、でもしっかりした声で言った。
「うん、まず休んでからね。お医者さんのところ行って」
楓は優しく諭すように言った。英治は頷く。
「これ……持って帰ってもいい?ちゃんと全部読みたい」
英治は鼻をすすり、どこか恥ずかしそうにファンレターの入ったファイルを抱えた。
「あげる、それ」楓は笑って答えた。
「それ、コピー取ってあるんで」西村くんも笑って続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ご報告
平素、弊社所属タレント 宮本英治に多大なる応援を頂き誠にありがとうございます。
宮本英治は現在体調不良のため、静養に専念し当面の間芸能活動を休止することをご報告致します。
ファンの皆様や関係者の方々におかれましても、何卒ご理解頂き、静かに見守って頂けますと幸いです。
……
ふーっと楓は息を吐いた。
あの後、すぐ事務所に戻ってきて、英治の活動休止にあたる準備を進めているのだ。社長にも報告を入れた。後は関係各社に送るのみだ。
「英治さん、大丈夫ですかね」
西村くんが不安そうに楓に声を掛けてきた。
「私達に出来ることは、大丈夫だと思って信じることだけよ」
楓はいつもの涼しい顔を崩さずに言う。
「……そうですね」
「西村くんは英治が復帰したときのために、まずはファンクラブの準備からね」
楓はいたずらっぽく笑った。STARSのファンクラブは事実上閉鎖されたので、現在英治のファンクラブも存在しないのだ。
「あ、そうかファンクラブ!僕企画考えます!」
西村くんにも笑顔が戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
馬鹿みたいに泣いたせいか、帰宅したら久しぶりに眠気が襲ってきた。
目が覚めるともう朝だった。ちゃんと朝まで寝れたのはどれくらいぶりだろう。
ふと英治が周りを見渡すと寝室には服が散らばっている。
部屋の乱れは心の乱れ、とはよく言ったもので、騒動以来、部屋はどんどん荒れていき、帰ってくるのも楽しくなくなった。
ただ狂ったように食べ、眠れない夜に耐える生活。
とりあえず起きて部屋の掃除をしよう、英治は体を起こした。
体が重い。
顔を洗おうと洗面所に向かい、ふと顔を上げて鏡を見てしまった。
太ったと指摘されるようになってから、意識的に鏡を見ないようにしていたのだ。
……は?
誰このみすぼらしいおっさん……て、俺じゃん!!!
そんなセルフ突っ込みをしながら、英治は愕然とした。
伸びきったボサボサの髪に無精ひげ。
肌には吹き出物が出来、頬と顎についた脂肪のせいで顔の余白が多く見える。
そしてたるんだお腹。
英治は別にナルシストではなかった。むしろ自分の顔が何故かっこいいと言われるのか良くわからなかった。ただたまたまこういう顔の人間がいなかったから珍しくて目に留まっただけだろう、そう思っていた。
だからこそ出来るだけ清潔感は保とうと思っていた、今の自分には清潔感のかけらもなかった。
こんなおっさんがアイドルやりたいとか、お笑いでしかないだろ……。
かえでちゃんも西村くんもよく笑わずにいられたな……。
英治はそんなことを自虐的に思いながらふらふらとリビングに向かった。
今からでもかえでちゃんに連絡して「やっぱり辞める」って言おうか。
いやいやいや、それはカッコ悪すぎる。
自分の中で一通り葛藤していると、テーブルの上の黒いファイルが目に入った。
昨日持って帰ってきたファンレターだ。
もう一回ファンレターを読んで心を落ち着けよう……英治はそう思いファイルを手に取った。
すると一枚の紙がはらりとファイルからすり抜けた。
ファイリングされていないものがあったのだろうか。
英治がそれを拾い上げるとそれはファンレターではなかった。
「英治さん復帰後のプラン
・俳優活動 引き続きやってほしい!
・歌手活動 英治さんは歌も上手、ギターも上手。他アーティストとのコラボ?
ダンスは好きじゃないと英治さんは言ってますが、ダンスもやる?僕は好きです。
・リポート業・司会業 スタッフの方から英治さんの受け答えの評判は高いです。
おいしいもの食べる仕事とか?英治さん楽しいかもしれないです。
……」
恐らく西村くんの字だろう、とても個性的な文字でA4の紙にびっしりと今後の英治にやってほしいことが書かれていた。
紙の右上には水色の付箋が貼られており、そこには几帳面さが全面に出た文字が書かれていた。楓の字だ。
「案出しありがとう。この話は英治が元気になってからにしましょう。そして、読みにくいことこの上ないので、その時までにパワーポイントにするかペン習字を習ってください。」
楓は一体このメモをどんな顔をして書いたのだろうか、そしてその指摘を受けた西村くんはどんな顔をしたのだろうか。
それを想像して英治はふふっと笑った。こんなふうに笑ったのも久しぶりかもしれない。
「はぁ……頑張るかぁ……」
英治は観念したかのように、あるところに電話を掛けた。
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