第8話
1月3日のオフィスには松島楓がいた。
せっかくゆっくりできる年末年始だからと実家に帰ったが、案の定「結婚は?」「子供は?」と怒涛の質問攻めに遭い、全くゆっくりできなかった。
元々は1月3日まで実家にいる予定だったが「STARSの残務があるから」と逃げるように東京に戻ってきたのである。芸能界に疎い実家の両親もさすがにSTARSの騒動は知っている。英治ファンの母親は殊更に「英治くん可哀そう」と繰り返していた。
親にはああいったものの、特に今日やらなければいけないことがあるわけではない。
楓はここ最近できていなかったデスク周りの整理をしていた。
積み上げられた「甘宮」関連の資料。企画書や原作本、プロモーションで出た雑誌の数々――。
「スイーツ探偵 甘宮」は何とか最終回放映にこぎつけた。
評判は上々ではあったが、一部の敏い視聴者は英治の様子のおかしさに気づいたようでネットがざわついていた。
最終回の後、楓は改めてプロデューサーの相田のところへ行った。今回のお礼とお詫びである。
「松島ちゃんが謝ることなんてないよー。かなり視聴率も良かったし」
相田はいつもの困ったような笑顔で答えた。
「それより、英治くん大丈夫?」
「それが……すみません、相田さんにご指摘頂かなかったらもっとひどい事態になっていたかもしれません。マネージャーとしてお恥ずかしい限りです」
楓は頭を下げた。
「いやいや、松島ちゃん頭上げて。俺も出過ぎた真似しちゃったかな、って反省してて。英治くんと松島ちゃん、あの後あんまり喋ってなかったから」
忙しいはずなのに、周りのことをきちんと見ている。これが敏腕プロデューサーと言われる所以なのだろう。
「それにしても、英治くんてホントいい子だよね、あ、もう30の大人に『いい子』は失礼か」
若いころから知ってるとどうしてもね――そう言って相田はまた笑った。
「もう少し我がままでもいいんじゃない、とは思うけど、マネージャーに対してはちゃんと我がまま言ってるのかな?」
「昔はよく言ってましたよ、愚痴みたいなものですけど。朝早い仕事は嫌!とかこんなピエロみたいなことしたくない!とか」
楓は苦笑しながら言った。
「はは、英治くんも人の子だね。良かった。安心した」
相田はそう言って時計を見た。
「ごめんね、俺そろそろ行かないと」
楓はまたお辞儀をして「お忙しい中お時間頂きありがとうございました」と相田に言った。
「英治くん元気になったらまた仕事しようね、じゃあよいお年を!」
相田は笑顔で手を振って去っていった。
そんな相田とのやりとりを思い出して、楓は改めて今までの自分の英治への態度を思い出していた。
思い返すと英治は――恐らくSTARSの騒動から―泣き言を言うのを止めた。
西村くんと同じだ、言い出せない雰囲気を感じたのだろう。
私は自分のことでいっぱいいっぱいで、そんな様子に気づくことが出来なかった。
それどころか外部の人に仕事の至らなさを指摘された恥ずかしさから、英治にきつく当たってしまった。それをいかにも「自分の仕事」かのように。
自分で偉そうに西村くんに言ったんじゃないか、「マネージャーの一番大事な仕事はタレントの健康管理」だって。
それを一番できていなかったのは私だったんじゃないか。
――そこまで考えて楓はため息をつく。
私は新年早々何故こんな暗いことを考えているんだろう。
ただ、英治がこんな状態では、年が明けたことを喜べる状態ではないのも確かだった。
楓はスマホを手に取る。
電話してみようか――まだ寝てるかな――私と話したくなんかないよな――
そんな考えをぐるぐる繰り返して、あっという間に30分経っていた。
そんな中学生のような自分に楓は苦笑し、まずショートメッセージを送ることにした。
「明けましておめでとう」
まぁ、返事は来ないよな。
そう思って、スマホを置こうとした瞬間にスマホが振動した。
「かえでちゃん、おめでとう」
短いメッセージが来ていた。
あれだけ悩んでいたのに、そのメッセージを見た直後スマホの電話帳から彼の名前を探していた。
数コールが永遠のように感じた。
電話は嫌だったかな、掛けた後で若干の後悔が押し寄せてくる。
もう切ろうか、そう思ったときにコールがぷつっと切れ、弱弱しい声がした。
「かえでちゃん……?」
「英治……」
あまり元気そうではないがとりあえず出てくれたことに安堵した。
「どうかした?」
「あ、いや、その…」
衝動的に電話を掛けた、とは楓は言えなかった。私は彼女ではないのだ。
「年始のご挨拶をちゃんとしようかと。明けましておめでとうございます」
我ながらごまかし方が下手だ、楓はそう思った。
「うん、明けましておめでとう」英治は答える。
「英治、ごめん、こないだ、ちゃんと英治の話を聞けなかった」
唐突すぎるし何もまとまっていない、こんなの私らしくない、楓は思ったが、止まるわけにはいかなかった。
電話口でしばらく沈黙が続く。やはり脈絡がなさすぎて理解不能だっただろうか。
楓がそう思っているうちに声が聞こえてきた。
「ううん、俺がちゃんと話そうとしなかったから。かえでちゃん…怒らないで聞いてくれる?」
英治の声が震えている。泣いているのだろうか。
「うん、もう怒らない、こないだはごめんね」
楓は子供をあやすように優しく声を掛けた。
「俺もうダメかもしれない。一人でやっていける自信なんてない」
「うん、それで?」
楓は相槌以外は何も言わずに英治の話を聞き続ける。
「4人がいなくなって、みんなを不安にさせないように俺がちゃんと頑張んなきゃ、て思ってたんだけど、段々眠れなくなって。いつもみたいに美味しいもの食べたら回復するかと思ったけど、食べても食べても満たされなくて。お酒飲んでも苦しくなるだけで、俺、もうどうしたらいいのか分かんなくて」
英治の悲しさ、苦しさが一気に自分に流れ込んでくるようで、楓は胸が詰まった。
「うん」
「色んな人に心配されるし太ったって言われるし、ちゃんとしなきゃ、って思うほど、どんどん自分が嫌になって」
「うん」
「きっと4人だって俺が嫌になったからいなくなったんだよ。だから俺なんかが頑張ったって、結局ダメなんだよ。もうダメだよ」
その後はもう声にならなかった。しばらく英治の嗚咽だけが電話口に響く。
「英治…」
楓が口を開いた。
「辛いならもう頑張らなくていい。辞めてもいい。辞めてもいいんだけど……」
「その前に見てほしいものがあるの。来週時間もらえるかな」
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