第7話

「――そっか。遅かったか」


 楓から英治に関する報告を受けて鳴海はため息をついた。


「申し訳ございません」


 楓は声をひねり出すのに精いっぱいだった。自分の慢心に憤りと絶望を感じていた。


「いや、あいつらの動向を追うよりも英治のケアを松島にお願いするべきだったんだ。私の判断ミスだ」去った人間を追ったところでどうしようもないからな、鳴海は自虐的に呟いた。


「ドラマのクランクアップはいつだっけ?」

「順調にいけば来週です」

 もう12月も中旬に差し掛かっていた。

「そっか、STARSの活動がなくなったから年末年始はゆっくりできるんだよな?」

「はい、その予定です」

 楓は手元のタブレットでスケジュールを確認しながら答える。


「ハワイにでも行ってリフレッシュしてくれればいいんだけどな」

「……正直そんな雰囲気ではなさそうでした」

「松島、一緒に行ってやればどうだ」

「……社長、こんな時に冗談はやめてください」


 そんな冗談でも言わないとやっていられないのだ、楓も分かっていた。

 とりあえず松島も現場に付いてやってくれ、英治から目を離すな。

 鳴海はそう言って、その日の話は終わった。



 その日から楓は英治の現場に貼りつくことになった。

 楓の言いつけを守りお酒を飲むのは辞めたようだ。

 だが、スーツを着ると体形の変化が如実に分かる。座るとお腹の辺りが膨らんでボタンを弾きそうになっている。

 顔色の悪さでメイクにも時間が掛かるし、カメラワークにも調整が必要となる。

 顔に肉があまり付いていないように見えるのが不幸中の幸いか。


 これ以上英治に痩せろというのも逆効果になりそうで気が引ける。何とかこのまま撮影を乗り切れることを神に祈ることしか出来なかった。

 クールな役柄で良かった、楓はそんなことを思っていた。

 今の英治がにっこり笑う姿が想像できない。


 今日の撮影は大きな問題なく終了した。

 普段であれば英治に声を掛けに行くのだが、さすがに気が引けた。


「じゃあ、西村くん、私帰るからあとよろしくね」

「え、英治さんのところ行かないんですか?」

 普段との違いに西村くんは当惑している。


「こないだキツイこと言って嫌われちゃったから。疲れてるときにうるさいババアには会いたくないでしょ。西村くんが優しく労ってあげて」


 精いっぱいの笑顔で楓は答えて、その場を去った。


「あれ、かえでちゃん帰っちゃったの?さっきまでいたよね?」

 車に乗り込むや否や、英治は西村くんに尋ねる。

「あ、はい、英治さんがチーフに会いたくないだろうから、って」

 西村くんは嘘がつけない性格だった。


 こないだのことを謝らなければ、と英治は思っていた。

 自分が悪いのだ。楓は心配してくれているだけなのだ。

 頭で分かっていた。でも自分を自分で止められない。そんな感覚があった。


「え、英治さん、年末年始はどうされるんですか?」

西村くんは無言を嫌ってか、英治に声を掛ける。

「そっか、年末年始か……」

 何もない年末年始なんて10年以上ぶりだった。特番やらライブやらいつも何らかの仕事が入っていてゆっくりできた記憶がない。


 ただ今年は――ゆっくりするにしても、帰る実家もないし一緒に過ごしてくれる人もいない。


 何を聞かれても何を考えても全てマイナスに考えてしまう自分に気づく。

「全然考えてなかった。西村くんはどうするの?」

英治はそのまま質問を西村くんに返した。

「そうですね、僕は――」

 

その後の言葉はほとんど頭に入ってこなかった。



 英治が20歳の時に祖母が亡くなった。

 危篤の連絡が入ってすぐに楓が仕事を調整してくれて、死に目に会うことは出来た。

 ただ、祖母の存在こそが英治にとってこの仕事を続ける理由だった。

 祖母が亡くなった今、この仕事を続ける意味があるのだろうか、英治はそんなことを考えた。

 徐々に要領は得てきてはいるものの、馬鹿にされることも多い。プライベートも追いかけられる。自由に女の子とも遊べない。

 英治の様子がおかしいことに楓も気づいたようだ。


「――英治、聞いてる?」

「ごめん、かえでちゃん、なに?」

「顔色悪いけど大丈夫?ちゃんと眠れてる?」

「ありがと、大丈夫だよ。」


英治は取り繕って笑ったはず、だった。


「――ごめん、大丈夫って聞いたら大丈夫、って答えるしかないよね」

楓は小さくため息をついて言葉を続けた。

「大丈夫じゃなさそうだから聞いてる。お祖母さんのこと辛いなら、少し休む?」

「――休んだらもう戻ってこれない気がする」

「どういうこと?」

 

楓ならきっと怒らず聞いてくれる。そう思って英治は正直に話し始めた。


「――そっか」


楓はやはり怒らなかった。少しだけ寂しそうに見えたのは英治の願望かもしれない。


「薄っぺらい言葉に聞こえるかもしれないけど、英治にはアイドルの才能があると思うよ」

「……かえでちゃん、それ本気で言ってる?」

英治には俄かに信じがたい言葉だった。


「私、冗談でこんなこと言わない」

楓はちょっとむっとした。


「だって、英治を引き留めて私に何のメリットがあるの?」

「もっと一緒にいたいから……とか?」英治はいつもの癖で軽口を叩く。

「馬鹿じゃないの?」楓は間髪入れずに答える。

 ……そんな即答しなくても。英治は少しだけがっかりした。


 楓はそんな英治を無視して続けた。

「英治は人を楽しませることに全力で、一生懸命。だからキラキラしてる」

 ――それはかえでちゃんに言われたから、とは言い出せなかった。

「その姿を見て、ファンのみんなは明日も頑張ろう、って思えるの」

楓は心底楽しそうに話した。そのアイドルを支える仕事に誇りを持っているんだろう。


「もし、英治が他にやりたいことがあるんなら、止めないけど……」


 楓はにっこり微笑んで、真っすぐ英治の目を見て言った。


「ないんだったら、やりたいことが見つかるまでアイドルの仕事続けてみない?」



 あの時、楓にそう言われていなかったら、自分はここにいないだろう。

 どうしてこないだは同じようにいかなかったんだろう。

どうしてあんな風に喧嘩別れになってしまったのか。

 

何故、楓に素直に言えなかったんだろう。一人でやっていける気がしないって。

 何故、楓は英治のダメなところだけを指摘したんだろう。

 お互いに年を取って、変な我慢と責任を覚えてしまった、英治はそんなことを思っていた。

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