第6話

「スイーツ探偵 甘宮」のプロデューサーである相田耕輔あいだこうすけは敏腕プロデューサーとして有名で、それでいて人格者である。中肉中背で無精髭、これと言って外見に特徴はないが、業界では非常にモテている。

 タレントにもスタッフにも好かれていた。


 楓と西村くんが指定された会議室に向かうと既に相田はそこにいた。

「相田さん、お待たせして申し訳御座いません」

 開いている扉を軽くノックして楓が声をかけると、相田は少し表情を崩す。

「あー、松島ちゃんお疲れ様。色々大変だったね」

 そうねぎらって二人を会議室に入れると扉を閉めた。


「早速だけど……英治くん大丈夫?」

「大丈夫というのは……えっと、体形のことでしょうか」

 

 来る前にきちんと西村くんと打ち合わせをすべきだった、楓は今更後悔した。自分の仕事に忙殺されて英治の最近の状況を追えていなかった。

 とりあえず以前英治が悩んでいたことから想像して答えた。

「あー……まぁ、それもあるんだけど……、こういうドラマだからね、ある程度は織り込み済みというか……仕方ないというか」

 相田は困ったような笑顔になった。言葉は濁したが「それもある」。

 もっとまずいことがあるのだろう。


「――あの騒動以来、凄く体調悪そうで……」相田はそう切り出した。

「え?」楓は驚きを隠せなかった。

「たぶん、眠れてないんじゃないかな。たまにお酒の匂いもしてる。周りに心配かけまいと思って必死に隠そうとしてるんだろうけど、全然隠せてなくて、みんな心配してる」

 

 そんな――あの時はいつも通りだったのに。

 英治がお酒の匂いをさせながら現場に入ったなんて今まで聞いたことがない。

 衝撃的な話で楓の頭は真っ白になる。


「俺が言うことじゃないとは思うんだけど」

 

 遠慮がちに相田は前置きしてこう言った。


「英治くんのこともっと気にかけてあげて。あの子見た目ほど強くないと思うよ」



 タレントの管理がマネージャーの主たる仕事である。

 その仕事が行き届いていなかった、しかも相田の方がきちんと英治を理解していた。それが悔しくてたまらなかった。


 帰りの車の中は無言が続いていた。

 行きも無言だったが、それは急がなければいけないという緊張から来るものだった。今は気まずい空気が流れている。


「西村くん、英治のこと気づいてたの?」

 運転席の西村くんに向かって後部座席に座っていた楓が切り出した。

「はい……」

 西村くんは運転をしながら申し訳なさそうに答えた。


「大丈夫ですか?って何度か声をかけたんですが、大丈夫だよ、心配しないで、としか英治さんは仰らなくて」

「どうして……」

 もっと早く言ってくれなかったの?と言いかけて、楓は口をつぐんだ。

 

 ――私がとても声を掛けられる雰囲気ではなかったんだ。


「もっと早く気づかなくてごめんね。でもそういう時はどんなに周りが忙しそうでも言ってね。タレントの健康管理が一番大事だから」

 楓は自分に言い聞かせるように西村くんに声を掛けた。

「申し訳ないです」

 西村くんの声は更にか細くなった。


「体形の方は?」

 相田は「仕方ない」と言っていたが、やはり気にしないわけにはいかない。

「そんなに太った、って感じではないと思うんですが……むくんでるというか。すみません、顔色の悪さの方が気になって、正直そちらにまで気が回っていませんでした」

 そんなにか……楓は思わず顔を伏せた。


「西村くん、英治のマンションに向かってくれる?」

「え?今から行くんですか?」

 楓の言葉に西村くんは先ほどより大きな声を出して驚く。

「うん、私が英治と話してみる。西村くんは帰ってて大丈夫だから」

 私が話せばきっと英治は落ち着くはず――その時楓はそんな風に思っていた。


 

 いつものように合鍵を使ってセキュリティを抜け、部屋の前まで行く。

 合鍵を使えば部屋に入ることも出来るが、さすがにそれはルール違反のような気が楓にはしていた。


「これ、かえでちゃんにあげるね!」

 英治が今のマンションに引っ越した時に合鍵を渡された。

「来たいときにいつでも来て大丈夫だよ」

 英治がニコニコしながら言っていたことを今でも覚えている。

「そういうことは彼女に言いなさい、とりあえずマネージャーとして受け取っておく」そう憎まれ口を叩いた。

 マネージャーがタレントの合鍵を持つことは珍しいことではない。万が一何かあった時に対応するためである。


 そう、これはチーフマネージャーとしての対応。

 楓は自分に言い聞かせながらインターフォンを押した。

「はい…かえでちゃん?」

 部屋の主は少しだけ驚いた声を出す。楓が約束もせずに部屋に来るのは初めてだったからだろう。

 

 少し時間が経ってドアが開いた。

 出てきた人物の服装はジャージの上にパーカーを羽織ってフードを被った出で立ちでいつも通りの英治のように思えたが、違うのは顔だった。

 楓は英治の顔を見てぎょっとした。

 全体的に血色がなく、「これは英治の姿をしたおばけ」と言われても信じてしまいそうだ。


「かえでちゃんが約束もなく来てくれるなんてびっくりした」

 英治は普段のように笑っているつもりなのだろう。でもぎこちなくて歯をむき出しているようにしか見えない。体のラインを隠す格好をしているので体形の変化はよく分からないが、相田が言っていたように少しアルコールの匂いがする。


「英治……」

「ごめんね、最近忙しくて部屋汚くって。せっかくきてもらって申し訳ないんだけど、今日は帰ってもらってもいい?」

「……え?」

 いつもの英治であればどんなに忙しい時でも楓を帰らせたりしないだろう。


「ごめんね!!すぐ片付けるからちょっとだけ待ってて!!やだ、帰らないで!かえでちゃんがせっかくきてくれたんだもん、少しの時間でも一緒にいたい」楓の想像の中の英治がガラガラと音を立てて崩れていった。

 

 ――私はどれだけうぬぼれていたんだろう。

 

 楓は自分が泣きそうなことに気が付いたが、もう一度「私はチーフマネージャーとして来たんだ」と思い直した。


「英治、ちょっとだけ話させてもらいたいんだけど。玄関でも構わないから」

 英治は困った顔をした。しばらく考えて、「うん、じゃあ玄関で少しだけ」そう言って楓をドアの中に招き入れた。


 玄関から見えるリビングの様子は確かに荒れているようだ。服やゴミが散乱しているように見える。

「……顔色悪いけど大丈夫?」

 楓は単刀直入に切り出した。

「西村くんに聞いたの?心配して来てくれたんだね、ありがとう」

 言葉はいつもの英治だが、何かがいつもと違う。

「でも、大丈夫。撮影続きでちょっと疲れてるだけだから。かえでちゃんや西村くんには迷惑かけないように頑張るから」

「英治、そんな頑張らなくていいから。辛いなら言って」

「……頑張らなかったらダメでしょ」

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で英治は言った。


「話ってそれだけ?もういいかな?」英治はとにかく早く楓を返したいようだ。

「あの、英治、言いにくいんだけど」

 この空気で言うのは辛いが、それもマネージャーの仕事だ。


「英治また太ったでしょ?現場にお酒の匂いをさせていくのも感心しない。頑張るっていうなら私達じゃなくて現場の方々には迷惑をかけないで」

 楓は身を切る思いで毅然と言い放った。


「……うん、ごめんね、かえでちゃん」


 英治の顔が一層曇る。


「忙しいのに迷惑かけてごめんね、ちゃんとするから」

「英治、私は……」


 私は迷惑なんて思ったことない、楓はそう言いかけた。


「ごめん、もういいかな?」


 楓の言葉は英治の声で遮られ、楓は部屋から閉め出されてしまった。

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