第3話

 英治は8歳の頃に両親を事故で亡くしている。

 その後、父方の祖父母の家に引き取られた。

 不自由なく育ててもらった、でも「何不自由なく」とも言えなかった。

 父親にしてもらいたかったこと、母親にしてもらいたかったこと、遠慮して飲み込んでニコニコする癖が付いてしまった。

 

12歳の時に祖父が亡くなった。「お金のことは気にしないで」祖母はそう言ったが、気にしないわけにはいかなかった。

たまたまそのころ遠縁の親戚が今の事務所に勝手に履歴書を送ったせいで、英治のところに「一度見に来ませんか?」という連絡が来ていた。

 祖母を助けられればと思ったし、本音を言えば自分の自由になるお金が欲しかった。


 最初は遊び半分だった。クラブ活動のようなものだと思っていた。

 そのまま何となく続けていたら高校2年生でSTARSのデビューが決まる。

 そこからは地獄だった。

 色んな大人たちに怒られた。

 英治はそんなに器用な人間ではない、何をするにも時間がかかった。


「どんくさっ」


 周りのメンバーにそう笑われることもしょっちゅうだった。


 楓だけが違っていた。


 ある時、バラエティで被り物をする企画があった。

 しかし、STARSのメンバーは誰もやりたがらなかった。アイドルなのに顔が隠れてしまうのだ。当然と言えば当然だった。現場は一時騒然となった。


「じゃあ、しゃあないな。英治よろしくー」


 リーダーの星野はそう言って被り物を英治に渡し、控室に下がっていった。他のメンバーもそれに付いていった。

 スタッフもやれやれ、といった感じでそれぞれの仕事に戻っていく。この企画を考えたらしい若手のディレクターだけ申し訳なさそうに英治に頭を下げた。


「別にいいけどさ……」


 楽屋に戻った英治はそう呟きながら、パンダの被り物を手にしながらため息をついた。

 すると、ドアをノックする音が聞こえた。


「英治、入るね」


当時新入社員――今の西村くんと同い年だった楓である。


「あ、はい」


英治はとっさに被り物を隠した。


「明日のスケジュールなんだけど……」

ドアを開けた楓は英治の顔が曇っていることに気づいた。

 そして英治の後ろにある被り物にも気づいたようだ。


――やば、お前はどんくさいんだから文句言わずにやれ、って怒られる。


 大人たちに怒られっぱなしだった英治は反射的にそう思った。

 しかし楓は意に反してくすっと笑った。


「あいつら、ほんとしょうもない。押し付けられたの?」

「あ、いや」


英治は恥ずかしさから咄嗟に取り繕った。


「英治はホント偉いよね」

楓はそう言って被り物を手に取った。

「こういう皆が嫌がることも引き受けて」

 引き受けたわけじゃないけど――とは言えなかったので、英治は黙っていた。


「私ね、もともと、報道アナウンサーになりたかったの」

「え、そうなの?」初めて聞く話だった。

「Jテレビの最終面接まで行って」

 Jテレビは民放でも屈指の視聴率を誇るテレビ局だ。


「すごいじゃん」

「でもダメだった。新人っていきなり自分がやりたいこと出来るわけじゃないでしょ?それなのに私、最終面接で『報道以外はやりたくありません』て言っちゃって」

 かえでちゃんらしい、と英治は思った。


道枝加恋みちえだかれんて知ってる?」

「東京テレビのアナウンサーの?」東京テレビはバラエティが強いテレビ局だ。

「同じアナウンサー学校に通ってたの。彼女も報道志望で」

 楓は持っていた被り物をおもむろに英治の頭に被せた。

「でも彼女は今バラエティで芸人顔負けのリアクションを取ってる」

 道枝加恋は美人でありながらNGなしの体当たりが受けている。


「で、何が言いたいか、って言うと」

 楓は自分のカバンから手のひら大のポーチを取り出し、

「やるなら全力でやれ!ってこと!!」英治の顔にメイクをし始めた。

「ちょ、かえでちゃん、なにすんの!?」

 英治は抵抗しようとしたがなす術なしだった。

 あっという間にピンクのチークが映えるかわいらしい顔にされてしまった。


「うん、かわいい」

 楓は出来栄えに満足して笑った。

「英治が真面目に頑張ってること少なくとも私は分かってるから。時間がかかってもいいの。怒られたら私も一緒に謝るから。でも出来ることを手抜いちゃダメ」

 それまで感じていたもやもやを晴らすような言葉だった。

 楓を心から尊敬するようになり、そして意識するようになった瞬間だった。


 懐かしい夢を見ていた気がする。

 無機質なメロディが部屋中に響いて、英治は目を覚ました。

 部屋から見える廊下に光が射している。

 あのまま朝まで眠ってしまったようだ。

「風邪でも引いたらどうするの!ドラマの撮影中なのに!」と脳内の楓に怒られて、英治は苦笑いした。

 

 鳴っているのは目覚ましのアラームではなく、楓からの電話であった。

 時間は朝の8時。

 残念ながら甘いラブコールではなさそうだ。

 

 英治は昨日のことを思い出して若干憂鬱になったが、頭を振っていつものように明るく電話に出る。

「おはよ、かえでちゃん。どうしたの?忘れ物?」

 電話の主は物凄く焦っているようだった。

「ごめんね、英治、朝早くに……。お休みに申し訳ないんだけど、事務所に来てもらってもいい?本当にごめんね」

 短い電話の中で楓は3回も謝った。

 後ろで社長らしき人の怒号が聞こえる。

「英治を動かすな」

 そう言っているようだ。


「ごめん英治、やっぱりそっちに行く。ちょっと待ってて」

 楓はそう言いなおして電話を切った。


 きっと何か良くないことが起こったのだろう。

 英治はそんなことを考えながらベッドを出て準備を始めた。

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