第2話

「あれ」からもう8年……

 楓は英治の家のベッドで横になりながら、改めて時の流れの速さを感じる。


 8年前、22歳の英治に告白された。

 もちろんタレントとマネージャーの恋愛はご法度。それが駆け出しのアイドルなら尚更だ。英治にもそれを幾度となく説明したが、英治は全く引こうとしなかった。

 困った楓はこう切り出した。


「タレントと付き合うなんて後々面倒だから嫌なの。後腐れないセフレなら受け入れてもいいよ」


 今思うと自分のアホさに嫌気がさす。でもあの時はこんなことを言えばさすがの英治もドン引きだろうと思ったのだ。きっとあきらめてくれる。

 しかし――少しだけ驚いた表情をした後、英治はいつものようにニコニコとこう言った。


「それならかえでちゃんと一緒にいられるの?一緒にいられるなら肩書は何でもいいよ」


 まさか本当に受け入れるとは……それでもしばらくすれば飽きるだろうと思っていたが、もう8年。

 結婚しよう、なんて言われたこともあった。それももう5年前だ。

 

 今でも軽口で「大好き!」などと言われることは日常茶飯事だが、もうさすがにどうこうしたいとは英治も思っていないのではないだろうか。

 ただ、大きなリスクなく体を重ね合わせることができる相手が欲しいだけなのだろう。告白もプロポーズもきっと若気の至りだ。

 そうやって楓は何とか自分の気持ちを抑えてきた。

 これからもそうしていくのだろう。


 英治はおもむろにベッドから出て、キッチンに向かっていった。

 上半身は裸のままだ。うっすら汗をかいているのが薄暗い中でも分かる。


「かえでちゃんもお水飲む?」

「うん、お願い」


 英治は水の入ったコップを二つ持ってベッドに戻ってきた。

「はい、かえでちゃん」

「ありがとう」

 

――あれ?

 楓は戻ってきた英治の体にふと違和感を覚え、それをそのまま言葉に出してしまった。


「――英治、ちょっと太った?」


 英治は口にしていた水を盛大に吹き出し、咳き込んだ。

 図星だったようだ。


「う……分かりますか……?」

 咳き込んだからか気にしていたからなのか英治は涙目だ。

「服着てるときは全然わからなかったんだけど……そういえばさっきもちょっとおなかやわらかいなって」

 もう少し言い方を考えた方がよかったか――楓は少しバツが悪そうに言った。


「うぅ……だって、デザートがおいしすぎるんだもん……」

 英治は今にも泣きそうだ。


 英治は現在「スイーツ探偵 甘宮」というドラマに主演している。スイーツに目が無い探偵がスイーツにまつわる事件を解決するという同名の人気ライトノベルが原作である。

 そのため、至るシーンでスイーツが登場し英治はそれをことごとく食べる羽目になる。元々「やせの大食い」と言われていた英治も人の子だ。さすがに太ってしまったのだろう。

 とはいえ、腹筋の線が薄くなった程度である。この程度で済んでいるのはむしろ才能なのかもしれない。


「『甘宮があまりにおいしそうに食べるから、つられて甘いもの食べ過ぎて太りました』ってクレームめいたメッセージがテレビ局に結構届いてるみたいよ」

 楓は苦笑しながら言った。

 

 英治は食べることが大好きで、とにかくおいしそうに食べると業界でも有名である。食品のCMのオファーも多い。

 今回のドラマではテーマがスイーツということで、コンビニでコラボスイーツを発売するなどタイアップも順調。視聴率や動画再生数も好調だ。


 そうはいっても英治はアイドルだ。口をへの字に曲げておなかの脂肪を気にしている。そんな英治も愛しいと思ってしまうのだから軽い病気である。

 英治だったら多少ぽっちゃりしてもきっと可愛いんだろうな。

 

 そんなことを思いながら楓は英治を眺めていたが、英治はその視線を感じたようだ。


「かえでちゃんは太ってる人嫌い?」

 潤んだ上目遣いで訴えられると真っすぐ目を見られなくなる。

「まぁ…アイドルとして売るには厳しいわね」

 楓は気持ちを見透かされないように目を逸らし、あくまでマネージャーの立場で答えた。

「もう……そういうことじゃないのに……」

 待っていた答えを得られず、英治は唇をすぼめた。


「まぁ英治ももう30代だし、気を付けないとね。その程度ならまだいいけど、『ドラマが繋がらない!』なんてことになったら笑いものよ?」

 そう言って楓は帰り支度を始めた。


「えー、もう帰っちゃうの?」

 英治は不満そうだ。

「英治も疲れてるでしょ?明日の撮休が年末前最後のお休みになるかもしれないんだから、今日は早めに休みなさい」

 長居をするだけ辛くなる。

「かえでちゃんと一緒にいる時間の方が癒されるのに……」

「またそんなこと言って。早くちゃんと癒してくれる彼女でも作れば?」

 憎まれ口を叩かないとバランスが取れない自分が悔しい、楓はそんなことを思いながら英治の家を出る。


「じゃあおやすみ、英治。ゆっくり休んでね」


 楓がいなくなった寝室はとても広く感じる。

 英治はさっきまで楓が寝ていたところに顔をうずめてため息をついた。


「セフレでいい」なんて言ったのが間違いだったのだろうか。8年もこんな状態が続くとは思わなかった。

 嫌われてはいないはず、それくらいはうぬぼれさせてほしい。

 でも楓が自分に対して恋愛的な感情を持っているのか、正直自信がない。

 タレントという職業が嫌というなら、辞めたらちゃんと向き合ってくれるだろうか。でもそうしたら自分はどうやってお金を稼いでいくのだろうか。


 ――お前何もできないくせに

 ――頭空っぽだよな


 頭に声が響く。

 どうしたって楓を幸せに出来ない気がした。


 英治はふーっと長い溜息をついた。

 夜はよくない。どうしてもマイナスの方向に気持ちが向かってしまう。

 そんなことを悶々と考えているうちに英治はうとうとと微睡んでいった。

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