魔術師クノンは見えている/南野海風
<馬とか肥える季節>
「面白いですね、ディラシック! やっぱり都会は違いますよ!」
リンコは興奮していた。
無事クノンが魔術学校に入学し、すぐのこと。
ここでの生活が安定し、細々と必要なものを買い揃えている最中である。
「そうだね。ヒューグリアもどちらかと言えば田舎だし、大国に囲まれてるだけにここは物流が早いよね」
と、夕食中のクノンは答える。
方向は違うが、二人は魔術都市ディラシックに対して、同じ感想を抱いていた。
クノンは魔術関係の物品の多さに驚き。
リンコは日用品や家具、とりわけ食材の多さに驚いていた。
「ちなみにこれ何?」
変わった味のサラダを食べていたクノンが問うと、「メレヘッサです」とリンコは答えた。
「メレ……?」
「メレヘッサです」
「メレヘッサ?」
「メレヘッサです」
「……つまりサラダでいいんだよね? 野菜の一種?」
「いえ、メレヘッサです」
クノンは少し不安になった。
今、自分は生野菜のサラダを食べているはずだ。
しかし実際は、名前も知らない正体不明の何かを食べていると知ってしまった。
メレヘッサとはいったい。
食材なのか、料理名なのか。
まあ、何はともあれ――
「まるでリンコのようにミステリアスな料理なんだね」
見た目は普通のサラダである。
食べられない物じゃないし、まずくもない。
サラダとしては変わった味だが、食べ慣れない物が入っているわけでもない。少なくとも食べてみた感想では。
だからもういいことにした。
生活が安定し、ゆっくり市場を見て回る余裕ができたリンコ。
彼女は見たことのない作物や穀物がたくさんあることに気づいたそうだ。
だから、いろんな料理を試してみたいと言い出した。
馬だって肥え太る作物の美味しい秋だし、クノンにもたくさん食べてほしい、だから食べたことのない美味しい食べ物や料理を探そう、と。
そんなリンコの提案を、クノンは普通に受け入れた。
食にこだわりはないので、台所を預かるリンコがそうしたいなら、それでいい。
将来は料理人志望の彼女、料理の腕は確かだ。
まずい物なんて一度たりとも出てきたことはないのだ。
彼女が機嫌よく過ごせるなら、多少奇抜なものが食事に出てきても、問題ないと思った。
リンコが異国の食文化に興味を抱いた。
一言で語るなら、たったそれだけのこと。
――要するに、クノンは安請け合いしてしまったのだ。
生活が馴染んでいく。
借家を我が家と思えるようになり、寝床が自分の居場所となる。
これまで慣れなかった非日常が、毎日の繰り返しで日常へと変じていく。
学校生活はまだ始まったばかりだが。
それも次第に、ただの一日へと移り行く。
ゆるやかに、穏やかに。
クノンらはディラシックにどんどん馴染んでいく。
だが。
その間、唯一微妙に落ち着かなかったのが、夕食である。
「えっと……今日はシチュー?」
「いえ、メーテレです」
「……このどろっとしたスープがメーテレ? だよね?」
「うふふ、クノン様ったら。それがメーテレだったらフサッサリーの立場がないでしょ? それは普通のオヴォールですよ」
「え? ……え? じゃあどれがメーテレなの? フサッサリーって?」
「そうやって可愛い間違いを見せつけて可愛い紳士を演じてるんですね? クノン様って策士ですね。そんなことやってると無駄にモテちゃいますよ」
可愛い紳士と言われたらこれ以上は何も言えないな、とクノンは思った。
紳士は無理に、女性の秘密を暴こうとはしないものだから。
ゆえにモテるのだから。
「なるほど。これは確かにオヴォールだね。一見フサッサリーみたいだけど、間違いなくオヴォールだと言わざるを得ないね。誰の目から見てもメーテレでは絶対ないね」
「でしょう? ちょっと不思議なエマースをフンギットするのがコツらしくて。その辺はかなり力を入れてギーズしてみました。一味違うでしょう?」
「そうだね。間違いなくギーズをフンギットだね」
――と、ほぼ毎日、夕食はこんな感じだった。
よく知らない料理名とよく知らない食材とよく知らない調味料とよく知らない調理方法が飛び交うようになってしまった。
しかも結局何が何なのかがわからないままになっている。
朝食は定番のものと決まっている。
なので、異国情緒溢れる食事は夜だけだ。
時々、驚くような味のものが供されることもあったが。
それでも食べられる料理だったので、クノンは無理なく食べていた。
時々ものすごく美味しい料理もあったし、夕食は常に未知。
楽しいか楽しくないかで言えば、かろうじて楽しい方だった。
少々安定性に欠けるな、とは思っていたが。
残暑の気配はすっかり消え去った。
冷たい風は、冬の足音のように聞こえる。
すぐに本格的に寒くなるだろう。
「リンコ。この際はっきり言っておきたい」
夕食の席。
ついにクノンは苦言を呈した。
「僕、辛いの苦手かも」
「えっ」
リンコにとっては寝耳に水の言葉だった。
「もしかして、喜んで食べてませんでした?」
「いや。リンコが楽しそうにヌーバをエサメラしてたから、口を出すのもアレかなって思って。
でもここのところ連日のウーヌだから。僕にはちょっとつらい」
リンコが異国の調味料を手に入れた。
本人はいたく気に入ったようで、夜は毎回これを使った夕食が出てくる。
いわゆるピリ辛という味付けらしい。
確かにまずくはない。
食べられはする。
身体も温まるし、汗も出る。なるほど最近寒くなってきたので、こういう料理で身体を温めるのもいいのだろう。
だが、辛い。
子供の舌には、刺激が強いのだ。
口の中に適温を越えた湯を流し込んだようであり。
そして、なんだか、痛い。舌がひりひりして痛いのだ。
「そう、ですか……クノン様の分は控えめにしているつもりなんですけど……」
「これで控えめなの?」
ならば本来の辛さはいかほどなのか。
試す勇気は、クノンにはない。
控えめの辛さで音を上げているようでは、きっと苦行となる。
「悪いけど、僕の分は辛くないのにしてくれないかな? アヴィシャスとかで丁度いいよ。あれ美味しかったよ」
「わかりました。気が付かず申し訳ありません」
――初めての意見の違いだった。
お互い……少なくともクノンは、性格的にリンコとはやりやすい。
そこはかとなく姉イコに似ているので、とても過ごしやすい。
仕事も割ときちっとやってくれるので、文句もない。
だが、ここで味覚に関しての差異が発覚した。
「もっと早く言ってくれれば……」
――リンコもほぼ同意見だった。
性格的にクノンとはやりやすい。
自分に多くを任せて自由にやらせてくれる分、とてものびのびと過ごせている。ちょっとのびのびしすぎなんじゃないかと自分で自分が怖くなるほどのびのび過ごしている。
特級クラス云々で、グリオン家からの仕送りがなくなった時はどうしようかと思ったが。
クノンはすぐに稼いできてくれた。
子供なのに男の甲斐性がすごい。
それまでは、少し大人しい育ちのいい子としか思っていなかったのだが。
これがクノン・グリオンの実力か、と。内心とても驚いた。
だが、それはそれとして。
まさかクノンが自分の仕事に対して不満を抱いているなんて、思いもしなかった。そんな素振りは一切見せなかったから。
リンコだって嫌がらせをしたいわけじゃないし、クノンを軽んじているわけでもない。
もちろんなめてもいない。
なめている風に見えることもあるかもしれないが、これで自分なりに愛情たっぷりに接しているつもりだ。姉の代わりに、という面も多分に含んで。
多少世間に知られる形は違うかもしれないが、これでちゃんと主従関係なのだ。
言ってくれれば改善する。
むしろ主人に我慢させる使用人なんてとんでもないと思う。
「辛い以外の文句がないからだよ」
「え?」
「辛くなければ美味しいからだよ。いや、辛くても美味しいことは美味しいんだ。でも僕はリンコの料理をより美味しく食べたい。だから辛くしないでほしいんだ。
君の愛のこもった料理をちゃんと味わいたい。
まあ、僕には大人の恋のスパイスはまだ早いってことだよ。ルビシャワはワナナッカよりフーランってことだね」
――それ絶対よそで言うなよ、と思いながらリンコは頷いた。
リンコだから笑って流せるセリフだが。
他の一般的女子に言ったら勘違いされかねない。
ああ、恐ろしい。
クノンの背後に、許嫁の王女の影が見えるようだ。
「……クノン様、あんまりそういうことは言わない方がいいんじゃないですか?」
いや、やんわりと言っておいた。
色々な意味で後が怖いから。
「そういうこと? ……やっぱり作った物に対する文句って気分が悪い?」
「いやそっちじゃなくて! ……ああ、もう、なんでもないです」
クノンが落ち込んだように見えたので、リンコは慌てた。
――そう、この子は根は真面目なのだ。そして繊細でもある。
気にすることは気にするので、簡単そうに思えて、実は結構難しいのだ。
秋が深まる。
生活に馴染み、新たな主と使用人との関係も慣れ。
初めての小さな意見のすり合わせもあり。
二人の仲も、少しだけ深まった。
そしてリンコの腹周りが少しばかり肥えたところで、彼女の料理熱は季節とともにすっと冷めていった。まるで愛情が冷めたかのように。
魔術都市ディラシックで過ごす短い秋は、こうして過ぎていった。
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