璃寛皇国ひきこもり瑞兆妃伝 日々後宮を抜け出し、有能官吏やってます。/しののめすぴこ

  <七本目の竹箒>



 その日は朝から良くなかった。


「やり直しよ。もう一回磨いてきてちょうだい、ついでに向こうの分も」

「何よこの並べ方。趣味の悪い。こんなものをお妃様方のお目に触れさせられないわ」

「はぁ……新入りなんだから私達よりも仕事が多くて当たり前でしょう? もっと頑張りなさいな」


 相性の悪い先輩宮女の言葉に、私はひたすら頭を下げてばかりだった。

 璃寛皇国りかんこうこくの後宮に、宮女として召し抱えられて日がない私。新入りの扱いなんてこんなものだろうと、要求に応えるべく必死に手を動かす毎日ではあったが、今日は一段と忙しい。

 絢爛豪華な宮や、それを繋ぐ豪奢な渡り廊下を、新品同様の美しさに磨き上げるのだ。未だ熟練していない手つきを咎められ、頬にかかる切り揃えた金髪を何度も振り払いながらやり直しを繰り返し、なんとか合格を貰ったのは昼前だった。

 小柄な自分には大きくて、すぐに着崩れる宮女服をしっかりと整え直し、次の作業を伺えば……最近一番大変だと誰もが口を揃える、庭園の清掃が割り当てられたのだった。



「――あぁ、あっついわね……」


 残暑に顔を顰めるまとめ役の先輩宮女に連れられて、庭園の清掃に向かうのは、私を含めて七人だった。

 計算され配置された石畳は妃嬪方の為のもの、と、土で固めただけの地面をそっと歩き、建物から少し離れた場所にある、掃除用具の入った小さい倉庫へとやって来た面々。

 慣れた仕草で扉に手を掛けた、まとめ役の先輩宮女だった……が、


「…………やだ、一本足りないわ」


 中を一目見て、不快気に声を上げた。


「え、足りない? 昨日はあったじゃない」


 後ろを付いてきた他の宮女達も、まとめ役の言葉に反応して中を覗き込む。


「本当ね……誰かが戻し忘れたのかしら」

「昨日の担当はどなた? 私じゃないわよ?」

「私も違うわ。でも、前も誰かが柄杓を置き忘れていたわよね」


 次々と中を確認しては訝しむ宮女達。

 最後尾でようやく見ることが出来た私も、すぐに首を傾げた。

 簡素な棚に置かれているのは、雑巾や桶、それに柄杓や籠。そして、普段なら竹箒が七本並んでいるのだが、今は……何回数えても六本しかない。


「困ったわね。この時期は落ち葉が多いから、箒は七本でも足りないのに……」


 宮女服の袖を腕まくりしながら、苛立たしげに唸るまとめ役の先輩宮女。

 それもそのはず。

 ここは璃寛皇国が誇る栄華の園・後宮。その庭園は、多種多様な木々や草花で彩られている広大な箱庭なのだ。

 その管理は苦労を極める。

 夏は青々と繁っていた草木も、秋になると色も褪せ落ちていくからだ。

 後宮のお妃様方や、もしかしたら訪れるかもしれない陛下のためにも、枯れ葉で乱れた庭園なんて決して許されない。

 最近は、毎日が落ち葉との戦いなのであった。


「……あの、他から借りてきましょうか?」


 箒を七本だと見込んで役割分担をしてきた手前、今から一人を別の掃除に回すと、残りの六人に負担がかかるのは必至。手っ取り早く自分が、少し離れた倉庫に取りに行こうかと提案してみた。

 後宮の敷地は広大なのだ。掃除用具を置いているのは、当然ここだけじゃない。新人として、率先して動こうと思っての発言だったのだが……、


「何を言ってるの。他の班に借りを作るなんて論外よ!」


 まとめ役の先輩宮女にぴしゃりと言い放たれ、思わず肩が跳ねる。


「特に、ここから一番近い倉庫を使う班には、絶対に遅れを取りたくないわね」

「…………?」


 眉間に深く縦皺を刻んだ先輩宮女に、余計な反論はしないに限る、と口をつぐむも、全く意味が分からない。

 箒を借りるだけで一体何がそんなに大事なのか……と顔に出ていたのか、隣にいた別の先輩宮女が呆れたようにこちらを見た。


「この前の組分けを忘れたの? 私達よりも少し中央の区画を任されたからってあの子達、当てつけのように気取った振る舞いをしてさ……」

「ほんとうに。偶然並んだ位置をそのまま班にしたから、こうなっただけのことなのに……何が、陛下の視界に入るかもしれませんから、よ。そんなのこっちだって同じだわ!」

「急に髪型を気にしたりしてねぇ、開いた口が塞がらなかったわ」


 何やら鬱憤が溜まっていたのか、口々に文句を言い合い始めた先輩宮女たち。

 どうやらこれも、寵愛争いの一環のようだ。

 宮女というのは、妃嬪ではないとはいえ『後宮で生活する女』という意味では同じ。どうしても、陛下や位の高いお妃様方のお目に留まりたい、あわよくば専属宮女として取り立てて貰いたい、もっと言えば偶然陛下に見初められ……などと考えてしまうのだ。

 その為には、彼の方々が通られる可能性の一番高い、中央部分の区画で仕事をするのが一番の近道なのである。

 だから最近組分けが変わり、自分達より良い位置に配された同僚に遅れを取りたくはない、ということなのだろう。

 ……しかし、そんなことを言っていたって、落ちている枯れ葉は減らないのである。


「……でしたら、新しい箒を支給してもらえないか聞きに行きましょうか……?」


 恐る恐る聞いてみる。

 掃除をしたいのに用具が足りないのだから、真っ当な要望だと考えたのだが……しかし、それも先輩宮女らの気に障ったらしい。


「……お前は……分からない子だね。いいわ、向こうの端の一帯、任せます」

「…………え……?」

「とっても張り切ってるみたいだから、やりがいのある場所で丁度いいでしょう? あそこは少し前に入宮した、異例のお妃様がおられる宮にも近いから、心して努めるように」


 高圧的にそう言うと、倉庫の中から箒を取り出し、周りの宮女達に配り始めた。

 え、どういう意味ですか、なんて聞き返す間も無く、箒は私以外の人の手に全て渡ってしまったのだ。


「……あの、私は……」

「あぁ、そういえば折れて垂れ下がっていた枝があったでしょう? あれもついでに取っ払っちゃってちょうだいよ。危ないから」

「はい。……あの、箒は……」

「取った枝が、もしかしたら良い箒代わりになるんじゃない?」

「…………」


 冷めた口調で返されてしまえば、これ以上食い下がるのは諦めるしかなかった。

 まぁ、恒例の通過儀礼だ。

 新人いびりとしては優しい方だろう。もっと酷いところだって知っている。

 となれば仕方ない……。

 新入りの若輩者ではあるが、私にだって少しは宮女として働いてきた自負がある。自分で打開策を見つけるのも、宮女としての能力の見せ所なのだ。

 承知しました、と頭を下げて一歩下がった。

 今からだと、夕暮れまで休まずに頑張れば何とかなる……のかな、と頭の中で考えながら、示された方向を見ていると、


「ぷ……っ」

「ふふっ、駄目よ、笑っちゃ……」

「貴女こそ笑ってるじゃないっ」

「だって……あの獣憑きの庶民の宮の周りを、取った枝で掃くだなんて……」

「野蛮すぎてお似合いだわ……あぁ、おかしい……っ」


 目尻に浮かんだ涙を拭うような動作を見せる先輩宮女達。

 組分け前の班は平和だったのになぁ……なんて、早くも次の組分けを待ち望みつつ、まとめ役の先輩宮女に視線を戻す。


「じゃあ、後で確認に行きますからね。しっかりとお願いよ。……残りの方々は、あちらの池の周りからね」



 ……そうして私は、指示された後宮の端へと向かったのだった。



「よし、始めますか!」


 小柄ながらも宮女服姿で精一杯の仁王立ちを決めた私は、気合を入れて目の前の木深い庭園を見つめた。

 任されたそこは、あまり人が近寄らないと言われているだけあって、既に他の場所よりも落ち葉が積み重なっているようだった。

 以前にもこの辺りを掃いたことはあるが、その時は今より全然量が少なくて、三人がかりだと特に大変だとは思わなかったが……。

(これを一人というのは、厳しいですね……)

 まだ見えていないが、もう少し行った先に、まとめ役の先輩宮女が言っていた『折れて垂れ下がっている枝』がある小道がある。そこまでの範囲を考えれば、最初に想像していたよりも大変な仕事だ。

 とはいえ箒もない今、まずは代わりになるような何かを見つけなければならない。

(先に枝の状態を確認しておきましょうか)

 そう思って木立の合間を抜ければ……、


「……あら……?」


 想像していた『落ち葉が敷き詰められた小道』は、どこにもなかった。

 それはもう、綺麗さっぱり。

 掃かれた後……だったのだ。


「あらあらあら……??」


 他のどなたかが、先に掃除をしてくれたのだろうか。

 ……いや、今までそんな事があったためしはない。

 しかもここは後宮の中でも端の方に位置する、お妃様方も殆ど来られない場所だ。時間に余裕があったとしても、こんな人目につかない場所を優先的に掃除する必要はないはず……。

 そう。今の私のように、新人教育の一環という建前で割り当てられるような場所なのである。

(……ですけど……まぁ…………綺麗になってるなら、それで…………)

 悪い事じゃないのだ。

 助かった、と思ってさっさと他の場所の掃除に取り掛かろう。

 すぐにそう考え直し、残りの作業量を確認する。

 周囲を歩けば、新たに落ちてきたらしい枯れ葉や、掃いて集めた落ち葉の山が数カ所に出来ていた。しかしこの分なら、大きな籠を持ってくれば、何回かの往復でこの場所は綺麗になるだろう。

 あぁ助かった、と感謝の祈り口にしつつ、今度は折れて垂れ下がった枝を探せば……さすがにそれは以前のままだった。

 太い枝の内部が腐ってしまい、ボロボロと崩れたところからぽっきりと折れ、小道の端を占拠してしまっている。

 腐って空洞になっていたから、簡単に落とせるかもしれない、なんて思っていたが……撤去する事を考えて見てみると想像以上に立派で、これは作戦を考えないと無理そうだ。

 なんと難儀な、と一旦置いておいて、出来ることから始めることにした。

 まずは枯れ葉の山を撤去すべく、籠を取りに戻ろうと来た道を振り返れば、


「……まぁ……っ。こんなところにあったんですね……」


 側の木に立て掛けられていたのは、一本の竹箒。

 見慣れた、倉庫にあったものと全く同じ作りだった。

 やはり誰かが片付け忘れていたらしい。


「これは運が良かったですわ」


 箒が見つかれば、大幅にやり易くなる。

 私は一気に気分も晴れ、箒を手に取ると足取りも軽く、掃き掃除に取り掛かったのだった。


 そして。

 だいたいの落ち葉を集め終わり、山になった枯れ葉の隣で小休憩をしていた私。折れた枝のある周辺が既に掃かれていたお陰で、先輩宮女に怒鳴られる心配がなさそうなぐらいには、割り当てられた区画の小道は美しい石畳に戻っていた。

 あそこが掃かれてなかったらどうなっていたことか……と特大の安堵の溜息を吐いていた時……、


「――あれ。箒、もう無いや……」


 小さく誰かの声が聞こえて、パッと顔を上げた。


「…………?」


 三角座りで足元ばかり見ていたから気付かなかったが、背後の小道を誰かが歩いているらしい。

 別の場所を掃除していた宮女がもう来たのか、と、慌てて腰を上げて背後の茂みからそっと身を乗り出してみれば……、


「置いてあったから使わせてもらっちゃったけど……誰か片付けてくれたのかなー……?」


 勝手にお借りしましたー、なんて気安い調子で呟いたのは、宮女でもなんでもなく、この後宮を彩る華である、一人のお妃様だったのだ。

 控えめな装飾と落ち着いた配色の衣を身に纏い、庶民のような色合いの金髪をしているが、宮女でないことは一目で分かる身なりである。横顔しか見れなかったが、スッキリと高い鼻梁に真っ直ぐ前を見つめる大きな瞳、背筋を伸ばした綺麗な立ち姿は、何故か目を惹く不思議な魅力があった。


「…………!」


 驚いて、思わず身を潜めてしまった私。

 葉っぱや土埃にまみれ、服や髪も乱れた今の姿では、視界に入る方が失礼だと思ったのだ。

 が、隠れるのも間違いだった。この状況では、盗み聞きをしているともとられかねない。

(ど、どうしましょう……)

 早々にこの場を辞する以外にはないのだが、少しでも物音を立てればお気付きになられてしまうかもしれない。

 なんていう失態……と自分の行動を後悔しつつ、ぎゅっと箒を握りしめて、お妃様が不快な思いをされずに離れてくれることを祈る。

 そうしていると……、


「いやぁ、それにしても、一縷が飛び乗っただけであんなに枯れ葉が落ちてくるとは思わなかったよね……びっくりの量だったよ」


 お妃様の、耳に心地よい楽しそうな声音が、誰かに向けられた。

 あれ、お一人だったような……と、もう一度だけ、そっと頭を上げてみる。


「今度から飛び乗る時は要注意だねぇ。この小道を掃くだけで午前中使っちゃったもん。……あ、そうそうあそこの枝、取っておきたいなぁ」


 少し下へと視線を向けているらしい、お妃様。

 細くしなやかな手のその下には、白銀のもふもふの塊……いや、白銀の毛並みを持った大型の動物がいた。

 まるで大型犬のようでありながらも、その雰囲気は、どう見ても魔獣だ。

 思わず恐怖で息を呑んだが……、しかしその動物は、ゆったりとお妃様に撫でられながら大人しく隣を歩いている。

 ……かと思うと、タッ……と予備動作も無く跳躍した。


「…………!?」


 あまりにも速い動きに一瞬見失い掛けたが、その動物はお妃様に言われた通り、鋭い牙で垂れ下がっていた枝を喰い千切り、音もなく戻って来たのだ。


「有難う。結構太いし、落ちてきたら危ないからね……」


 魔獣のような、どうしても恐怖を覚えるその大型の動物を、臆することなく撫でてお話しをされるお妃様。

 表情なんて全く見えないが、それでもなんとなく、お二人の間には信頼関係が築かれているように感じられて、驚く。

 あんな恐ろしい獣を……後宮には凄い方がおられるのですね……と、思わず呆然と、そのまま歩き去っていかれるお妃様の後ろ姿を見つめ続ける私。

 柔らかい衣の裾が靡く隣では、白銀のもふもふが道すがら、口に咥えていた枝を、枯れ葉を集めた山に置いてくれていた。


「……まぁ……なんてこと……」


 断片的に聞こえた言葉だけだが、あのお妃様が、この一帯を掃いてくださった方だというのは間違いないようだ。誰かが片付け忘れていたこの箒を、あのほっそりした手で使われた、ということなのだ。


「お妃様が、そんなことを……?」


 思わず自分が持つ箒に視線を落とす。

 宮女達が使う、こんな掃除道具を手にされたなんて……。

 しかも、どうしようかと困っていた枝まで、あのもふもふが取ってくれてしまった。

(……お礼の言葉を、お伝えしたかったです……)

 許しもなく、宮女から声を掛けるなんて出来ないことは分かっているが、それでも自然と心の中で感謝の言葉が溢れた。

 お妃様には何のことかわからなくとも、私が勝手に、助けて頂いたように感じたのだ。

 そんな余韻で、ぼんやりと誰もいない木々の中を見つめていると……、


「――掃除は終わったの!? 何を遊んでいるのかしら!?」

「あ……っ、はい! 申し訳ございません!」


 まとめ役の先輩宮女の怒鳴り声に、条件反射で謝罪と共に頭を下げた。


「まったく、そんなぼぉっとしている暇があれば……って……あら、もう綺麗じゃない……」


 眉間に皺を刻み、睨みつけながら近寄ってきたまとめ役だったが、嫌味を言いながら一帯をぐるりと見渡した後、戸惑ったように勢いを無くした。


「……ふぅん、ちゃんと頑張っていたのね」

「あ……はい……」


 いえ、本当はここを通られたお妃様が……と告げようとして、思い止まる。

 もしかしたらあのお妃様が、まとめ役が言っていた『異例のお妃様』で、先輩宮女が噂していた『獣憑きの庶民の宮』に住まうお方なのかもしれない、と思い至ったのだ。であれば、ここで今の話を素直に伝えてしまうと、あのお妃様が侮られるような噂話に仕立て上げられてしまうかもしれない。

 そうでなくとも、後宮の妃嬪というこの国の宝石であるお方が、宮女のように箒を持つなんて、悪意のある者に見られたら嘲笑されるかもしれない危うい行動だ。

(……これは、ひとまず私の胸の内に秘めさせて頂こう……)

 私を助けてくださったお妃様の為にも、これは口外しない方が良いに違いない。そう判断して口を噤む。

 私だけが知っている、お妃様の秘密だと思えば、特別な思い出だ。なんだかお妃様との秘密の約束が出来たみたいな気がして、勝手に嬉しくなってしまう。

(またお会いしたいな……)

 漠然としたそんな思いを抱えつつ、今の掃除の状況をまとめ役へと報告する。


「わかりました。では残りの枯れ葉の山を、手の空いた者で分担しましょう。よくやってくれましたね、さっさといらっしゃいな――李琳りりん



 ……そう。その日は、李琳が紗耶様を初めてお見かけし、助けて頂いた、特別な『記念日』となったのだ……。



<完>

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