父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。/松浦

  <願いが叶う収穫祭>



 エレン達がサウヴェルの手伝いを始めてから、ヴァンクライフト領は毎年豊作となっている。

 裏で精霊達が力を貸しているのが理由だが、これらにはきちんと対価を支払っていた。

 といってもその対価は大変可愛いもので、豊作となった食物を使ってヴァンクライフト家に勤める料理人達が総出で大量にお菓子を作り、エレンを介して精霊達に配っていたのだ。

 精霊達はほとんど食べる必要がないために、食の楽しみを知らなかった者ばかりだった。そんな中、エレンが持ってくる様々なお菓子は、彼らに革命を起こした。

 ヴァンクライフト領の手伝いと菓子の交換は常に行われていたが、領地をあげて民を巻き込んでの収穫祭を行ってはどうかとエレンが提案したことで、一気に様相が変わる。

 精霊が目の前で捧げられた品々を機嫌良く持って行くので、催しとして大成功して一躍有名になったのだ。

 一生に一度、その姿を見られれば良いと言われている精霊を確実に見ることができると、ひと目見ようとした観光客達で溢れ返り、この時期のヴァンクライフト領は大変な賑わいをみせていた。


          *


 そんな祭りの計画の話をしていたある日、サウヴェルの執務室ではガディエルにこっそり提案された言葉にエレンが首をこてんと傾げた。


「収穫祭ですか?」


 きょとんとしたエレンの声が予想外に部屋に響く。それは誰もが口を噤んでいたからだ。

 周囲にいた者達はロヴェルを筆頭にサウヴェルと家令のローレン、カイとヴァン、そしてエレンの目の前にいるガディエルとその護衛が三人。

 こんなにも人がいる部屋なのに、ガディエルが発した一言で予想以上の反応が起こってしまい、部屋の温度が一気に下がっていた。

 シーンと静けさに包まれてしまった部屋。そして周囲の者達に一気にガン見されて、ガディエルは笑顔を絶やさずにエレンの言葉に頷いてはいたが、内心で冷や汗が止まらない。浮かれて話を切り出す場所を確実に失敗したと思っていた。

 明らかにロヴェルとカイはガディエルに向かって威圧をしているし、察したサウヴェルは関わってはいけないとスッと気配を消している。

 ガディエルの護衛達から励ましの声が上がるかと思ったが、これまた壁に徹しているようでガディエルは大変困っていた。

 しかしこの空気には気付かないまま、一瞬で変えてくれる者が目の前にいた。


「いいですよ!」


 にこっと花が開いたような笑顔で返事をしたエレンに先ほどの不安を一掃されて、ガディエルはぱあっと花が綻んだように笑った。


「本当かい!? 嬉しいよ!」


 エレンの手を取って、その指先に嬉しそうに口づけたガディエルに、エレンも頬をほんのりと染めた。

(うう……照れる!)

 エレンはロヴェルから自他共に認めるほどに過保護に扱われていたため、こういった扱いに慣れていない。

 挨拶の一種なのだからと慣れようと努力をしているが、つい過剰に反応してしまうのでエレンは困っていた。


「そういえば、一緒に回った事なかったね」


 ガディエルが半精霊化した期間は精霊城で過ごしていたが、ガディエルが人間界へと帰ってからは、前と変わらずそれぞれが精霊城とテンバール王城で別々で過ごしていた。

 特にガディエルは今まで王太子としての責務と仕事があった。婿入りする事が決まってからの婚約期間中に、弟への引き継ぎを行っている。

 忙しい合間に事業の話し合いと、エレンもなるべく側にいるようにはしているが、やはり忙しい。

 人間界では常にお互いに護衛がいるので、二人で出かけるという機会がなかったのだ。

 照れ隠しにそうエレンが切り出すと、ガディエルも頷いた。


「ああ、少し前までは呪われていたのだから仕方ないよ。叶うならぜひエレンと一緒に回ってみたいと思っていたんだ。以前、エレンと一緒にお菓子を作れただけでも天にも昇る気持ちだったけど、こんなにすぐに願いが叶うなんて嬉しいな」

「あ、じゃあ今年もお菓子作ろうね!」

「それは嬉しいな。また腕によりをかけないと」


 周囲の睨みを余所に二人は盛り上がる。ガディエルの後ろで見守っていた護衛からはホッとした気配がしていた。

 しかし、ロヴェルとカイの目がつり上がっている。いつもならここで「ダメだダメだダメだーー!」とロヴェルが叫ぶのだが、今年からはギリギリギリと歯ぎしりをしているだけに留まっていた。

 そんなロヴェルを見て、サウヴェルとローレンが驚きに目を見開いていた。ロヴェルが成長をみせたと思っているようだ。

 ガディエルはこの一年で半精霊化してエレンと契約し、さらに婚約もしている。

 この程度の付き合いもできないで婚約者と名乗る方が周囲からしてみればおかしいのだが、ロヴェルからしてみればそんな事でへそを曲げるような奴などエレンの相手にはできないと叫ぶだろう。


「エレン様、また皆さんと一緒に作りましょう。それと、ラフィリアにも声をかけないと後でうるさいと思いますよ」


 こそっと耳打ちのようにささやくカイに、エレンはハッとした顔をした。どうやら怒ったラフィリアの顔が一瞬で頭に浮かんだらしい。


「そうだね。ラフィリアのお菓子はとっても美味しいからみんな欲しがっちゃうもの。たくさん用意して準備しなきゃ!」


 予想外のカイの反撃に、ガディエルの意図など気付かずにいたエレンは何気なく返事をした。

 エレンの頭の上でガディエルとカイの目線がぶつかって火花が散る。それにエレンは全く気付かない。それどころかまた厨房を貸して欲しいとサウヴェルの方を向いてお願いしていた。


「あ~……厨房を使うのは構わないが……エレン、ちょっとこっちへ」

「はい?」


 サウヴェルが苦笑しながらエレンに耳を貸してとコソコソ話すと、エレンは「えっ」という小さな声を上げ、バッと勢いよくガディエルを見た。


「……どうしたんだい?」


 サウヴェルに何か言われたのだろうかとガディエルが不思議がっていると、エレンはその顔を一瞬で真っ赤にしていた。


「あ、あの……気付かなくてごめんなさい……」

「あ……」


 サウヴェルが気を回したのだとガディエルも気付いて頬を染める。こんな面々が揃う前でやり取りをしていることを思い出して、ガディエル自身も気恥ずかしくなってしまったらしい。


「屋台、一緒に回ろうね!」

「ああ。嬉しいよ」


 そう、実はエレン達が婚約したと発表されたのはつい先日。人目のあるところで二人で行動する事がなかった二人は、この秋祭りが初めてのことだった。


「ぐああああ! もう我慢できん! 俺も行く!!」


 今まで我慢していたロヴェルがそう叫ぶ。周囲は「あっ」と小さく声をもらした。


「とーさまはかーさまと一緒に回ったらどうですか?」

「え?」


 エレンの予想外の言葉に、ロヴェルは目を点にした。


「かーさま、いつも屋台の肉串が食べたいと言ってましたよ。たまにはどうですか?」

「え、あ……」


 そう言われて世界の女王であるオリジンを蔑ろにできる者がどこにいるのだろうか。

 さらにそのエレンの言葉を丁度聞いていたらしいオリジンの、テンションが上がりきった声が天井から木霊した。


「いや~~ん! エレンちゃん、最高よ!」


 ぱあっと魔法陣が光って現れたのはこの世界の女王である女神オリジン。その勢いのまま、がばりとロヴェルに抱きついた。


「ぶっ……ちょ、オーリ!」

「あなた~! わたくし肉串が食べたいわ~~!」


 きゃっきゃっと楽しそうに言うオリジンに、ロヴェルはうぐぐ……と何も言えなくなる。ここでエレンが心配なんだと諭せば、間違いなくオリジンは泣き出してしまうだろう。


「良かったですね、かーさま!」

「ええ。わたくしも行ってみたかったの。だってとっても楽しそうなんだもの~!」


 ここまで喜ばれたらロヴェルも何も言えなくなると思ったが、最後の抵抗とばかりにヴェルが言った。


「親子水入らずで秋祭りを楽しむのもいいな!」

「夫婦水入らずの方が良くないですか?」


 すかさずエレンの反撃が飛んできて、ロヴェルがカチンと固まった。

 エレンはもうガディエルと回ると決めているが、だからといって邪魔をするなと思って言っているわけではない。

 むしろどうしてここで親子? と言いだしたのか本当に分かっていなかった。

(かーさまはとーさまと回りたがってるのに……)

 ロヴェルを残念そうに見ているエレンの表情に気付いたロヴェルがショックを受ける。


「……兄上、そろそろ諦めた方がよろしいですよ」

「ええ。何事も過ぎると毒と申します」


 ローレンの言葉に、ロヴェルは今度こそ撃沈したのだった。


          *


 収穫祭の前日、屋敷の厨房ではラフィリアだけでなく、リリアナやイザベラも呼んでお菓子作りが行われた。

 エレンが教えたリンゴのパイは、一見、薔薇のように見えるパイだった。

 二センチ幅ほどの横長に切ったパイ生地の上に、皮付きのままの二ミリ幅のくし切りリンゴを横一列に並べて盛り付ける。そこに下のパイ生地と重ねるように横長のパイ生地で並べたリンゴを挟むのだ。

 そうしてリンゴを挟んだ生地を端からくるくると巻けば、花に見立てる事ができるという薔薇のアップルパイだった。

 一つが掌に収まるほどのパイとなり、配るのにも丁度よい。ついでにシナモンシュガーも教えて、シナモンロールも作ってみた。

 見た目も美しく、貴族のお茶会でも大好評という品だ。

 ラフィリアがリンゴジャムを作っている横で、リリアナとイザベラがパイ生地を作っている。

 カイ達がシナモンを砕いたりしている横で、エレンはラフィリアから味見と言われて出来たばかりのジャムを食べさせてもらっていた。

 ロヴェルはバターや生地を休ませるための氷を魔法で出したりと大活躍。エレンとガディエルが切ったリンゴが並んだ細長い生地を、端からくるくると巻いてロール状にしていった。

 できあがった生地は屋敷の料理人に渡して次々と焼いてもらう。

 他の面々は荷物運びをやったり、洗い物をしたりと作業をしていた。生地を捏ねるのが大変な力作業だと知るやいなや、サウヴェルが腕まくりをしてリリアナを手伝っていた。

 今、ここにヒュームとカールだけがいない。ヒュームは治療院の方で出す品物で手一杯らしく、カールは祭り会場の設置を手伝っているらしい。

 少しだけラフィリアが残念そうな顔をしていたのをエレンはめざとく見てしまったのだった。

 ヴァンクライフトは高位貴族であるにも関わらず、ここにあるのはアットホームで和気藹々とした空気だ。少し前まで、ガディエルの横に立ってこんなにも笑う日がくるなんてエレンは思いもしなかった。

 全ての工程を終え、焼き上がったパイの粗熱を取っている皿がテーブルに大量に並んでいる光景は壮観だ。


「いっぱいできたね!」

「ああ、これらは祭りで配るのかい?」


 できあがった薔薇のアップルパイは、見た目が大変華やかだ。これを出したらより話題になるだろうと思っていたら、これは精霊用だった。


「少しだけ崩れてたりするものとかは皆で味見して、残った綺麗な方を式典用として全部精霊達に配るんだよ」


 ヴァンクライフト家で作られた物は特別な物として、基本的に一般には出回らないようになっていた。


「祭りで配られるのは治療院で作られたクッキーとかかな?」

「治療院で?」

「治療院の敷地で育ててたレモンの木がすごく大きくなって、とっても豊作なの。これから冬にかけてどんどん実るそうだから保存食と消費の相談されてて……蜂蜜漬けとか、レモンクッキーとかレモンパイとか……」


 他にもレモンジャムやレモン塩といった調味料類まで出てきてガディエルは驚く。


「リハビリで絵とかも画材を作るのもそうなんだけど、やってみて苦手っていう人やっぱり多いの。でも患者さんの中に料理ならできるっていう女性が多くて。じゃあレモンで何か作れないかなって相談されたんだ」

「いつの間に……」


 そして気付いたら大きくなっていた、と聞いてガディエルは呆然としていた。

 今度はその売り上げも治療院での売り上げとして計上し、治療費が払えない患者さんの補填にしているらしい。

 たった一年、半精霊化のために精霊界にいたガディエルは、その現状を見られていなかった。気付けばヴァンクライフト領の治療院はあっという間にどこまでも広がっていく。


「本当にすごいな……」

「ね、みんな凄いよね!」


 キラキラとしたエレンの笑顔に、ガディエルは苦笑した。それは他の面々もそうだったようで、ロヴェル達も苦笑している。


「あくまで提案で、実際に行動しているのはその場にいる者達だ、とエレンは言い張るからな」

「提案しても行動しなければ何も始まりません」

「まあ、そうなんだがな」


 レモンの皮を乾燥させれば調味料としても役に立つし、発酵したレモン塩の塊は高額で取引されているらしい。他のハーブと合わせて瓶詰めにされていたり、蒸留酒と砂糖に漬けて果実酒と、とにかく幅が広い。


「最近では食の都とまで言われ始めているんだがな」


 サウヴェルの言葉に、エレンも驚いた。


「だから、各店が競っていて食べるものには困らないぞ」

「わーい!」


 精霊であるエレンと半精霊化したガディエルはあまり食べられないけれど、美味しい物は純粋に嬉しい。


「ご飯が美味しく感じるって事が、実はとっても大事なんです。具合が悪いと味が分からなくなりますから」

「そうだな」


 エレンの言葉を肯定するガディエルに、エレンもにこっと笑った。


「明日は皆で楽しもう!」

「はい!」


 ガディエルの一声で、皆が一斉に声を上げた。


          *


 いつものようにサウヴェルの演説から始まり、お供えされたお菓子やお酒が獣化したヴァンによって持ち去られる瞬間は、祭りの最高潮をみせていた。

 それからはもう食えや飲めや歌えやの騒ぎとなる。

 ヴァンクライフトにいる騎士達が交代で警備に当たるので、羽目を外しすぎると即座に御用となってしまうという珍事も起こるが、この精霊祭ともいえる収穫祭でそんなことをすれば精霊に見放されると、皆どこかで思っているのか犯罪の数は目に見えて激減していた。

 そんな中、サウヴェル達と親子水入らずで店を回っていたラフィリアの元に、息を切らしたカールがやってきた。


「いた! ラフィリア!」

「カール? どうしたの?」

「警備交代になって自由時間になったんだ。良かったら一緒に回らないか? あっちにうめーのがあるんだよ!」


 カールの笑顔が眩しい。純粋に一緒に食べようということなんだろうと思うが、ラフィリアの顔がぼっと赤くなった。


「そ、そんなに美味しいなら……行ってみてもいいけど……」

「お前が作る飯の方がうめーけど、あっちもなかなかだと思うぜ。俺のオススメ!」

「ちょ、なによ!」

「は? 何で怒るんだ?」

「怒ってない!」

「じゃあいいだろ、行こうぜ!」


 戸惑っているラフィリアの手を取って走り出そうとするカールを「ちょっと待て」と止めたのは、指の骨をボキボキと鳴らしたサウヴェルだった。


「うちの娘に何か用かね……?」


 大人げないその姿に、隣にいたリリアナが思わず吹き出している。


「あなた、野暮ですよ」

「うぐ……!? だ、だがな、飯とはなんだ飯とは! ラフィリア、こいつに飯を作っているのか!? いつの間にそんな事をしている!?」

「騎士団の遠征でご飯作っただけよ? お父さんもそこにいたじゃない」

「あ……」

「なに勘違いしてんの?」


 ラフィリアの言葉に、サウヴェルは己の娘が騎士団にいることを忘れてしまっていたようだ。

 カールも騎士団に所属しているので、演習や訓練で遠出することなんてしょっちゅうのはずなのに、どうやら失念していたらしい。


「ラフィリア、行ってらっしゃい。お父さんは任せてね」

「……! お義母さんありがとう! よろしく!」


 リリアナにぱちんとウインクされて、さすがに気付かないラフィリアではない。すぐにカールの手を握り返し、走って行こうとした。


「あ、エレン! 来年の収穫祭は一緒に回ろうね!」

「う、うん! 行ってらっしゃいー!」


 さりげなく来年の予約を埋められてしまった事に、横で聞いていたガディエルはハッとする。どうやらそれはカールも同じだったようで、しまったという顔をしていた。


「行こ!」

「あ、ああ」


 そう言ってラフィリアとカールは走って行ってしまった。


「……見た? ガディエル」


 ちょっと興奮気味なエレンに、ガディエルは苦笑した。


「手、繋いでたね!」


 きゃー! っと大はしゃぎのエレン。ショックを受けているサウヴェルと、見ていて飽きない二人に周囲の者達が笑った。


「僕達も繋ごうね」

「え? あ、う、うん……」


 さりげなくきゅっと握られた手は恋人結び。気恥ずかしさで我に返ったエレンは、頬を染めながらガディエルの顔を見上げた。

 そんな顔を向けてもらえたせいか、ガディエルもいたくご機嫌だ。


「ギリギリギリ……」


 ロヴェルの歯ぎしりが聞こえてきたあたりで、ガディエルはエレンの気をさりげなく逸らした。


「エレン、あそこに肉串があるよ」

「きゃー! 肉串だわ!」


 突如オリジンが目を輝かせてロヴェルの腕に絡みつく。食べたいわと満面の笑みで甘えた。


「オーリは肉串大好きだね?」

「うふふ。あなた達と一緒に食べるのが楽しいの」


 ロヴェルが屋台で肉串を二本注文すると、その屋台の親父は手が震えていた。領主夫妻とその兄である英雄一家がやってきたので、緊張しているのだろう。

 この店はタレに漬け込んだ鶏肉をパンに挟んだタイプと、串に刺したタイプを売っているらしい。


「エレン、ほら」

「ありがとうございます!」


 ロヴェルが一本をエレンに渡す。そしてロヴェルが最初に一つ齧り付いた。


「ん、甘辛いな。エレンの甘ダレか?」

「は、はい! お嬢様に教わった甘ダレでございます!」


 以前、エレンは砂糖を使った甘ダレを教えた事がある。これが流行って至るところの店で提供されているのだ。

 甘いのが苦手なロヴェルでも食べられると好評で、サウヴェルにも勧めてみたら予想以上にハマってしまってしばらくこればかり食べていた事があった。

 ロヴェルは手に持っていた串をオリジンに差し出して、あーんをしている。嬉しそうに口にするオリジンに、ロヴェルも笑顔だった。


「はい、ガディエル。あーん」


 慣れた様子でエレンがもらった肉串をガディエルに差し出してあーんをすると、ガディエルとその後ろの護衛三人がぎょっと目を丸くした。


「あれ?」

「んん…! で、では……失礼するよ」


 一言断りを入れてから食べるところがガディエルらしい。何やらじ~んと感動した顔で噛みしめている姿を目撃したラーベに笑われていた。


「ぶふっ……ふふふ……良かったですね、殿下」

「この屋台は美味いですよね。分かります」


 笑いをこらえているのにこらえきれないラーベと、この店の商品の美味さを力説するトルーク。トルークは以前、この屋台で食べた事があるようで、「パンもオススメです」とキリッとした顔で報告していた。


「あ……ガディエルはあまりしないのかな?」


 非常識だったのだと気付いたエレンがしゅんとして肩を落とす。日頃からロヴェル達と食べ物を分け合っていたので、ついやってしまった。


「んんっ……!」


 ガディエルは肉を噛みしめながら食べていたせいで、口の中にまだ肉が残っているらしい。肩を落としたエレンを慌ててフォローしようとするが、まだ肉を飲み込んでいなかったので慌てて咀嚼していた。


「エレン様、殿下は王族ですので食べるものには一段と厳しい監視がなされていました。なので、こういった事は経験がないのです」

「あ……そうだよね。ごめんなさい」


 またしゅんとしたエレンに、ガディエルは首を横に振った。


「いや、大丈夫だよ。ちゃんとロヴェル殿が毒味をしていただろう?」

「え……」


 エレンが思わずロヴェルを見ると、少し面白くなさそうな顔をしていた。


「まあ、今はほとんど心配する事もありませんがね。厄介な毒を盛るやつがいなくなりましたし」

「え……?」


 ロヴェルの言葉に一体誰のことだと一同が驚いている。

(あー……アギエルさんの事かな……)

 ロヴェルが甘い物が嫌いになった理由だった。


「それはそうと……エレンからあーんだと……?」


 またもやギリギリギリとロヴェルから歯ぎしり音がしてきて、エレンは慌てた。


「とーさま、はいあーん!」


 持っていた肉串をぱっと差し出してロヴェルの口元に持って行くと、しぶしぶながらロヴェルがその肉串に噛みついた。

 でもどこかその顔は嬉しそうだったので、それだけでロヴェルの溜飲は下がったのだろう。

 しかし、それを見たガディエルが打ちひしがれていて、その後ろにいたラーベが「ぶほぉ!」と吹き出して笑っていた。


「なんて……なんて面白い……ぶふっ」

「おいラーベ……」

「申し訳ございませ……ぶふふっ」


 少し離れた場所ではエレン達を見守っていたカイとヴァンがいた。ガディエルが顔を上げるとカイと目が合って、フッと鼻で笑われてしまった。


「ぐっ……」


 確かにエレンにあーんをしてもらった喜びが吹っ飛ぶほどの衝撃だったが、ガディエルも負けてはいない。

 もぐもぐと肉串に夢中なエレンに、ガディエルはにこっと笑った。


「すまないが、別の味を二本追加でくれないか?」

「はいい!」


 屋台の親父に追加をお願いしたガディエルは、次は塩ダレを渡された。


「ロヴェル殿、先ほどのお礼です」

「……ふん、まあいいだろう」


 ガディエルから一本受け取ったロヴェルは、また自分から齧り付いてオリジンにあーんをしていた。

 今度はガディエルが先に食べ、そしてエレンに差し出した。


「はい、エレン。あーん」


 にこっと笑って差し出された塩ダレの肉串に、エレンは目をぱちくりとさせていたが、すぐに嬉しそうにかぷっと齧り付いた。


「んん……あふあふ」

「ああ、ごめん。出来立てだったから……熱かったね」


 こくんと頷きながらも、エレンは両手で口元を隠しながら笑顔で感想を言った。


「でもおいひい! はふ、はふ」

「かわいい……」


 そんなエレンの様子に、ガディエルは思わずといった風に呟いた。


「殿下、心の声がもれていますよ」


 ラーベからぼそりと言われて、ガディエルは照れをゴホンと咳払いをして誤魔化した。

 ふとカイに目をやったガディエルは、勝ち誇ったようにフッと笑ってやる。すると、またカイとガディエルの間で火花が散った。


「おい、小僧。これも買え」

「ちょ、お前! 俺たちは今エレン様を護衛をしているんだぞ!」


 そんな会話がエレンの背後で聞こえてきて、祭りを堪能している様子が伝わってきた。


「エレン、次はあっちへ行ってみよう。何か演奏をしているようだよ」

「うん!」


 ガディエルとエレンは手を繋いで賑やかな方へと向かう。その後ろでロヴェルとオリジン、サウヴェルとリリアナが微笑ましそうに腕を組んで歩いていた。

 散り散りになると護衛が大変なのでまとまって歩いてはいるが、なるべくエレン達を邪魔をしないようにと配慮して距離を空けている。


「……複雑だ」


 エレンとガディエルの楽しそうな様子を遠目に眺めながら、ロヴェルがぽつりとこぼす。


「ふふふ。でも、わたくしは少し嬉しいわ」

「え?」


 訝しげな顔をするロヴェルの頬をつんつんと突くオリジンは、ロヴェルを見上げながら言った。


「だって、わたくしは水鏡で眺めるばかりだったもの。たまにはあなたと昔みたいにこうして歩きたかったの」

「オーリ……」

「エレンちゃんの騎士であるあなたも可愛かったけれど、たまにはわたくしの騎士に戻ってきてもいいのよ?」


 そう言って、オリジンはロヴェルの頬を少し抓った。

 ロヴェルがエレンに構い過ぎて少し焼きもちを焼かせていたのだと知ったロヴェルは苦笑した。


「すまなかった。でも俺はいつでもオーリの騎士さ」

「ふふふ。わたくしの騎士はとっても可愛いんだから仕方ないわね」


 突如、前方の広場から「わああああ!」と歓声が上がる。

 なんと広場の中央では、ガディエルが音楽隊の一人からヴァイオリンを受け取り、演奏していたのだ。

 その巧みな技術に隣にいたエレンが感動しているのを少し面白くないと感じるロヴェルだったが、とても楽しそうな二人を見て苦笑した。

 二人の周囲が明るく見える。それはこれから二人で歩む未来を照らしているかのようだった。


「エレンの騎士の座を譲る日がこんなに早いと思わなかったよ」

「ふふふ。次のあなたはサティアの騎士かしら?」


 生まれたばかりの双子の妹の顔を過らせたロヴェルは、う~ん……と言葉を濁す。


「そうなるだろうか? 隣に兄がいるのだからそちらがなりそうだが」

「それはそれでとっても楽しみだわ」

「ヴェルクもサティアも俺に似ているからなぁ……」


 ロヴェルの中ではすでに何やら予感があるらしい。そんな会話をしながら、ガディエルの演奏を見守っていた。


 演奏を終えたガディエルが音楽隊にヴァイオリンをお礼を言って返すと、興奮した人達から拍手と賞賛を贈られた。

 この国の王子だと気付いていない者がほとんどだからこそ、こんなにも触れ合えるのだろう。

 ヴァンクライフト領では、テンバール王族は嫌われていた。それはロヴェルの件しかり、アギエルの事件やラフィリアの誘拐事件があったからだ。

(事情を知らないとはいえ、最近のガディエルの人気は凄いから……でも、こんなに変わるなんて思わなかったな)

 治療院の改良に積極的に参加して学んでいたガディエルは、女性達から噂が広がっていつの間にか人気者になっていた。

 ガディエルが収穫祭をとても楽しんでいるのが伝わってきて、エレンも嬉しい気持ちで溢れた。

(ガディエルの女性からの人気が上がっちゃうとちょっと嫌だけど……ガディエルが凄いんだから仕方ないよね)

 そんな事をエレンが考えて意識を持っていかれていると、それを破るかのような大きな声がした。


「精霊姫さんじゃないか……! ということは、まさか、兄ちゃんは精霊姫と婚約した王子様かい!?」


 ふと、大騒ぎしていた中からそんな大声が聞こえ、突如周囲の音が静まった。周囲の者達から驚愕の顔を向けられ、エレンと護衛達に緊迫が走る。


「ああ、そうだ。今日はお忍びで来ていたのだが……バレてしまったな」


 ガディエルは笑顔のまま、エレンの手を取って皆にじゃあと手を振った。


「ありがとう、楽しかった!」


 スッとその場を抜けるその手腕に驚くが、周囲は人で溢れていたのでエレンは思わず念話でガディエル達に連絡した。


『騒ぎになりそうなので、噴水の所に転移します!』


 行き先を連絡して、エレンはガディエルと共に転移で消える。それを見ていた者達は、「うおおおおおお!? やっぱり精霊姫様だーー!」と大騒ぎしていた。

 ガディエルの護衛達は走って噴水の所へと行く。カイとヴァンは先に転移したらしい。ぽつんと残されたロヴェル達は声を出して笑ってしまった。


「さすが俺の娘。機転が利くな」

「ふふふ。大丈夫そうね」


 ロヴェルとオリジンは二人で顔を見合わせて笑った。


          *


 噴水の所まで転移して逃げたエレン達は、護衛達と合流してからまた祭りを堪能した。

 日が暮れ始めると、次第にパラパラと人気がなくなっていく。これから広場のステージでサウヴェルの終わりの挨拶があるのだろう。

 夕暮れを見ながら、ガディエルはとても嬉しそうに言った。


「ヴァンクライフトの収穫祭は、願いが叶うって噂されているのを知っているかい?」

「え? そんな噂があるの?」

「精霊に見守られているから、願いが叶うかもしれないっていう願掛けに近いのだと思うけれど、俺は叶うと思っているよ」

「どうして?」

「俺はずっとエレンと一緒に収穫祭に行きたかった。お忍びで収穫祭に行っていたのに、気付けばエレンと一緒にお菓子を作ったり……そんな風に少しずつ願いが叶っていることに気付いたんだ」

「…………」

「今じゃこうして、横にいて一緒に収穫祭を楽しんでる。ね? 俺の願いが叶っているでしょう?」

「……本当だね」

「エレンだったら、何を願ってみる?」

「私? 私かぁ……」


 う~ん、と少し考え込んだエレンは、ガディエルを見て「ふふふ」と笑った。


「とっても楽しいこの収穫祭が続きますように!」


 少し驚いたガディエルは、それはいいねと微笑んだ。


「そして、ガディエルと変わらず一緒にまた行けますように」


 エレンがガディエルの手を握って、にっこりと笑う。その笑顔を見て、ガディエルはしゅんと肩を落としてしまった。


「それは……来年は叶いそうもないような……」

「えっ、どうして!?」

「エレン、ラフィリアと一緒に回ると約束していたじゃないか」

「あっ」

「…………」


 今思い出したとばかりにエレンが驚いた顔をしていたが、顔を見合わせていたエレンとガディエルはこらえきれずに大笑いした。


「叶うお願い事に変更しなきゃいけない?」

「いや、そのお願い事にしておいて。俺がラフィリアからエレンの隣をもぎ取るから」

「えー!? 約束だもん、ラフィリアとは回るよ!」

「むむむ……カール殿と協力しなければ……」

「四人で回るっていうのは?」

「…………ラフィリアから離れてくれって言われそうなんだが」


 まだ腑に落ちないガディエルにエレンはクスクスと笑う。

 今年の収穫祭は日が沈むと同時に終わるのに、もう次の話をしている。


「こういうの、いいね」

「うん。ずっと言い合いたいね」


 これからはずっと一緒に歩いていきたい。

 エレンはこっそり、そう願った。

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