樹のハービーさんとお医者さんのお話

「先生、な、治りますか」

ヒツジ族の男の子、メリヨールくんはそう、べそをかきながら見上げてくる。

彼の成長途中にある角は、ものの見事に根本からぽっきりと折れてしまっている。友だちと遊んでいた時、蹴躓いて岩に角をぶつけてしまったらしいのだった。

「治るよ、治るとも。直接頭を打ったんじゃなくて幸いだったよ」

私がそう請け合うと、彼はすんと鼻を鳴らし、少し落ち着いたようだった。

他に異常がないか確認し、折れた角の根本に角軟膏をたっぷりと塗り、添え木をしてしっかりと包帯で巻く。

「これでよし。このまま動かさなければ、2日後にはくっついてくるだろう。

そうしたらお母さん、軟膏を塗ってあげて、包帯を巻き直してあげて下さい。

お風呂は入って大丈夫ですが、角はできるだけ濡らさないように。また何かあったらいらして下さいね」

「わかりました。本当にありがとうございます。先生」

メリヨールくんのお母さんはぺこぺこと頭を下げ、診療代に上等なウールの巻物を置いていった。手染めしてあって、触り心地がとてもいい。今年の冬はこれで、いつもより暖かく過ごせそうだ。

彼らを見送った後、私はうんと伸びをした。今日の予約はこれでおしまい。急患が来るんでもなければ……あるいは呼び出されなければ……後はもうゆっくりできるはずだ。

私は森の中で診療所をやっている。このあたりの森はとても広いのに、他に医者は居ないため、種族を超えて手広くカバーしている。都会で医療を学んだものの、そのヒト族のための技術は今ではほとんど生かされていない。

毎日それなりに忙しいが、充実はしていた。このあたりの人々は穏やかで、交流していて心地がいい。大事故らしい事故もないし。何より、時間ごとのけたたましい鐘楼で起こされないのがとてもいい……。

木々の匂いをまとった空気を胸いっぱい吸い込んで、また一眠りしようかと踵を返した時だった。どすん、と地面が揺れた。地震だろうか?

いいや、また再び揺れて、更にもう一度。それが何かの足音だと気がついた時には、向こう側から巨体が覗いていた。

とても大きな樹だった。樹齢何歳くらいだろう、おそらく私の何十倍と歳を重ねているに違いない。その樹が、私の診療所を目指してどんどん近づいてくる。

診療所の中に、かれが収まるようなスペースはない。私が階段を降りていくと、かれはその場で立ち止まった。

「どうしました、ええと」

「ハービー」

かれの言葉は、ざわざわと揺れる梢の音で伝えられた。蔦が持ち上げられて、後ろの方を指す。私が回り込んでそっちに登ろうとすると、蔦がそれを手伝ってくれた。

「うろがいたい」

確かに、そこには大きなうろが空いている。「診てみますね」と前置いて、その中を覗き込んでみる。

すると、刺すような焼き焦げた臭いが私の鼻をかすめた。いつも持ち歩いている小型のランプをひねって、よくよく患部を眺めてみる。

「火傷だ。これは……ひどいですね。雷か何かが落ちましたか」

「よっかまえ。それからずっとひりひりする」

「それは気の毒に。お辛かったでしょう」

「いしゃをめざしてあるいてきて、やっとこられた。どうにか……」

「もちろん、やってみましょう」

私は一旦外へ降ろしてもらうと、診療所の中に引き返し、ありったけの薬を持ち出した。

ポーション水の大瓶、すり潰したカニャの実。冷やし続ける特製の湿布。それからはしご。

ハービーさんの元へと戻り、はしごをうろへと立てかけて登っていく。それから蔦へ支えてもらって患部へ近づき、まずカニャの実を散布した。これは麻酔効果があって、これからの施術に関する痛みをなくしてくれる。

ポーション水は消炎作用がある。大瓶を開け、まんべんなく、ひたひたになるまで塗っていく。これらだけでもだいぶ違うはずだが、4日前の火傷がまだ痛むということは、だいぶ深いところまでダメージを負っているのだろう。

そこで湿布の出番だった。北方で採れる千年氷と花の蜜を使った湿布は、患部を保護し、奥までずっと冷やしてくれる。

火傷の範囲はだいぶ広く、私は丁寧に敷き詰めるようにして、せっせせっせと湿布を貼っていった。すべて貼り終えると、ハービーさんの蔦が私を引き上げてくれ、再び、外で伸びをした。

「いたくなくなった」

ざわざわと、嬉しそうにかれは言った。本当によかった。私は内心、ほっとした。樹に関する施術も学んでいたとは言え、実際に診るのは初めてのことだったのだ。

「ああ、よかった。湿布は8日ほどそのままにしておいて下さい。

倍の時間、冷やす必要がありますからね。ご自身で取ることはできそうですか?」

「とりにてつだってもらう。ありがとう、せんせい」

かれはそう言って、蔦を自身の頭上に伸ばして、大きな果実をもぎ取ってくる。

それを差し出してくれるのだが、大の大人の手に余るほど、両手で持つのが精一杯だった。

「どういたしまして。また何かあったらいらして下さい。おっと……」

やっとの思いで受け取ると、かれはもう一度お礼を言って、それからどすん、どすんと足音を鳴らして帰っていった。

それにしても、本当に大きな実だ。それに貴重なものだろう。見覚えも、聞いた覚えもない。食べられるものなのかな?

一旦地面に降ろし、転がすように運ぼうとすると、不意に果実がぶるっと震えた。

あっという間もなくぱっかりと割れて、中から小さな、樹の子どもが飛び出してくる。

長いまつげに花が咲いた頭。ハービーさんよりもヒト族の姿に近い。その子は私の顔を見て、「パパ!」と指さしてきた。

びっくりしたが、その愛らしさに頬を緩める。慎重に抱きかかえるようにすると、その子は嬉しそうに顔を擦り寄せてきた。

「よし、よし。結婚するよりも先に子どもができるなんてなぁ」

独り言を呟いて、診療所へと戻っていく。多分、明日からはもっと忙しく、そして楽しくなることだろう。


お題:今日のゲストは樹

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