明章
働き者のパシオと賢いシエンタータ姫のお話
「ねえ、聞いたかい。シエンタータ姫の婿選びがついに始まるらしいってさ」
「地位も出身も職業も不問だって。求める条件はただ、姫と同い年であればいいらしい」
「何だって。うちの馬鹿息子もあと20ほど若けりゃ……」
そのお触れは瞬く間にヨゥートタ王国中に知れ渡った。街はその噂でもちきりで、特に床屋と仕立て屋は未曾有の忙しさに見舞われた。
少しでも我が子をよく見せようと、髪を切らせ、上等な服を買い求める母親が殺到したのだ。
シエンタータ姫は現王の一人娘で、あれこれと男勝りな面を持つ、勝ち気で賢い姫だった。
王が持ち込む縁談をどれもすげなく断り、いよいよもう話を通せる相手がいない……そんな頃になっていた。
困り果てた王は一計を案じた。姫にはなんとしても、自分が認めたような由緒正しい家柄の相手と結婚して貰わねば困る。そこで年頃の、平民の少年たちを集め、姫に幻滅してもらうのはどうだろう。
「ああ、やっぱり私はちゃんとした相手と結婚すべきなのだ」といった具合に。
中には美しいものも、頭のいいものもいるだろうが、何、どんぐりの背比べといったところだろう。
昨晩、内密に大臣を呼び寄せこの計画を打ち明けた所、大臣は気乗りがしない様子であったが王の言う通りに働いた。
「陛下! わたくしに話もせずこのようなお触れを出すとは、どういう了見なのですか!」
烈火の如く怒ったのはシエンタータ姫本人だった。王はすべての公務を一時中断し、姫を丸め込む──真実を言っては元も子もない──ために半日を費やさなければならなかった。
ヨゥートタ王国の人々も、それが全くの嘘だとは思いもせず、3日後の婿選びの晩餐会を心待ちに準備を進めた。
街外れに住む少年、パシオもそのひとりだった。
彼は決して、見たこともないシエンタータ姫に憧れていた訳ではない。国を恣にするというただならぬ野望を持っていた訳でもない。
パシオは働き者の青年だったが、父が早逝し、7人のきょうだいと肺が悪い母とを食べさせるのにそれは苦労しているところであったので、普段の仕事よりも報酬がいい晩餐会の給仕に心をときめかせていた。
幸いにも働かせてもらえることになっていて、これで1週間かそこらは生活に余裕が出るはずだった。
「パシオ。お前だって機会はあるはずなんだよ。もしシエンタータ姫とお近づきになれれば……」
「母さん、俺はそんなたいそれたことは求めてないよ。まあ、もしこの仕事がうまくいけば、ずっとお城で使ってもらえるかもしれないけど」
そういった意味で、彼にとってはまさに死活問題ではあった。3日後、パシオはいつものように、きょうだいに自分の朝食を分け与えた。よく洗い、綺麗に伸ばした数少ない一張羅を着て、お城に出かけていった。
夕方からの晩餐会の準備で、城の厨房は大騒ぎだった。給仕の出番はまだ先で、パシオは城の人々が求めるまま、文句も言わず雑用をこなした。
飾り付けの花が足りない、職人見習いがはしごから落ちたので医師を呼んでほしい、どこそこの何何さんに言付けてほしい……果ては運び込まれた羊の世話まで。
たいそう頑張っただけあって、何人かには顔と名前を覚えてもらえた。やっと休憩に入れた頃、誰かがパシオに呼びかけた。
「あんた、そうあんた。こっちにおいで、果物を分けてあげる」
見慣れないお婆さんだった。果物屋だろうか。カゴいっぱいによく熟れた、実においしそうなザクロを持っていて、そのうちのひとつをパシオに差し出してくれた。
「どうもありがとう……なんて甘いんだろう。こんなに美味しいザクロ、初めてだ」
「硬い種もあるだろう。それを少し吐き出してごらん」
お婆さんに言われるまま、パシオは口の中の種を幾つか手のひらの上に吐き出した。不思議なことに、それはとげとげとした形で、まるで星のように光っていた。
色は青と、紫と、太陽のような金色。驚いて何も言えないでいると、お婆さんはにっこりと笑った。
「いいかい、パシオ。その3つを大事に取っておくんだよ。昼と夜と、それから朝だ」
「それってどういう……」
不意に手伝ってくれという申し出があって、パシオはお婆さんから一旦離れた。それからもう一度その場所に行っても、辺りを探しても、お婆さんはどこにも見つからなかった。
日が落ち、お城に人々が集まり始めると、ついに晩餐会が始まった。シエンタータ姫を狙った青年たち──自分こそはという自信たっぷりの者も、母親に言われて仕方なく来ている者も居る。
王が特別に許したため、お城に憧れを抱き、楽しむために来ている娘たち。それから物見遊山で集まった老人たちも。
略式の晩餐会であるので、長いテーブルに椅子はなく、たくさんのご馳走が並べられた。丸々としたガチョウの丸焼き、砂糖と胡椒のパイ、野菜をすりつぶしたスープに、新鮮な果物。
ほとんど、季節外れのお祭りのような有様だった。そんな中でも母親と、パシオのきょうだいたちは見当たらなかった。できたらこの場に連れてきてやりたかったと思いながら、パシオは次々に給仕をした。
もう王子様になったような、無礼な相手もちらほらと居たものの、それらのすべてをやり過ごした。
王たちは設えられた高台から、その様子を見ていた。そしてやはり、姫の相手にふさわしい民など居ないなと確認し、内心、胸を撫で下ろした。
シエンタータ姫はそんな王の様子を横目で見やりながら、黙り込んで、その時が来るのを待った。実は、彼女には父の魂胆はほとんど読めていた。
自分のためにいたずらに煽り立て、民たちを利用するという姿勢も気に食わなかった。けれど結婚は大事だ。それこそ、よく考えて行動しなければいけない……。
パシオにとっては大変な、皆にとっては楽しい時間はあっという間に過ぎていく。頃合いを見て王は立ち上がった。
「改めて、民のみな。お集まりいただき誠に感謝する。そして……」
「そして、わたくしからお願いがございます」
ずっと静かにしていたシエンタータ姫が喋ったので、人々はどよめいた。その声はよくできた鐘のように響き、王の困惑を誘った。
そんな父の様子にも、大臣にも気を留めず、彼女はすっくと立ち上がると、高台から木の箱を掲げた。
樽や、おもちゃを入れるようなものでは決してない。それは実に精巧な真四角で、金飾りで縁取られており、中心には王家の紋章と、円盤がついていた。
民の誰もが、あれは何だろうと思った。あんなものは見たことがない。王はハッとして、それをどうするのか固唾を呑んで見守った。何故姫がここでそれを取り出したのか、姫以外の誰にも分かりはしなかった。
「これはわたくしの……亡き母、王妃が遺した箱細工です。手順を踏めば、世にも美しい音楽を奏でるという代物です。
しかし、わたくしはこの細工の音を、一度たりとも聞いたことがございません。
母が亡くなった後、鍵を陛下が捨ててしまったから。わたくしはそれを求めたいのです……この細工を解くことができた方を、わたくしの夫といたします」
急な申し出に、彼らは困惑した。力比べや知恵比べならまだしも、見たこともない箱を開いてみせよとは。そんな中でパシオは、円盤の表面に穿たれた3つの穴をじっと見ていた。
1人ずつ、姫の目の前に進み出て、箱を試してみることになった。力づくで開けようとしたものは締め出され、隙間からどうにか開けてみようとした者も駄目だった。
ある者は箱などどうでもいいからと姫を口説こうとしたし、一番うまくいきそうだったのは金物屋の息子だったが、あれこれ見てから、望みがないと諦めた。
「とてつもない精巧な細工だ。おれたちにどうこうできないんじゃないか」
1人、また1人、と脱落していった後、パシオはその列に並んでいて、自分の番が来ていることに気がついた。
「さあ、どうです?」
シエンタータ姫はそう呟いた。パシオはその箱を慎重に取り上げて、もっと間近で円盤を確認した……。
思った通りだった。昼と夜、それから朝……刻印がなされている。先程お婆さんからもらった奇妙な種は、この穴にそっくりそのまま入りそうだ。
婿選びの試練に挑むつもりではなかったのだが、それでも、多分これは姫に返すべきものだと思った。
パシオは震える指で、ポケットからその種を取り出して、お婆さんが言った通りの手順で穴にはめ込んだ。
一瞬の耳が痛くなるほどの静寂の後、音楽が鳴り始める。中で──金でできた小鳥が歌うような、一楽団が演奏しているかのような。
列に並んでいた青年たちも、見守っていた母親、娘、老人たちも思わずその音に酔いしれた。本当に、こんなにきれいな音は今までに聞いたことがない。
王はハッと息をつまらせ、もう少しで崩れ落ちそうになった。亡き王妃に贈ったもの……思い出の曲。西方の楽団に曲を依頼し、中央に箱を飾らせて、東方の名うての職人たちに作らせたもの。
もう二度と聞くまいと、そう思って鍵を捨ててしまったのに、一体どうして。
パシオはじっと突っ立って、その曲を聞き漏らさないようにした。シエンタータ姫も聞き入っていた。
音楽が終わる。瞼を見開くと、姫の瞳にはほんの僅かに透明な涙が張っていた。それから、パシオに手を差し伸べてくる。パシオも、しっかりとその白い、細い手を握りしめた。
そんなつもりじゃなかったけれど。でも、本当に夢を見ているような気持ちで。
「……ここに……婿が決まったようだ」
かくして、パシオとシエンタータ姫は結ばれた。それでもパシオはこれまでの自分の仕事を投げ出そうとせず、新しい仕事を覚えながら2倍働いた。
シエンタータ姫は福祉制度をより整え、パシオの家族のみならず、すべての貧しい人々がその王国では幸せになった。
王と大臣のついた嘘は、最良の結果を招いたのだった。
お題:熱いデマ
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