第5話 巻き込まれる者たち 不惑の庭園管理官

「お爺ちゃん、薔薇のお世話終わったよ!みんな元気になったはず!奥の紫の薔薇のところ、友達がちょっと、汚しちゃったんだけど、大丈夫!綺麗にしといたからね。」


「ああ、ありがとう聖女様。」


「もう、そんなんじゃ無いって言ってるでしょ。私はただのミツキ、だよ。お爺ちゃんて呼べなくなっても良いの?」


 頬を膨らせて文句を言ってくる少女に笑いながらすまんすまん、と謝っているのは王宮庭園管理官を長年務めるジョセフ伯爵。

 王妃陛下が管轄している広い庭園全体を把握しているのはもちろんだが、得意な土魔法を使って自ら土壌の整備、品種の改良、植栽の構成を率先して行い、確かな実力で王妃の絶大な信頼を得ている王宮の重鎮の一人だ。


「じゃあ、次は明後日になるかな。また来るね!」


「ああ、ありがとう、待っとるよ。」


 聖女様ミツキを見送ると背後に控えている補佐官に振り返り今後の予定を確認していく。


「さて、ミツキの見た処は明日、状況の確認かの。」


「はい、ジョセフ様。幾つか交配を試していますが、生育の悪い木もありますからね。聖女様の魔法で生育が改善できていてありがたいです。」


「ふむ、楽しみじゃの。」


 ジョセフ伯爵は上機嫌で部屋に戻っていった。


「本当にありがたいのは、ジョセフ様が上機嫌であることか、な。」


 本来、自分の上司は確かな実力と相応の気難しさを持った、尊敬しているが近寄りがたさもあった存在だった。

 それが聖女様が関わるようになって、当初は扱いに困る風であったが、あの周りを巻き込む明るさに感化されてか、いつの間にか祖父扱いを喜んで受け入れていた。

 今の時期、本来であれば庭園の管理室は忙しく重苦しい雰囲気だった。

 各国を招いての式典に向けて、庭園の造形の見事さや新品種のお披露目等、王国の威信を見せる為にも、王室からの期待とそれに応えるプライドでピリピリしていたはずだった。

 それが、あのお方のおかげで良い方向に変わっていた。


「聖女様のご加護が、続きますように。」


 補佐官は笑いながら戻っていった。




 その願いが良かったのか、悪かったのか、翌日早々に庭園を見回っていた補佐官が血相を変えて飛び込んできた。


「ジョセフ様!大変です!」


「とうした、まずは落ち着かんか。何が大変か説明せんとわからんぞ。」


 ジョセフはいつも冷静な補佐官コイツが、ここまで慌てるのは珍しいと思いながら促した。


「そ、それが、聖女様の、お世話している薔薇が、ああ、とにかく直接見て頂いたほうが!」


 部下も連れてジョセフ伯爵は昨日ミツキが世話していた薔薇の育種エリアへと歩いていった。


「育成が悪いわけではないのだろう?慌てることもあるまい。」


「多少、周りの土や花壇が変色しているのは気になりますが、薔薇そのものは健康な状態です。」


「ならば何を慌てておる。」


 とにかく見て欲しいと言うので、まずは現場に急いだ。が、そこで今度はジョセフ伯爵が声にならなかった。


「こ、これは!?」


 そこは昨日まで紫の薔薇を育成していたはずだった。幾つかの品種を掛け合わせて、花弁の変化や色合いに違いを出す改良をしていたはずである。

 その一角が切り取ったかのように違う品種に変わっている。


だと…?」


 付いてきた助手たちも声が出ないほどビックリしていた。

 薔薇の品種改良を何年も担当してきたジョセフにしてさえ、生み出すことができなかった色である。

 新しい品種を生み出すには狙った特性を持った品種のかけ合わせが基本だが、とにかく薔薇は新しい変化を生みにくい。それでも根気よく様々生み出してきたのだが、どうしても到達できなかったのが、青の花弁であった。


「ここは誰の担当だ?」


「育種の担当はポールです。支援はトマが。」


 皆の注目を一斉に浴びてポールは慌てて説明する。


「いやいや、みんなも知ってるでしょ!ここは紫の品種のバリエーションを増やしていた処ですぜ。隣の場所と基本的なかけ合わせは変えてないですって。」


「あとは聖女様が何か知ってるかもしれません。」


「いや、ミツキにお願いしていたのは接ぎ木後の浄化と弱った台木への回復だけだ。しかも草花にとって、どちらも効果は然程高く出ないことはこれまでの事でわかっておる。」


「何か新しい事を試された、とか。」


「いや、あの子は我々の苦労を知っておる。台無しになる可能性があることを勝手にはやらんはずだ。」


 その後、遅れてきたトマも入れて議論を重ねたが、疑問が解消される事はなかった。

 聖女様も汚れを取り除いた以外、改良となるような事はしていないとのこと。

 取りあえず今ある青い薔薇を接ぎ木で維持、増やすことは進めるとして、品種として再現できないと新種の登録もできないし、自らの作品とは言えない。色々な条件で品種改良を試して、再現を目指すしかない。

 しかし中々結果は出ない。

 それでも今確保できている株は貴重な成功例として王家にも報告、厳重に管理されることとなり、いつしか孤高の蒼プラウドブルーと呼ばれていた。



 しばらく目立った進展はなく、品種登録は長期戦になると考えられた。だが来月に迫った式典は待ってくれず、準備に忙しくしていたジョセフ伯爵に、突然その報告がもたらされた。


「ジョセフ様!今王宮から連絡があって孤高の蒼の改良条件と思われる内容がわかったそうです!」


「なんじゃと!何故、王宮から?いや、そんなことより条件は何なのだ!?」


「は!まず聖女様がエルザ様に公爵家の家宝でもある魔剣で突かれたところを分身スキルを使ってギリギリで躱し、カウンターで身体強化と風魔法を使ったトルネード掌底を放って逆に吹飛ばしたところ……」


「待て!待て!待て!」


 今のは何をどう聞いても植物の育成の話ではない。公爵家と聖女の色々な秘技や未知スキルが混ざっていた気がするが、子供向けの冒険小説の話にしか聞こえない。


「何処に品種改良が入ってるのだ!しかもミツキが筆頭護衛騎士であるエルザに襲われたと!?そんな話はどちらからも聞いておらんぞ!」


「す、すみません。ちょっと警備部門から聞いた話が突飛過ぎて、同僚と空想含めて盛り上がってまして…」


「む、何があったかそっちも気になるが、まずは孤高の蒼の事を話せ。」


 補佐官が聞いた話では、あの花壇の一角には公爵令嬢が用意した汚水、どうやら強酸性の薬品も混ざっていたようだが、が全体的に撒かれて、花弁だけでなく葉や茎まで色が変わる状態だった。それを汚れと認識したミツキが浄化で綺麗にしたらしい。聖魔法をお気軽に使ってる気がするが、それは置いておく。

 しかも薔薇だけでなく土壌も汚水の影響を受けた可能性が高く、そこも浄化の範囲に入って綺麗にはなったというが、土中の状態などはわからない。影響の程度は不明のようだ。


「その汚水の入手と分析からじゃな。本来、外部からの要因が直接花弁の色素に影響を与えることはできんはずじゃが、浄化の過程で定着するのか?ううむ、ミツキにも頼んで浄化をかけてもらわんとダメかの。」


「土壌の酸化についても無関係かどうか確認が…」


「いや、それなら広範囲への影響があるはず?何か交配に変わる特性の定着条件があるのでは?」


「やはり聖女様の魔法も重要な要素では…」


 補佐官や技師達が積極的に議論している様子をジョセフはやや目を細めて見ていた。ミツキが来る前は彼らもここまで積極的に意見は出せてなかった。仕方ないとはいえ、自分は厳しく接することしかできてなかったのだ。これもミツキに感謝だな、と考えていた。


 それにしても仮に酸性の刺激を与えることがポイントだとすると、それを用意していた公爵令嬢にも感謝すべきなのか?


「そういえばアクロディア公爵令嬢はなぜ汚水を用意していたのじゃ?しかも酸性の液体まで加えて。」


「ああ、それ聖女様にかけようとしていたらしいですよ。花壇に倒して汚水をかける、イジメの古典的内容ですね。女性は怖いですね。」


 しれっと補佐官が答えるが、聞き捨てならない内容だ。


「な、なんじゃそれは!それもお主らの空想話か?」


「いえ、これは聖女様自ら公爵令嬢に糾弾していたので事実と思われ…」


 補佐官は最後まで言えなかった。ジョセフがすぐに聖女様ミツキに確認する、と叫んで走り出そうとしたからだ。

 補佐官たちは必死に引き止めて、そちらは王太子が調べているので任せるべき、そもそも聖女様はまったくダメージを受けてない、など懸命に宥めているのだった。

 今自分たちがやるべきは、それよりも来月の式典準備の方だ。奇跡の蒼の解明も並行で進めるとなると、他のことにかまける時間なぞまったく無い。



 式典で各国に驚愕と感嘆を与えた孤高の蒼プラウドブルーはその約一年後には品種登録が完了し各国に対して正式発表された。その共同発表者の欄にはミツキの名前と、なぜかベランジェ子爵令嬢の名前も入っていたとか。

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