第58話 玲良と九条家 —前編—

 瑞樹みずきが不可解な死を遂げた翌日、空也くうやはウルフ支部を訪れていた。


 そこには、出張中の雄三ゆうぞう梨花りかを除く全員が揃っていたが、誰一人として空也を瑞樹殺しの犯人だと疑っていなかった。


 トップである玲良れいらが犯人ではないと結論づけているため、空也を疑う声が出ないのは当然と言えば当然だ。

 しかし、そういう表面上のものとは別種の心からの信頼を、空也は感じ取っていた。


 どうして辺境出身である自分をそこまで信頼してくれるのか、と空也は疑問に思ったが、あえてそれを尋ねたりはしなかった。


「でも、本当に不可解な状況よねー。美里みさとはどう思う?」


 舞衣まいが美里に目を向けた。


「うーん、私も瀬川せがわ君たちが考えたことくらいしか思いつきません。【呪い返し】というリスクではなく人の命を代償に発動できる呪術なんて、聞いたことありませんけど……そもそもその【呪い返し】を含め、呪術はわからないことだらけですからどんな可能性だってあります。皆さんはどう思いますか?」

「美里で無理なら全員無理だろ」


 誠也せいやがお手上げのポーズを取った。舞衣、あかねすぐるも頷いている。


 ノックの音が聞こえた。


「はい」

「玲良です」

「王女っ?」


 扉の近くにいた舞衣が、慌てて扉を開けた。

 玲良と杏奈あんなが姿を見せる。


 開口一番に玲良は告げた。


「瑞樹の一件について、お伝えしたいことがあります」


 と。




◇ ◇ ◇




 玲良の話は、要約すると三つにまとめられた。


 一つは、辺境に先王が主導していた呪術の研究施設があること。二つは、直近の様々な時間に関わっているであろう犯罪組織が——その研究所を使用しているのかは別として——、辺境にいる可能性が高いこと。

 そして最後は、王宮会での審議の結果、第三隊から空也を含む六名、第一隊から五名、第四隊から四名の、計十五名の少数精鋭で辺境に向かい、辺境に駐留している王宮軍と合同で調査が行われることになった、というものだ。


「……すみません。空也さん」


 説明を終えた玲良の口から真っ先に漏れ出たのは、空也への謝罪だった。


「何が起きるかわからない今の状態で、辺境に行かせることになってしまって……」

「王女のせいじゃありません」


 空也は首を振った。


 それは、決して単なる慰めではなかった。

 今回は空也が、瑞樹が何か仕掛けてくる可能性に気づかなかったから——、


「そう言ってくださると心が軽くなります。ですが、空也さんも自分を責めないでください」


 思考を中断し、空也は玲良を見た。


「貴方のせいではないことは、皆わかっていますから」


 その玲良の言葉に、杏奈を含めた他の五人も頷いた。


「……速水はやみさんにも同じことを言われました」

「そういうことですよ」


 玲良が微笑んだ。


「でも、何で空也は絶対なんですか?」


 舞衣が首を傾げた。


「他の部隊からすれば容疑者なのに、調査隊に参加させるなんて」

「容疑者だからこそ、王都から離したかったんだろ」


 傑がため息混じりに言った。


「どういうこと?」

「考えてもみろ。もし空也が犯人なら、周りに人がいる中で、誰にも気づかれずに殺人を犯せることになる。そんな奴、自分の近くにいて欲しくねえと思うのが当然だし、普段は数日はかかる王宮会がわずか数時間で結論を出したのも、要はそういうことだろ」

「あー……」


 舞衣が曖昧に頷いた。


「瀬川君以外のメンバーは決まっていますか?」


 茜が玲良に問いかけた。


「異界の発生に備えて祐馬ゆうまは加えます。あとは皆さんの中から二人、ウルフ以外の隊員から二人選ぼうと思っています。ウルフからの選出は、皆さんにお任せします」


 茜はわかりました、と頷いた。彼女はウルフの顔を見回した。


「どうしようか。やっぱり、瀬川君の実力が一番わかっている傑君は確定かな?」


 皆の視線が傑に集まる。


 目を閉じて考え込む素振りを見せてから、傑はいや、と首を振った。


「茜と舞衣が行け」

「えっ、どうして?」

「空也に攻撃と【索敵さくてき】に専念させるためだ」


 傑が空也にチラリと視線を向けてから続けた。


「確かに俺が一番コイツの実力や戦い方を把握しているんだろうし、連携も悪くねえ。が、そうなると攻撃に偏りすぎる。もし勝負が拮抗すれば、俺と空也も守りに加わる必要が出てくる。どうしたってウルフ俺ら以外は穴になるからな。それはもったいねえし、火力も半減しちまう」

「確かに……茜一人に防御と回復任せるのはさすがに厳しいもんね」


 舞衣が顎に手を当てた。

 そういうことだ、と傑が頷く。


「俺と空也が守備に意識を割きつつ戦うなら、舞衣と茜が防御と回復を担当して、空也一人を攻撃に専念させたほうが良い。だから俺と同じで攻撃に偏っている誠也、戦闘要員じゃない美里もナシだ」

「なるほど……空也君はどう思う?」


 舞衣が話を振ってくる。


「全員のパワーバランスを最も把握しているのは米倉よねくらさんですから、米倉さんの決定に従います」


 空也は傑を見て頷いた。空也はそれに、と続けた。


「正直な話、攻撃と【索敵】に集中させてもらえるなら、僕としてもありがたいです。防御はそこまで得意じゃないので。集団戦は特に」

「決まりね」


 舞衣が手を叩いた。


「もう二人の隊員はどういたしましょうか?」


 玲良が皆を見回す。


「攻守にバランスの取れた隊員が良いかと。王女、第三隊の名簿とかありますか?」


 傑が玲良に尋ねた。

 ——敬語も使えたんだな、と空也は意外に思ったが、もちろん口には出さなかった。


「杏奈に預けましたっけ?」

「はい。こちらですね」


 杏奈が書類の束を傑に渡した。


「助かる——相性とか色々あるから、もう一人もこっちで決めて良いですか?」

「もちろん構いません。むしろ、助かります」

「了解しました……お前は?」


 傑が空也に視線を向けてくる。

 お前もメンバー選考に参加するか、という意図だと解釈した空也は、首を振った。


「いえ、僕は速水さんと國塚くにづかさん以外の方はわからないので、皆さんにお任せします」

「そうか」


 傑が書類に目を落とす。他のウルフのメンバーもその周りに集まった。


「空也さん」


 手持ち無沙汰になった空也に、玲良が声をかけてくる。


「何でしょう?」

「この後、お時間はありますか?」

「この後ですか? はい、あります」


 空也は脳内で、この後に何も予定がないことを確認して頷いた。


 良かった、と玲良が息を吐いた。


「でしたら、一つお願いがあります。これから九条くじょう家に諸々の事情を説明に行くので、空也さんにもついてきてほしいのです」

「それは構いませんが……よろしいのですか?」

「何がでしょう?」


 玲良が首を傾げた。


「皆さんが無実を信じてくださっているのは本当に嬉しいのですが、対外的に見れば容疑者であることに変わりはありません。そんな僕と外を出歩くのは、あまりイメージ的に良くないのでは?」

「だからこそ、ですよ。杏奈しか連れていない私が空也さんといるということは、貴方が犯人ではないというアピールにもなりますから」


 玲良がウインクをした。


「……ありがとうございます」


 空也は、玲良の気遣いに感謝した。

 一つ微笑んでから、玲良は空也の手を掴んだ。


「さあ、参りましょう」




◇ ◇ ◇




 九条家の当主室に足を踏み入れるのは、玲良にとっては少し久々のことだった。


 当主室には九条家現当主の大河たいが、その妻である美穂みほ、二人の一人娘の皐月さつき、執事長である佐々木ささき、副執事長の吉田よしだ、護衛隊隊長の野中のなか優作ゆうさく、そして護衛隊最年少にして副隊長でもある早坂はやさか沙希さきという主要メンバーが集まっていた。


 玲良は彼らに、瑞樹の一件や、今後空也を含めた調査隊が辺境に派遣されることなどを伝えた——といっても主に説明したのは杏奈で、玲良は空也とともに補足をしただけだが。


 それぞれが何らかの反応は示したものの、さすがは九条家というべきか、誰一人として取り乱しはしなかった。

 いくつかの質疑応答を経て、会議——というよりは報告会に近かった——は終了した。


「大河さん」


 皆が次々と部屋を出ていく中、玲良は椅子に腰を下ろしたままの九条家当主に声をかけた。


「何でしょう?」


 大河が立ち上がった。


「少し、お話をよろしいでしょうか?」

「……それなら、皐月も同席させていただきたいのですが」

「皐月さんを? こちらとしては構いませんが……」


 玲良は意外に思った。


 これからする話はお互いの今後に大きく関わることで、それは大河もわかっているはず。

 以前彼は、皐月には慎重に経験を積ませたいと言っていた。そんな彼にしては大胆な決断だ、と玲良は思った。


「ありがとうございます」


 大河は深く一礼した。彼は自分の娘を見て続けた。


「おそらく、あの子はこの流れに身を投じることになるでしょうから……」


 不安と心配の入り混じった横顔を見て、玲良はその心中を察した。

 玲良は皐月——ではなく、彼女と話している空也を見ながら、そうですね、と頷いた。

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