第59話 玲良と九条家 —後編—

「はあ……ふう……」


 皐月さつきは深呼吸をした。落ち着け、と自分に言い聞かせる。


 突然告げられた瑞樹みずきの死とその謎、空也くうやの辺境行き。そして玲良れいら杏奈あんな大河たいが佐々木ささきという最重要メンバーの中に放り込まれているという現状に、皐月は混乱してしまっていた。


「皐月さん、そう緊張なさらずに」


 玲良が優しく声をかけてくれる。


「はい……申し訳ありません」


 皐月はもう一深呼吸をした。目を閉じる。

 自分は九条くじょう家の次期当主だ。こんなところで取り乱してどうする。


 強気な自己暗示のおかげか、皐月はいくらか冷静になることができた。


 玲良が視線を送ってくる。皐月は感謝の意を込めて頷いた。


 玲良が微笑みを浮かべた。

 彼女は真剣な眼差しに戻って、それでは、といった。


「早速本題に入らせていただきます。私はこの席で、今後の我々と九条家の関係について話し合いたいと思っています」


 玲良の提示した議題は重みのあるものだったが、皐月は動揺しなかった。

 メンバー構成から、ある程度は予測できていたからだ。


「大河さんにご支援の意思を表明していただいてから、我々は長い間良好な関係を築いてきました。しかし、第三隊の現在の風向きは決して良いとは言えません。敵も多いし、容疑者を自分たちの管轄かんかつ内で死なせたわけですから。今後の状況次第では、王位継承争いから弾き出される可能性だってあります。もちろん必死に食らいつきはしますが……こんな我々の現状をかんがみて、九条家あなたがたはどうなさいますか?」

「私の考えは変わりません」


 大河が間髪入れずに答えた。


「私は、王位が取れそうだから玲良様に協力したわけじゃありません。今のような誠実さと芯の強さ、貴女の人柄に惹かれたから、お力添えをさせていただいているのです。そしてそれは、貴女が貴女である限り、どのような状況になろうと変わりません」

「同感ですな」


 佐々木が大河に同意した。


「……ありがとうございます」


 玲良は噛みしめるように言った。


「お前はどう思う? 皐月」


 大河が聞いてくる。


 皐月は自分に視線が集中するのを感じた。

 ここで、父と執事長という信頼できる二人の意見に同意するのは簡単だった。


 しかし、皐月はそうしなかった。それでは、この場にいる意味がないからだ。


 自分なりの答えを出すため、皐月は玲良に問うことにした。


「玲良様。二つほど、質問をよろしいですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます。それでは一つ目ですが、玲良様はなぜ、空也くうや君をそこまで信じるのですか? 正直、彼が犯人であるというのも、可能性としてはあると思うのですが」

「私が信頼できると思ったからです」


 玲良はキッパリと答えた。


「特に今回のようなケースでは、ないことの証明は難しい。極端な話、その場にいた私以外の全員が共犯だった可能性だって、私目線ではあり得ます。ですが、疑い出したらキリがありませんし、前に進めません。だから私は、最後は自分の直感を信じるし、空也さんを信じているのもそのためです」

「なるほど……」


 格好良いな、と皐月は思った。

 玲良はしっかりと自分を持っていて、そんな自分を信じて前を向いている。

 そんな姿を、皐月は素直に尊敬した。


 しかし、玲良ならそんなふうに答えることは予想できていたことだった。

 だから、一番聞きたいのは次に問う、二つ目の質問の答えだった。


「それでは二つ目ですが……もし、もし空也君が今回の犯罪に何らかの形で関わっていたなら、玲良様はどうなさいますか?」

「っ——!」


 予想していない質問だったのか、玲良は目を見開いた。しかし彼女は、すぐに冷静な表情に戻って口を開いた。


「私の手で捕まえて、更生させます」


 玲良の目に、一切の迷いはなかった。


「自らの罪を自覚させ、必ずつぐなわせます。そして、彼が過ちを悔いて反省し、償いを終えたら——『お帰りなさい』とでも言ってあげます」


 玲良が、最後はドヤ顔で締めくくった。


 参ったな——。

 皐月は堪えきれずに小さな笑いを漏らした。笑みを残したまま、皐月は口を開いた。


「私の考えも、お父様や佐々木と変わりません。玲良様が玲良様でいる限り、微力ながらお力添えをさせていただきます」




◇ ◇ ◇




 玲良、杏奈、大河、佐々木、皐月が話し合いをしている中、空也は沙希さきとともに九条くじょう家の庭を歩いていた。


「昨日の空也の忠告、こういうことだったんだ」


 沙希がポツリと言った。


「うん」

「空也でもわからないこと、あるんだね」

「買いかぶりだよ」


 空也は小さく笑った。


「魔法についても知らないことはまだまだあるし、呪術なんてわからないことだらけだよ。だから沙希さん、気をつけてね。少しでも自分や周りの人間に異変を感じたらすぐに誰かに相談して……って、どうしたの?」


 空也の視線な先では、沙希が苦笑していた。

 ごめん、と沙希は謝った。


「危険なのは辺境に行く空也も一緒なのに、全然自分の心配をしていない。それが少しおかしかった」

「ああ……」


 言われて初めて、空也は自分がまったく己の身の安全について考えていなかったことに気がついた。


「いくら空也が強くても、辺境に調査に行った人が帰らなかったことも少なくないし、こんな状況じゃ何があるかわからない。ちゃんと自分を大切にして……それで、必ず生きて帰ってきて」

「……わかった。お互い、また元気な姿で会おっか」

「うん」


 空也と沙希は、互いの目を見て頷き合った。


「おーい」


 遠くから、元気な声が聞こえる。


「空也さーん、沙希ー!」


 ブンブンと手を振りながら、ヒナが小走りでやってきた。

 彼女にしては珍しく、何かにつまずいてコケることもなく空也たちの元に辿り着く。


「ヒナ」

「やっ、沙希」


 沙希に軽く手を上げてから、ヒナが空也に頭を下げた。


「空也さん。昨日はすみません。せっかく来てもらったのに、顔を出すこともできませんでした」

「別に良いよ。ヒナも忙しいだろうから」

「……全然寂しがってなくないですか?」

「そりゃまあ、一昨日に会ってるからね」

「くう、冷たい! 私なんて、空也さんと一週間会わなかったら出家する覚悟なのに!」

「あっ、じゃあヒナ。あと一週間で出家だね」


 沙希が平坦な口調で告げた。


「えっ?」


 困惑の表情を浮かべるヒナに、空也は愛理あいりにも使う予定の嘘を告げた。


「実は宗平そうへいとして指名依頼を受けてさ。場所はちょっと遠いんだけど、人の命に関わる案件だったから引き受けたんだ」

「えっ、ほ、本当ですか?」

「本当だよ。ゲンツっていう南東の街」


 空也は、辺境に向かう際に寄る予定である街の名を出した。


「ヒナの坊主姿、楽しみだね」

「もうお嫁に行けません……」


 ヒナが泣き真似をした。

 沙希がその肩に手を置く。


「どっちみち、ヒナはお寺で多すぎる煩悩ぼんのうを捨ててからじゃないと結婚できないから、出家も一種の花嫁修行だよ」

「ぐはっ!」


 自ら効果音を口にして、ヒナは胸を押さえてしゃがみ込んだ。


「それじゃ、私は仕事あるから」

「うん。じゃ、また」

「また」


 地面にのの字を書くヒナを気にした様子もなく、沙希は手を振って去っていった。


「……なんか、私の扱い雑すぎません?」

「良いじゃん。仲良い証拠だよ」


 空也はすぐに肯定の返事が返ってくるかと思ったが、予想に反してヒナはうーん、とうなり声を上げた。


「……沙希と、何かあったの?」

「いえ」


 ヒナが、今度はすぐに反応した。

 沙希の去っていたほうを見ながら、彼女は続けた。


「何かあったわけじゃないですし、沙希が一番の友達、親友と言っても良い存在であることは変わりません。ただ……」

「ただ?」

「最近、正確に言うとあの襲撃があって以来、どこか距離を感じるんです。ツッコミ自体は鋭さを増してますけど、今までより一歩踏み込んでこないというか、遠慮しているというか……」

「そうだったんだ……全然気づかなかった」

「知り合って間もない空也さんが気づいていたら、逆に怖いですよ」


 ヒナが笑った。


「それくらい、小さな変化ですから」

「ふむ……」


 空也は沙希がヒナに遠慮する理由について、考えを巡らせた。

 しかし、当事者でもない空也がそう簡単に思いつくわけもなかった。


「まあ、僕たちくらいの年齢は多感な時期だって言われるし、何かしら沙希さんの中で変化があったんじゃない? ちょっと大人になった、とか」


 結局、空也が口にしたのは、ただの慰めだった。


「……そうですよね。深く気にしても意味ないですもんね」


 避けられているわけでもないし、とヒナは笑った。


 ——その笑顔に一抹の寂しさを感じた空也にできることは、見て見ぬふりをすることだけだった。

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