第56話 瑞樹の死と、その意味

 何が起こったのだ——。


 倒れている三人を見ながら、りんは深呼吸をした。

 隣を見ると、空也くうやも呆然とした表情を浮かべていた。そんな表情の彼を見るのは初めてだった。


 階段を駆け降りる二つの足音が聞こえてくる。

 間もなくして、足音がピタリと止んだ。背後から、息を呑む気配が伝わってくる。


「な、何が起こったのですか……⁉︎ せ、瀬川せがわ瑞樹みずきと看守はどうなって……⁉︎」


 玲良れいら狼狽ろうばいした問いに、凛は答えられなかった。


「……おそらく、死んでいます」


 空也が絞り出すような声で答えた。


「膨大な魔力が使われた直後、まばゆい光が発生し……その光が収まったときには、すでにこの状態になっていました」

「空也さん、貴方は何もしていないのですか?」


 杏奈あんなが疑念の声を上げる。


「していません」

「……彼は、何もしていませんでした」


 凛は、空也を肯定した。

 凛は【索敵さくてき】は得意ではないが、呪術級の大きな魔力を使ったのが空也かそうでないかくらいは判別がつく。何せ、彼は魔力が行使されたとき、凛の隣にいたのだ。


「そうですか……疑って申し訳ありませんでした」


 杏奈も可能性の一つとして考えていただけのようで、すぐに空也に謝罪をした。


「いえ、この状況では当然のことだと思います」


 冷静に返答した空也にもう一度頭を下げてから、杏奈が瑞樹たち三人に近づいた。

 その脈を取り、首を振る。


 皆の視線は、この場の最高権力者である玲良に集まった。


「……原因を突き止めます。杏奈、真司しんじを呼んできてください」

「承知しました」


 杏奈が素早く動き出す。


「空也さんと凛は私とともに待機していてください」

「はい」

「承知しました」


 敬礼をしてから、凛は空也とともに、三人の死体から数歩離れた。




 幸いにも真司はすぐに捕まえることができたが、彼の【解析かいせき】でも、何か異変に気づくことはできなかった。


「そうですか……」


 玲良の顔は困り果てていた。

 彼女が現在使える人員で、真司以上の【解析】使いはいないからだ。


 ——いや、

 凛は自分の考えを打ち消した。正確には一人だけ、いることにはいる。


 玲良も同じことを思ったようだ。

 彼女は空也をチラリと見た。しかし、何も指示は出さない。


 当然だろう、と凛は思った。いくら彼自身と凛が否定しようとも、現時点で最も怪しいのは彼なのだ。


 逡巡しゅんじゅんする玲良に、杏奈が近づいた。


「玲良様。迷っている時間はないのではありませんか」

「……えっ?」


 目を見開く玲良に、杏奈は微笑んで続けた。


「真司さんでもわからない以上、もう打つ手はありません。ならば、彼女ら三人に何が起ころうとも関係ありませんよ」


 杏奈の意図するところは明白だった。


 真司でもわからないなら、容疑者だろうとなんだろうと、空也に任せるしかない——。

 杏奈はそう言っているのだ。


「……そうですね」


 覚悟を決めた表情で、玲良は空也を見た。


「空也さん」

「はい」

「イース王国第二王女として命じます。三人の身体を、いかなる手段を使ってでも調べ上げてください」

「——承知しました」


 同じく覚悟を決めた表情で、空也は頷いた。




 その後、空也は三人に対して瑞樹が何らかの呪術を行使したことを突き止めた。

 しかし、彼の力をもってしても、その詳細を突き止めることはできなかった。




◇ ◇ ◇




 それから、現場にいた者たちに真司を加え、原因の究明にかかった。

 空也と凛もこの議論への参加を許されている。時間や状況から考えて、二人が何かをした可能性はないと玲良たちが判断したためだ。


「瑞樹が呪術を使ったとして、なぜ彼女たちは死んだのでしょうか? 発動直後に呪術が解かれ、【呪い返し】を受けた……ということでしょうか」

「……ですが、彼女ら三人の身体に【呪い返し】の跡はありませんでしたし、そのお考えだと、看守の二人も瑞樹に協力したことになってしまいます」

「そうですよね……」


 杏奈の反論を受け、玲良は黙り込んでしまった。

 空也君、と真司が声を上げる。


「何ですか?」

「以前、このメンバーで相田あいだしげるについて話をしたとき、君はこう言っていましたよね。『代償がない、もしくは【呪い返し】以外の方法で代償を支払ったとは考えられないか』って」

「はい」

「っまさか——」


 玲良、杏奈、凛の三人は同時に息を呑んだ。


「ええ」


 真司が頷いた。


「もし、【呪い返し】以外の方法で代償を支払えるのなら……三人の命を代償にして瑞樹が何かしらの呪術を発動させた、とも考えられます」


 真司の推測には、否定の声も肯定の声も上がらなかった。


「……空也さんは、心身に何も不調は起きていませんか?」

「はい」


 玲良の言葉に空也が頷く。

 良かった、と玲良は息を吐いた。


「もし真司の考えが正しいとしたら、何かをされる可能性が高かったのは空也さんでしょうから。ひとまずは、この場の誰も何らかの被害に遭っていないのを喜ぶべきなのかもしれません」

「そうですね」


 杏奈が頷いた。

 一度目を閉じてから、玲良が皆を見回す。


「勢い込んで議論を始めてしまいましたが……一度、この場は解散にしましょう。今回はあまりにも不可解なことが多すぎます。ここで憶測を話し合っていても、おそらく意味がない」


 玲良の言葉に、他の四人全員が頷いた。


「凛、真司、そして空也さんは各自、身の回りにどこか異常をきたしている者がいないか確認してください」

「玲良様はどうなさるのですか?」


 真司の問いに、玲良は言葉を詰まらせてから続けた。


「……王に、報告に行きます。第三隊の立場は危うくなるでしょうが、致し方ありません」


 皆さんはこのことはご内密に、と言い残して、玲良は杏奈を伴って部屋を出て行った。




 三人での話し合いにより、真司は第三隊を、凛はウルフを、空也は九条くじょう家を調べることになった。

 凛は、空也とともに第三隊支部を出た。が、そこからは逆方向だ。


「それでは」


 空也が頭を下げ、去って行こうとする。


「空也君」


 凛はその背に声をかけた。空也が振り向く。


「貴方が犯人じゃないことは知っているし、今回の件が貴方のせいじゃないってことは、皆わかっているから」


 空也は目を見開き、口元を緩めた。


「……ありがとうございます」

「うん」


 凛はウインクをした。




◇ ◇ ◇




 空也が九条家を訪ねてきたとき、沙希さきはちょうど仕事が一段落したところだった。


「やあ、沙希」

「ん」


 片手を上げる空也に、沙希も同様の仕草をしてみせる。


「沙希は今、時間ある?」

「ちょうど一段落したとこ。皐月さつき様とヒナは忙しいけど。待つ?」


 少しの間目を閉じてから、空也はいや、と首を振った。


「二人に会うのはまた今度で良いかな。それより、沙希に聞きたいことがあるんだ」

「何?」

「今、身体に不調なところはない?」

「えっ? ……ないけど、どうしたの?」


 沙希は聞き返した。空也の表情と雰囲気は、挨拶代わりに体調を尋ねるような、そんな軽いものではなかったからだ。


「いや、ないなら良いんだ」


 空也はホッと息を吐いた。


「もし少しでも体調が悪くなったり、周りに調子悪い人がいたら知らせて」

「……わかった」


 その空也の言葉で、沙希は三つの事実を知った。


 一つ目は、空也の周囲で沙希たちにも影響が及ぶかもしれない何かが起きていること。二つ目は、空也がその詳細を言えない立場にあること。そして三つ目は、何かが起きているという事実を、空也が隠そうとしていないこと。

 これは警告だろう、と沙希は解釈した。


「それじゃあ、また来るよ——あっ、そうそう」


 きびすを返そうとした空也が、ふと思い出したように振り返った。


「アポは取れなかったから、また別の方法を考えるよ」


 そう言い残して、空也は去っていった。その背中は、いつもより小さく見えた。


 空也の姿が見えなくなってから、沙希は自分の胸に手を置いた。


 先程沙希は、空也に一つ嘘を吐いた。

 沙希は「身体に不調はない」と言ったが、本当は数十分前に一度だけ、胸にチクリとした痛みを感じていたのだ。


 しかしそれは本当に小さな痛みで、しかも一瞬で消えたため、沙希はあえて空也に告げはしなかった。いつもより余裕のない表情だった彼に、要らぬ心配をかけさせたくなかったからだ。


 この沙希の些細な・・・気遣いが、今後の彼女たちの運命を大きく変えることになる。




◇ ◇ ◇




 空也が帰ったあとに買い物に出かけた沙希を、二人の男が見ていた。

 一人は青、もう一人はピンクという目立つ色の瞳を持っているが、彼らに注目する者はいない。


「アレ? ——瑞樹の捨て身の復讐・・・・・・・・・に利用される・・・・・・っていうあわれな子は」

「そうだ」


 ピンクの瞳を持つ男が頷いた。


「おいおい、とんだ可愛い子ちゃんじゃん。今からでも瀬川せがわ空也くうやに変更できないの?」

「もうクイは打ち込んだし、無理に決まっている。そもそも、空也ではクイに気づかれる可能性があるから、仕方なく沙希にターゲットを変えたんだ」

「ちぇっ、もったいない……と言いたいところだけど、真面目な話、その判断は復讐の観点からも正しかったと思うよ。空也みたいな正義感の強いタイプは、自分が死ぬより自分のせいで誰かが死ぬほうが嫌がるから」


 バカだよねぇ、と青い瞳の男が笑った。ピンクの瞳の男は何も答えない。


「打ち込んだクイが発動するのは三日後だったっけ?」

「ああ」

「楽しみだなぁ。人間の絶望する顔を見るのは」

「趣味が悪いな、ライアン」

「はっ」


 青い瞳の男、ライアンが鼻で笑いながら、隣のピンクの瞳を覗き込んだ。


「趣味悪いのは君もでしょ? ——特別工作班班長、アレックス・ダン君?」

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