第7話 追放Side① 茂の企み

 空也くうや沙希さきとともに九条くじょう家の屋敷内でランニングをしているころ、【流星メテオロ】のメンバーは揃って冒険者ギルドへ向かっていた。


「はあ……」


 愛理あいりの口から思わず、といった感じでため息が漏れる。彼女はすぐに頭を振るが、そんなことで思考の切り替えができていないのは誰の目からも明らかだった。

 彼女の心を重くさせているのは、言うまでもなく空也だ。


(……ちっ)


 その様子にしげるは憤りを覚えるが、すぐに思い直した。

 誰も心配していない空也のことも心配するのは愛理が優しいからで、空也に気があるとかそういうわけではないのだ。


 それに、こうしているうちにも噂は広まっている。愛理が空也に対して嫌悪感を抱くのも時間の問題だろう。

 何せ、空也はメンバーの彼女を奪おうとした最低な男・・・・・・・・・・・・・・・・・・なのだから。


「愛理、大丈夫?」

「うん……」


 ほのかの問いに、愛理は曖昧に頷いた。


「でも、空也がいない穴をどう埋めるの? 臨時で誰か誘う?」


 その唐突とも思える話題転換は意図的なものだろう。それは全員がわかっていたが、茂もほのかも高志たかしもそれを指摘しようとはしなかった。

 三人にとっては空也がいない状態で依頼をこなすことこそが真の目的なので、愛理が多少は無理をしていようと構わなかったのだ。


「いや、必要ないだろう」


 愛理の提案に茂は首を振った。


「でも、作戦とか戦闘中の指示とか、空也が抜ける穴は大きいよ」

「……そうかもしれないが、それを信頼できない外部の人間に任せるのは危険じゃないか?」

「それはまあ、確かに」


 一応は納得した様子の愛理に、茂は「それに」と畳みかけた。


「作戦とかは俺が立てるから大丈夫だ」


 茂のこの言葉は、決して強がったものではなかった。

 茂は、空也より自分の方があらゆる面で上だと本気で思っていた。これまでは愛理に合わせて空也の作戦や指示に従ってやっていたが、自分の考えのほうが良いだろうと何度考えたかわからない。


 これは、空也より自分の方が上だと愛理にわからせる絶好の機会だ――。


「そ、そう? じゃあ任せようかな」


 茂の自信満々な様子に愛理も「これだけの自信があるなら大丈夫か」と、それ以上の反対意見は述べなかった――もともと彼女が押しに強くない、という側面もあったが。




◇ ◇ ◇




「あっ、【流星】だ」

「あれ、あいついなくね? あの水色髪の」

「いるわけ、というかいられるわけねえだろ。メンバーの彼女奪おうとしたんだぜ?」

「さすがに引くよねー」

「何考えてんのかわからないとこあったけど、そんなキモいやつだと思わなかったなー」


 あちこちから聞こえてくる空也への陰口に、愛理の視線は自然と下を向いていた。

 目撃者もいるというし、ほのかがそんなくだらない嘘をつくとは思えないので、空也が彼女に告白をしたというのはおそらく事実なのだろう。


 それでも、愛理は未だにそのことを信じられないでいた。

 願望を抜きにしても空也がほのかに恋心を抱いていたとは思えないし、ほのかが彼氏持ちならなおさら告白するとは思えないのだ。


 中には無遠慮に空也についての話題を振ってくる者もいて、愛理は耐え切れなくなって逃げるようにその場を離れた。


 人気のない場所に一目散で向かう。拳を握りしめ、唇を噛んだ。そうしないと涙がこぼれそうだった。


「あっ、おい!」


 茂が慌てた様子で愛理の後を追ってくる。

 高志とほのかはギルドで依頼を選んでいる最中なので、その場にはいない。


「どうしたんだよ?」

「……茂はなんとも思わないの?」

「何がだ?」

「空也のこと何にも知らないくせに、言いたい放題っ……」

「あー……まあ思うところはあるが、しかし、今回に関しては仕方ない面もあるだろう。さすがに略奪愛、それもパーティメンバー相手は擁護のしようがない」

「……うん」


 愛理は曖昧に頷いた。理屈としては茂が正しいのは、彼女もわかっていた。

 しかしそれと同時に、愛理は茂が空也をあまり快く思っていないのもわかっていた。

 だから、彼の言うことを素直に受け入れることができなかったのだ。


「なあ、愛理」


 茂が軽い口調で愛理に話しかけた。


「何?」

「俺たち、恋人にならないか?」

「……はっ?」


 その唐突すぎる提案に、愛理は自分の耳を疑った。

 愛理が固まっている間に茂が話を進める。


「宿を出てから、空也について聞かれているのはもっぱら俺と愛理だけだ。高志とほのかは全然絡まれていない。それはなぜか? ——答えは、あいつらが恋人同士だからだ」


 茂が得意げに自問自答をする。


「二人きりの世界に入っているカップルの邪魔をすることは、空也のことを無遠慮に聞く以上に困難だ」

「つまり、茂と私が恋人だと知れ渡れば、空也についても話しかけられなくなるってこと?」

「ああ」

「……でも、それって茂に迷惑じゃない? 偽の恋人なんて作っちゃったら、茂を好きな子とかも寄ってこなくなっちゃうよ?」

「構わない。そんな奴らより愛理が優先だ」

「……そっか」


 茂のストレートな物言いに、愛理はわずかに照れながら頷いた。

 愛理は茂を嫌っているわけではない。嫌いではない異性から「お前が優先だ」などと言われれば、愛理でなくとも照れはするだろう。


 しかし、そんな愛理のを、茂は自分だからこそのだと解釈した。


「どうだ? 俺と愛理なら容姿も釣り合うし、少し恋人らしいところを見せつけてやれば、周囲も疑いはしないだろう」

「う……ん」


 茂の自信満々のセリフに、愛理は曖昧に頷いた。


 たしかに茂の言うことは一理ある。が、それでも愛理には素直に首を縦に触れない理由があった。

 一つは茂にも話した通り、彼に迷惑がかかるのではないかという心配だ。そしてもう一つは、たとえ偽りだとしても、愛理は誰かと恋人関係にはなりたくなかった——ある一人の少年を除いて。


「大丈夫だ。こっちの心配はしなくて良いし、何より俺も愛理が恋人になってくれると周囲が静かになるから楽なんだ」


 茂が得意げな顔をしながら、説得のための言葉を重ねる。


 いくら彼でも、平素ならば愛理が乗り気ではないことに気づき、ここは一旦引くという選択肢だって取れたかもしれない。

 しかし、愛理が自分に好意を寄せているのだろうと考えている茂は、偽でも愛理の恋人になれるかもしれないという状況も相まって、視野が狭くなっていた。


「……まあ、茂が助かるなら」


 そして、平時ならいざ知らず、精神的にもかなり疲弊していた愛理にも、その強引さに抗い続ける気力は残っていなかった。


「それでは俺たちは恋人同士だ」

「うん。だけど、あんまり恋人っぽくはしないでおこうよ」


 しかし、茂の提案を受け入れる代わりに、愛理は一つ釘を刺した。


「……なぜだ?」

「だってさ、空也のことがあったばかりなのにすぐに私たちが恋人アピールでもしたら、周りに白い目で見られるでしょ?」

「それはまあ、一理あるな。では、そこら辺は徐々に、だな」


 愛理が釘を刺したのは、好きでもない——この場合は異性として、という注釈はつくが——男とイチャつきたくはなかったからなのだが、それを恥ずかしがっていると勘違いした茂は、上機嫌でそれに答えた。


「戻ろう」

「ああ」


 二人は並んでギルドへ帰還した。




◇ ◇ ◇




「——というわけで、俺らは恋人同士になった」

「えー? やるじゃんっ」

「いや、簡単だった。愛理も満更ではさそうだったしな」


 手を叩くほのかに、茂はメガネを押し上げながら答えた。


 場所は【流星】の共有部屋。任務を終えると愛理はすぐに自室に引っ込んだので、いるのは茂とほのか、高志の三人だ。

 そこで茂は、愛理と偽の恋人同士になったことについて語っていた。


「じゃあこれからは、合法的にイチャイチャできるじゃん。周囲の目がー、とか言ってさ」

「ああ、そのつもりだ。愛理はそういう経験が少ないだろうから、スキンシップや言葉で好意を見せつけてやれば、すぐに落ちるだろう」


 澄ました顔でそう言ってのけた茂の脳内には、本物の恋人同士になってイチャイチャする自分と愛理の姿がはっきりと映し出されていた。




 奇しくも同じタイミングで、自室でゴロゴロしていた愛理も茂と同じような光景が頭に浮かんでいた。しかし、二人の脳内には決定的な差異があった。

 それは登場人物。愛理の脳内に浮かんでいた彼女のパートナーは、偽の彼氏である茂ではなかった。

 

 それは、自分のことを考えてくれている(と愛理は思っている)茂に対して失礼だとはわかりつつも、彼女はその光景、またはその先について考えずにはいられなかった。


 ——もし、恋人として隣にいるのが彼だったら、


 と。


 少し過激な——愛理にとっては、という注釈付きだが——想像をして愛理は身をもだえさせたが、すぐにその表情はうれいを帯びる。

 ため息を吐き、愛理は枕に顔を埋めた。


「今、どこで、何をしているんだろう……」


 空也——


 その呟きは、誰の耳にも届かずに空気中に溶けていった。

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