第8話 夕食会

 愛理あいり空也くうやについて考えていたころ、空也もちょうど愛理のことを考えていた。否。愛理個人というより、【流星メテオロ】というパーティについてだ。


 そのきっかけは、


「聞きましたよ、瀬川せがわさまっ」


 と、ヒナが食い気味に話しかけてきたことだ。


 何を聞いたのかと思えば、空也がほのかに振られて自主的に【流星】を抜けたと噂になっていること、そしてその噂が真実ではないことだとヒナは語った。

 語ったというよりは喚き立てたという方が、彼女の剣幕を考えれば相応しかったのかもしれないが。


「ああ、やけにジロジロ見られていたと思ったらそういうことだったのか」


 空也は一人頷いた。愛理に空也が抜けたことをどう説明するのか疑問に思っていたが、その手があったか。


「何冷静に納得しているんですか! このままだとちまたでの瀬川さまの通り名が天使から堕天使になっちゃいますよ⁉︎」

「大天使じゃなくて?」

「今はそういうの良いんです! というか何でそんなことになっているんですか?」

怨恨えんこん……かな?」


 空也は首を捻った。ほのかの言う通り戦力外になっただけなら、ここまでの扱いは受けないだろう。


「恨まれるようなことしたんですか?」

「したかは別にして、一人からは確実に嫌われているね。もう一人も心当たりはあるし、あと一人も……ないことはない、かな」


 しげるはもちろん、ほのかにも嫌われそうな、というか逆恨みされそうな案件はあった。高志たかしも独特だから、何かしらあるかもしれない。


「一人以外全滅じゃないですかっ」


 ヒナは愕然がくぜんとしていた。

 しかし、その表情はすぐにいぶかしげなものへと変わる。


「あれ? でもじゃあ、その一人は逆に何をしていたんですか?」

「僕が抜けたときはその場にはいなかったよ」

「まさか、他のメンバーはそのときを狙って⁉︎」

「多分ね。愛理……その一人はすごい良い子だから、僕の追放には反対しただろうしね。今流れている噂っていうのも、彼女を誤魔化すためのものだと思う」

「卑劣な……えっ、その愛理っていう人にはパーティを抜けて以降会っていないんですか?」

「うん。まあ抜けてからの大半はここで過ごさせてもらっているしね。それに、今後は少なくとも僕からは会うつもりはないよ」

「えっ、どうしてですか?」

「僕と会っているのがバレたら、彼女にとって色々都合が悪いから」

「まあ……確かに」


 釈然しゃくぜんとしない表情を浮かべつつも、ヒナはそれ以上聞いてこなかった。空也のぶっきらぼうな口調から、愛理に関するそれ以上の会話を空夜が望んでいないことを察したのだろう。


「えっ、本当にそのほのかって人に告白はしていないんですよね?」


 そのヒナの質問は、おそらくは疑問に思ったというより「一つ前の話題に戻しますよ」という意思表示の意味合いを持つものだっただろう。

 彼女の気遣いに対する感謝の代わりに、空也は一つの情報を開示することにした。


「もちろん。されたことならあるけど」

「良かったー。これでしてたら私……って、告られたんですかぁ⁉︎」

「近いよ」


 ずいっ、と詰め寄ってきたヒナの肩を掴んで元の位置に戻す。


「昔、一回だけだけどね」

「あっ、わかりました! さっきの心当たりがあるって人、ほのかさんでしょうっ?」

「まあ」


 先程といい普段のキャラに反して察しが良いな、と空也は意外感を持ってヒナの顔を見た。その瞳には、かすかに怒りの色が浮かんでいる。


「まさか振られた腹いせでこんなことをっ?」

「さあ……何とも言えないね」

「なんて浅はかな!」


 空也は答えを濁したが——実際にわからないからだ——、ヒナはスイッチが入ってしまったようだ。


「娘の機嫌を取ろうとする世の中すべての父親よりも甘いマスクをお持ちの瀬川さまにたかだか一回振られた程度で根に持つなんて! 私はこれから一日に五回は告白しますよっ」

「断りの返事は五回目にまとめて言うよ」

「ひどっ!」


 ヒナの冗談に付き合いつつ、空也は考えた。

 九条くじょう家ほどの影響力があれば、空也のことを調べるついでに噂が真実でないことくらいはすぐに掴んでいただろう。ヒナを空也に付きっきりにさせているのは、空也が傷ついている可能性を考慮してのことかもしれない。彼女の前では、どんな悩みも吹いて飛ぶだろうから。


「ん? どうしました? お座りしているときの犬の後ろ足よりも可愛い私の顔に見惚れてしまいましたかっ? ……あ、あの?」


 そういえば、瀬川家にもこんなテンションのメイドが一人いたな。

 懐かしい記憶がよみがえり、空也はヒナの顔を見ながらふっと微笑んだ。




◇ ◇ ◇




 九条家の夕食は本来、当主である大河たいが、その妻である美穂みほ、二人の子である皐月さつき、そして給仕係の沙希さきの四名で卓を囲むことが多い。

 が、今日は様子が違った。いつもは余裕をもって並べられているお皿が所狭しと敷き詰められ、椅子も普段の倍の数が用意されている。


「……どうぞ」

「ありがとう」


 その中の一つを沙希が引き、空也はそこに腰を下ろした。ふかふかの感触が彼を迎える。

 本当はこういう特別扱いは好きではないのだが、今日ばかりは空也も受け入れていた。


(……これは気持ち良いな)


 空也がどこまでも沈み込んでいくような感覚に意識を持っていかれているうちに、沙希はテキパキと様々な作業をこなしていた。いつもより人数が多いこと、つい先日まで負傷していたことなど全く感じさせない手際の良さで、間もなくして食事の準備が整った。


「沙希、ご苦労様」

「ありがとうございます」


 大河のねぎらいの言葉に頭を下げてから、沙希が席に着いた。

 それでは、と大河が周囲を見回す。


「いただきます」


 手を合わせた大河に他の者も「いただきます」と続き、食事が始まった。

 テーブルはコの字になっていて、誕生日席に大河が座り、その右手に皐月、空也、沙希が並び、左手に美穂、執事長の佐々木ささき、副執事長の吉田よしだ、護衛隊長の野中のなか優作ゆうさくが並んでいる。


「空也君。この料理、おススメですよ」

「ありがとう……本当だ。すごく美味しい」

「でしょう?」


 左から差し出された料理に空也が舌鼓したづつみを打てば、差し出した張本人である皐月が嬉しそうに笑う。


「ん」


 今度は右から別のお皿が顔を出す。

 空也の右に座っているのは沙希だけなので、そのお皿の提供者はもちろん彼女だ。


「美味しい……肉汁がしみだしてくるね」


 口の中でとろける食感に空也が思わず頬を押さえれば、沙希は——無表情ながら——満足そうに頷いた。




◇ ◇ ◇




「ところで、皐月さん」


 食事も半分ほど進んだころ、空也は皐月の横顔に声をかけた。


「何でしょう?」

「僕を治療してくれた方ってどなた? お礼を言いたいんだ」

片桐かたぎりミサという、私たちと同い年の女の子です」

「同い年? それで魔力枯渇症の治療ができるなんてすごいね」

「ええ」


 皐月が口元をほころばせた。


「ただ、優秀な反動で結構忙しくて、今はもう九条家を出てしまっているので、お礼はもう少々お待ちいただけますか?」

「わかった」

「三日後」


 反対側から沙希がポツリと言う。


「ミサって子が来るのが?」


 空也が確認すれば、沙希はコクリと頷いた。


「ミサからもう一度診察するまでは九条家で安静に過ごすように、との伝言を預かっているので、あと三日間は九条家に滞在なさってください」

「えっ、それは迷惑じゃ……?」

「そんなことはありませんよ。ウチとしては、三日どころかずっと滞在していただいてもよろしいのですが」

「ありがとう」


 気遣ってくれているのであろう皐月の大袈裟な台詞に、空也は苦笑しながらお礼を述べた。


「それなら、少しの間お邪魔させていただきます」


 そして、皐月にというより、大河と美穂に向かって頭を下げる。

 フフッ、という小さな笑い声に顔を上げれば、美穂が上品に微笑んでいた。その眼差しに優しさを感じ、空也は今度は無言で頭を下げた。

 美穂からもそれ以上のリアクションはなく、彼女と空也のコミュニケーションはそこで終了となった。


 すると、待ち構えていたかのように、空也の目の前に料理がずいっ、と顔を出した。




◇ ◇ ◇




 それからも、会話の邪魔をしない程度にではあるが、料理は空也の左右から出現しつづけた。

 ただでさえ豪勢な料理を美少女二人が給仕してくれるとあっては、箸が進まないはずもない。


 気がついたときには、空也の腹は八分目まで満たされていた。


「ふう……」


 ナイフとフォークを置き、空也は一息吐いた。

 残っている料理から意図的に視線を逸らす。他人様、それも九条家という名家の席で満腹まで食べるほど、彼は食に貪欲どんよくではなかった。


 予想以上の好待遇にいつもより箸が進んだとはいえ、元来空也の食事スピードは速くない、というより少し遅めなので、彼が食後のお茶をすするときには、すでに他の者は食事を終えていた。


 空也が食べ終わるのを見計らっていたかのように――実際、見計らっていたのだろう――、話題はそれまで繰り広げられていた当たり障りのないものから主題へと変化していく。


「空也君」

「はい」


 大河からの呼びかけに、空也は背筋を伸ばして答えた。


「夕飯は舌に合ったかい?」

「はい、とても。どれも絶品でした」


 両手に花だったし、と空也は心の中で付け加えた。


「それは良かった」


 わずかに口元を緩めて頷いてから、大河はすぐに表情を引きしめて続けた。


「この席は九条家から空也君への感謝の意を表明するものとして、ささやかながら用意させてもらったものだ。改めて、娘と家臣の命を救ってくれたこと、心から感謝している。ありがとう」


 大河が頭を下げれば、他の六人も頭を下げた。

 空也はむず痒さと気恥ずかしさを覚えたが、すぐに魔力を全身に流して感情を静めた。


「沙希さんや他の護衛の方々の踏ん張り、英断があったからこそです」


 そして、嫌味にならないような謙遜で対応する。とういより、誰も死なずに済んだのは皆の力が合わさった結果だと、空也は本気で思っていた。


「もちろん、皆の働きもある。だが、他の者と違って君は九条家の人間ではないし、助太刀すけだちする義理もなかった。にも関わらず、君は魔力枯渇症になってまで力を貸してくれた。そのことに我々は感謝しているんだ」

「……ありがたきお言葉です」


 しかし、重ねて感謝を述べた大河に対し、空也は頭を下げてその言葉を受け取った。反論が難しかったというのもあるが、それ以上に、過剰な謙遜は相手に不快感しか与えないということくらいはわかっていたからだ。


「うむ」


 大河も満足げに頷き、表情を和らげて続ける。


「ついては、空也君には相応の謝礼をさせてもらうつもりだが、何か希望はあるかね?」

「そうですね……」


 空也は顎に手を当てて考え込んだ。そして思いつく。


「それでは、今回の件に僕が関与していたことを伏せていただけませんか?」

「えっ」


 声を上げたのは皐月だ。他の者たちも声こそ出していないが、皆訝しげな表情をしている。


「それくらいなら可能だが……だが、そんなことで良いのか?」

「はい」


 探るような大河の視線に、やましいところのない空也ははっきりと頷いた。


「今はもともと悪い噂が出回っている上に、こういうことで目立ってしまうのは色々と面倒なことにつながる可能性もあるので――特に、僕の場合」


 空也は少し迷ってから、最後に一言付け加えた。

 含みを持たせたその言葉に、大河、美穂、皐月、佐々木、吉田、優作の六人――つまり、空也を除けば沙希以外のこの場の全員――は、程度やベクトルに違いはあれど、皆表情を変化させた。


 空也は無意識のうちに詰めていた息をそっと吐き出した。

 一人、目をパチクリさせている沙希――おそらく彼女だけ事情を知らないのだろう――には申し訳ないが、空也は少なくともこの場では、これ以上言葉を重ねるつもりはなかった。


 話題を切り上げようとしたのは他の者も同じだったようで、複数の視線が空也から大河へ移る。それらを受け、一つゆっくりと頷いた大河は口を開いた。

 否、開こうとしたのだが、


「いやはや、自分の功績すら隠さなければならないとは、ずいぶん不便なものですなぁ――辺境出身者というのは」

「っ――!」


 息を呑んだのは果たして沙希か、皐月か、はたまたそれ以外か。


 空也は、あえてゆっくりとそのしゃがれた声が発せられたほうへと視線を向けた。

 そこでは九条家副執事長——吉田が、顎に蓄えた白髭をさすりながら、両目をつむって首を振っていた。

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