鏖殺の剣の物語(中の三)

8)


「みなが、知らせを待っているんだよ……」


 男は、苦痛をこらえる顔で、しかし強い意志を目にみなぎらせて言った。


「頼む、おれを砦まで連れて行ってもらえないか」


 シャスカには、この男が、長老の言っていた三人のうちの一人だということがわかった。


(してみると、彼らの目論見は成功したわけだ。

 使者はたどりつき、助けがくるのだからな。

 だが、それを彼らは、砦に立てこもる者たちは、まだ知らない。

 不安の中、ただ耐えているのだ)


 お守りをくれた幼女の顔がうかんだ。


「頼む、無理をいっているのはわかっているが」


 シャスカは男に肩をかした。


「すまん……」


 礼を言う男から、汗と、血がにおった。

 二人は、砦に向かって歩き出した。

 男はしばしば膝をつきそうになり、シャスカがそれを支える。


「すこし、休もう」

「いや、いっこくも早く俺は……」

「はやる気持ちはわかるが、な」


 なんども休憩を入れながら、二人はのろのろと進んでいく。


「不思議だ……」


 男はつぶやくように言った。


「なぜ、襲われない。かっこうの獲物なのに……」


 二人が草原を進む間、魔の気配は、かわらず二人を取り巻いていた。

 しかし近づいてくる様子はないのだった。


「さあな」


 シャスカにもその理由はわからない。


「ひょっとして、これのおかげかもな」


 そういって、魔よけの呪物を、男にみせた。


「それは、村の子どもの」


 男は首を振った。


「さすがに、それはないだろうよ」

「ああ、そうだよな」


 そして二人は少し笑った。

 やがて砦がみえてきた。

 砦からも、草原を、おぼつかない足取りで近づいてくる二人の姿が分かったようだ。

 見張りの兵が何事か叫んだ。



9)


 砦の中の小屋で。

 精魂尽き果てた男は、手当をうけ、寝台に寝かされていた。

 長老、剣士らがそのまわりに立つ。

 シャスカも、部屋の隅にたたずんでいた。

 門が開き、駆けだしてきた剣士たちが、男を砦に担ぎこんだのだが、シャスカもいっしょに連れこまれたのだった。


「よくぞ戻った」


 長老が言う。


「さっそくだが、首尾はどうだ?」


 長老が、切迫した声で、きく。

 男がうなずき、


「助けは、来る」


 はっきりと声に出すと


「おおお!」


 みながどよめき、安堵の吐息がもれた。


「来るか! 来てくれるか!」

「領主さまの兵か?」


 男は首を横に振った。


「いや、兵は、こない。領主さまには会えなかった」

「なに? では――?」


 そして男は、いきさつを語った。


 ――魔の包囲をぬけて、郡都まで行けたのはおれだけだった。ふたりはやられてしまったよ。

 おれは、疲労困憊しながらも、助けをもとめて、領主の館にいったが、けんもほろろだった。衛士にばかにされ、取り次いでももらえない。

 そんな辺土のちっぽけな砦に、援軍を派遣するようなことができるわけがないだろう、と。

 自分らでなんとかしろというのだ。

 上のものに話をさせてくれと必死で頼んだが、だめだった。追い払われた。

 目の前が真っ暗になった。

 しかし、必死に考えて思いついたのが、冒険者ギルドに依頼することだ。

 おれは、ギルドに走った。

 ギルドの重い扉をあけて中に入り、係りの者に状況を説明したのだが、ここでも思うようにはいかなかった。報酬がどれだけ出せるのか、少なくとも前金を積めるのか、そんな危険なクエストにはした金で挑むバカはいない、紹介状を持ってこい――さんざんだ。

 だれか、おれたちの村を助けてくれ、そう叫んだが、そこにいる冒険者とは名ばかりの連中は、目をそらすか、バカにしたように冷やかすか、だけだったんだ。


(ここも、だめか……)


 俺は絶望して、踵を返した。

 そのときだ、あんなに重いギルドの扉がふわりと開いた。そして、ふらりと中に入ってきた男がいた。

 見上げるように大柄な――たいへんな偉丈夫だ。

 筋骨たくましく、からだにはいくつもの戦い傷があった。

 武器はとみると、小刀を腰に差しているだけだったのが、その大柄な体には似つかわしくなく、不釣り合いだったが。

 男の存在からあふれる圧力に、ギルド内部の者たちは、みな話をぴたりとやめた。

 ギルドに用事があったのだろうか、男は何か言いかけたが、その目が、ふとおれにとまった。

 なにかを見通すように、じっとおれを見つめる。

 迫力はあるが、やさしい目だったよ。

 男は、軽い口調でいった。


「おい、あんた、ずいぶん切羽詰まった顔をしてるな、困りごとか?」


 俺は、その巨漢に縋りつくようにして、言った。


「たのむ、村を助けてくれ」


 と。


「ふうむ……」


 俺の話をきいた男は、がっしりした手であごをなでながら、何事か考えているようだった。


「あんたの、その村はどこにある?」


 これはひょっとして、脈があるのか?

 俺は、勢いこんで、村の場所を説明した。


「なるほど、あそこか……」

「知っているのか?」

「わかる」


 そして、にこりと笑って、あっさり言ったんだ。


「よし、俺が行こう」

「ええっ!」


 こっちから頼んでいたのに、おれは耳を疑ったよ。


「いいのか? 本当に来てくれるのか!?」


 男は鷹揚にうなずく。

 おれは急に不安になって、聞いた。


「でも、あんたが満足するような報酬はだせそうにないが」


 男は、おれの肩をぽんと叩くと、


「いいんだ。あの辺りには、おれもちょっと用があってな。行き掛けの駄賃だよ」

「あ、あ、ありがとう!」


 おれは、男の腕をつかんで、思わず泣いた。

 そして、準備があるという男より一足先に、おれは郡都を出て、急いで戻ってきたんだ。

 一刻も早く、朗報を伝えるためにな。

 草原に入ったところで魔に囲まれ、危なくそこでやられてしまうところだったが、この人のおかげで助かったよ、よかった、ほんとうによかった、なんとか、みんなにこのことを伝えられて。


 そういって、男はシャスカをみた。

 シャスカと言えば、そのとき、真っ青な顔をして、がたがたと震えていたのだ。


「おい、どうした、シャスカ」


 長老が尋ねる。


「そ、そいつ――そいつの名を聞いたか?」


 シャスカは長老の問いにはこたえず、使者の男に、震える声で聞いた。


「あ? 助けに来てくれる冒険者か?」

「そ、そうだ……」


 男は、そこで、ぽかんとした顔になった。


「なんてこった!」


 剣士が聞く。


「どうした」

「おれは――その人の名を聞いてない……聞き忘れちまった……」

「なんだってえ?」


 それを皮切りに、その場にいた者たちが、口々に言う。


「おい、それで大丈夫なのか?」

「名前もわからんヤツに、そんな依頼をしてきたのか」

「そいつ、ひとりなんだろ」

「たった一人で、この砦をかこんでいる魔物どもにたちむかえるのか?」

「そもそも、ちゃんと来てくれるのか、怖気づいて、ばっくれたりしないだろうな?」

「いや、だいじょうぶだ!」


 男は声を張り上げて、請け合った。


「なぜわかる」

「会えばわかる、あの人は、そんな人じゃない。きっと来てくれる」

「それにしてもよう」


 と、なおも疑いの声があがったそのとき、


「そいつが言うことは正しい」


 硬い声でそういったのは、シャスカだった。

 みんながシャスカに注目した。

 シャスカは断言した。


「やつなら……やつなら、かならず、来る」

「シャスカ……お主、なにか知っておるのか?」


 長老の問いに、シャスカは顔をこわばらせて答えた。


「ああ、知っている」

「何者だ、その冒険者は」


 シャスカは、絞り出すような声で、言った。


「……グレン……」

「グレン? それが名か」

「そうだ……鏖殺おうさつの剣を持つ男、グレン……」

「強いのか?」

「とてつもなく。あいつがくるなら、ひとりで十分だ」

「それほどか」


 シャスカはうなずき、そして、あわてて歩き出す。


「どこへいくんだ」

「ヤバいんだよ、おれはここにいるわけにはいかない、逃げなきゃならない」

「どうしたんだ、そんな奴がくるなら、ここにいるのがいちばん安全じゃないか……そりゃあ、お前を追い出したのは悪かったけど、こいつを助けて連れて来てくれて、みんな感謝しているんだ。いまさらだけど、危ない外に行くな。このままここにいてくれよ」


 シャスカは、目を血走らせて、ぶるぶると首を振る。


「ダメだ。とにかくダメなんだ、頼む、おれを逃がしてくれ!」

「まさか……お前が逃げているという相手は、ひょっとして、そのグレンだったのか……?」

「うわわわわわわわーっ!」


 突然シャスカは叫び声をあげて、うずくまった。


「来る、すぐ近くまできているっ!」

「おい、おい、シャスカ、しっかりしろ!」


 剣士がシャスカに近寄って、手をかける。


「やつが来る! 来るんだよ! うあああああああああ!」


 シャスカはその手を振り払い、脱兎の勢いで、小屋を飛び出した。

 あっけにとられている砦の者たちの目の前で、梯子をかけのぼり、狭間の上から丸太の壁を乗り越えて、なんと、無謀にも草原に飛び降りてしまった。

 ゴロゴロと草の中を転がり、そして、必死で走っていく。


「シャスカ! もどれ! もどってこい!」


 皆の声にもふりかえらず、闇雲にシャスカは走る。

 今、この瞬間も砦に近づきつつあるグレンから離れようと、無我夢中で――。

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