鏖殺の剣の物語(中の二)
6)
シャスカは、ふたたび門まで連れて行かれた。
数人がかりで、重い閂が外され、門がわずかに開かれる。
剣士の剣が、シャスカに、砦から去るようにうながした。
他に選択の余地はなかった。
うなだれ、門の隙間を抜けようとしたとき、その後ろから駆けよってくる小さな足音があった。
振り返ると、そこには、まだ幼い、村の娘が立っていた。
娘は、シャスカを見上げると、手に持ったものを突き出した。
紐につながった、薄く小さなものだ。
シャスカは、手を伸ばしてそれを受けとる。
長老が言う。
「餞別だ、この娘がどうしてもというのでな……さあ、
剣士が、シャスカの背をぐいと押した。
シャスカは、踵を巡らせ、門の隙間を出た。
シャスカの後ろで、門が再び、固く閉ざされた。
シャスカは、その場で、もういちど、娘に渡されたものを見た。
編んだ紐の端に、木の皮を折りたたんで作った、小さな歯車のようなものが付いていた。
それは魔除けの呪いだった。
不格好なその造りから見て、あるいは、シャスカに袋を手渡した、あの幼女が急ぎこしらえたものかも知れない。
彼らの現在の窮状を考えると、魔除けの呪いなどにどれほどの効力があるか……。
しかし、シャスカはそれを、大事に、懐にしまった。
(どちらに行くべきか……)
すばやく考えを巡らせる。
森に、戻るか?
(それはできない)
そもそも俺は、向こうから逃げてきたのだ。
おれを追ってくる、何か。
恐ろしいモノ。
あらためてシャスカは震えた。
なにをそれほど怖れているのか、自分でも分からないが、そいつに感じるその恐怖は、魔にたいする怖れとも拮抗するほどの強さを持っていたのだ。
(となると――)
草原を突っ切って、この場から離れるしかない。
たとえ草原が、魔の蠢動する危険な場所であっても。
シャスカは、覚悟を決め、ひとつ、深く息を吸うと、足を踏み出した。
7)
シャスカは、草原を進んでいく。
腰ほどある草の中を、かき分けながら歩くため、その歩みは遅い。
動く度に、青臭く、草いきれがにおう。
振り返れば、あの砦が小さく見えていた。
村人は、魔から砦を守り切れるのか?
助けは来るのか。
(いや、そんなことを心配している余裕は、俺にはない)
シャスカは、感じていた。
何かがさきほどから自分を取り巻いて、様子をうかがっている。
草むらの下に隠れ、見ることはできないが、なにかが確かに、そこにいた。
それも、ひとつではない。
いくつものなにか――それは、砦から逃げようとした家族を獲らえ、貪り食ったという何かだ。
それが草にまぎれ、右に、左に、後ろに走っている。
風に逆らう不自然な草の葉の動きは、そいつらが走り回っているためだ。
いつ、襲ってくるのか。
身を護る何の武器も持たず、襲撃されれば、なすすべはない。
そこで、命は尽きる。
だが、できることはこれしかないのだ。
シャスカは、懐に手を入れ、娘に渡された魔除けを握りしめた。
数刻後。
もはや土地の起伏に隠れて、砦は見えない。
驚くべきことに、シャスカはまだ、無事だった。
彼を取り囲むモノたちの気配はとぎれない。
草は不気味に揺れている。
だが、モノたちは、シャスカを遠巻きにしているだけで、それ以上近づいてこないのだった。
まさか、あの女の子のくれた魔除けが、魔を寄せ付けていないのだろうか?
いや、それはありそうもないが、不思議なことだ。
まあ、とにかく先に進もう。
ひょっとしたら、どこかで、このモノたちもあきらめて、引き返していくかも知れないのだから。
シャスカがそんな希望を脳裏に浮かべたときだ。
ザウンッ!
ボシュンッ!
突然、シャスカの回りで、草むらが跳ねた。
「うわわっ!」
草むらの中から、肌の色をした太く長いものが伸び上がった。
蛇か?
いや、蛇ではなかった。
鱗はない。
人の胴体ほどの太さの、肉の筒だ。
目も鼻も無い。
ただ、その端に、縦に割れた裂け目があり、小さく鋭い歯が、一列に並んでいた。よだれが、その口からダラダラとこぼれている。
その部分だけは、森で見た、あの化け物の口に似ていた。
血管らしきものが脈打つ胴体には、まるで飾り物のような、小さな腕が二本生えて、細い指を握ったり、開いたりしていた。
何体もの、その化け物が、草原のあちこちで立ち上がる。
「くっ、来るか!?」
シャスカは身構える。
だが――。
化け物たちは、シャスカにはかまわず、前方にむかって、いっせいに走り出した。
まるで、魚が水面を跳ねるように、草の海から飛び上がり、また沈み込み、突進していく無数の魔のモノ。
その様は、まるで、うまそうな獲物を見つけた、餓えた獣のようだ。
「むっ、あれは!」
魔物が殺到するその先を見れば、そこには、剣をかざした男が一人。
男は、自分にむかって押し寄せる魔物を見て、いったんは逃げようとしたが、逃げ切れないと悟ったか、その場で立ち止まり、剣を構える。
その構えを見れば、そうとうな手練れであると分かる。
最初に男にとびかかった化け物に、男の剣が目にもとまらぬ速さで走り、化け物は斜めに両断されて、青黒い体液をまき散らしながら草むらに沈んだ。
「やった!」
シャスカは声を上げる。
男は奮闘し、飛びついてくる魔物をたおし続ける。
だが、多勢に無勢だ。
斬られても斬られても、湧き出して次々に襲いかかる化け物。
何体の化け物を斃したのか、男の動きも疲労のために、しだいに力を落とし、
「あっ!」
後ろに回り込んだ化け物が、剣を持つ腕に激突し、剣が男の手を離れて、くるくると宙に舞った。
落下した剣は、草原に突き立ち、束だけが草むらから姿を覗かせる。
武器を失い、無防備になった男に、肉の塊がいっせいにのしかかる。
「ぎゃあアッ!」
喉が切れるような、苦痛の叫びが上がった。
(このままでは、やられてしまう)
目の前で男が化け物の犠牲になるのを見かねて、シャスカは駆けだした。
駆けよりながら、草むらからつきだしている、男の剣を掴む。
「わああああああっ!」
もとより、シャスカには剣技の心得などない。
わめきながら、闇雲に刀を振り回して、突撃するだけだ。
「こ、このやろう!」
男と化け物が一団となっているところまでたどり着くと、男を覆い尽くしている化け物の身体に、力の限り刃を突き立てた。
ブシッ!
噴き出した生臭い体液が、シャスカの顔をぬらす。
どろりとした体液に覆われ、片目が見えなくなった。
「くそっ、くそっ!」
シャスカはなんども無我夢中で突き刺した。
化け物がのたうつ。
やがて、シャスカの剣で貫かれ、体液を喪失した魔物が動きを止めた。
そして、シャスカが我に返ると、なぜか、あれほどいた魔物たちがすべて、後退して姿を消していたのだ。
その場には、シャスカに屠られた一体の魔物の死骸と、そして、身体中に傷を負い、流血した男だけが残された。
男にはまだ命があった。
目を閉じて、荒い息を吐いている。
「おいっ、あんた、だいじょうぶか!?」
シャスカが声を掛けると、男は、ゆっくりと目を開けて、シャスカを見た。
呻きながら身体を起こそうとするのを、シャスカは助けてやった。
「あんたが……助けてくれたのか」
シャスカがあいまいにうなずくと、男は、苦痛に耐え、なんとか立ち上がろうとしながら、言った。
「たのむ……俺を、砦まで連れて行ってくれ」
「砦……あんたは、あそこのものか」
男は肯んじた。
「そうだ、俺はもどらねばならん……なんとしても」
ひどい傷を負いながらも、強い決意がその眼にはあった。
「そして、みなに告げなければ。助けが来ることを」
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