鏖殺の剣の物語(中の一)
3)
シャスカを連行した一団は、森を抜けた。
その先には、開けた草原があり、そしてその向こうに砦が見えていた。
草原を、一行は砦を目指して進んでいった。
よく晴れた空には、白い雲が一つ、二つと浮かんで、ゆっくりと流れていた。
日の光が草原に注ぐ。
静かで、のどかな風景だった。
だが、草原に出て、男たちの緊張は解けず、むしろ高まったようだった。
風がひゅうと吹いて、一面の草はらが、ざわりと揺れる。
とたんに、男たちが剣を構えた。
ぴたりと動きを止め、張り詰めて、あたりの気配を伺う。
しかし、なにも起こらなかった。
それを確認し、ふたたび一行は前進を再開した。
風が草原を渡っていっただけのこと。
なにをそんなに——シャスカが、剣士たちの様子を訝しく思っているうちに、砦が近づいてきた。
もちろん王城のような立派なものではない。
木と土で作られている。
太く長い丸太を隙間なく地面に打ち込み、並べて壁としていた。
丸太の上部は鋭く削られ、敵の侵入を防ぐ。
弓を射るための矢狭間も等間隔に設けられている。
高く組まれた物見の櫓が、丸太の壁の上から姿を覗かせており、そこでは兵士が見張りをしていた。
壁の外側には、堀が巡らせてあった。
辺土にいくつもある、開拓村の砦だった。
賊や獣、魔物の襲撃から開拓民を護るために、こうした砦がある。
住民は、昼間は砦の外にある畑で農作業をしたり、あるいは狩りに向かう。
日暮れが近づくと、みなは砦に戻り、門を閉じて、砦内の安全な住居で夜を過ごすのだ。
ところが、本来、日中のこの時刻には広く開け放たれているはずの砦の門が、いまはかたく閉められていた。
そして、砦の外に、まったく人の姿はない。
それは異常なことだった。
近くで見ると、壁にはあちこちに、深くえぐられた痕、それは鋭い爪か、牙のあとだろうか。
焼け焦げた部分や、何かを突き刺し、そして引き抜いた穴があった。
べっとり染みついた赤黒いものは、血痕か。
どれも最近のもののようだ。
一団は門に近づき、先頭の剣士が、片手を上げて合図をした。
櫓の上の、見張りの兵士が、下に向かって何事か叫び、ややあって、鉄の枠で補強された頑丈な門が、軋みながら、ゆっくりと開く。
わずかに人が通れるだけの幅で門が開いたのは、なにかを警戒しているからだ。
一団がその隙間から、滑り込むように砦に入ると、門は再び閉じられ、そして閂が掛けられた。
彼らの前に、人びとが集まってくる。
男も女もいる。
老いも若きも。
幼い子どもたちもいて、村人は全員がここにこもっているようだった。
砦の中だというのに、男たちは武装している者が多い。
まあたらしい傷を負っている者も目に付く。
みな憔悴し、そして瘦せていた。
そこにはヒリヒリした緊張感が漂っていた。
子どもたちでさえも、言葉を発せず、戻ってきた一団を見つめていた。
「その男は何者だ?」
奥の方から現れた、ローブをまとった老人が、剣士に問う。
この村の長老であろうか。
「わからない……」
剣士は、ふりかえり、男に一瞥をくれて、言った。
「シャスカと名乗ったが……どうも不審だ。尋問のために連れてきた」
「ふうむ……そやつ、人だろうな?」
「魔ではないとは思うが……俺たちが警邏に行ったら、武器も持たず、森をうろついていたんだ」
「怪しいな……」
「俺は……うろついていたんじゃない……」
シャスカがつぶやく。
「ほう?」
長老はそのつぶやきを耳ざとく聞きつけ
「では、お主、何をしていた? どこかの斥候か?」
「俺は……俺は、逃げていたんだ」
「逃げる? 何から逃げる」
深いところを見通すような目つきを男に向け、
「お主、ひょっとして逃亡奴隷か? それとも重罪を犯したお尋ね者か」
「ちがう!」
長老が何事か詠唱しながら、男に杖を向け、杖の先で男をなぞるようにした。
長老の物見の魔力が、男を探る。
「……確かに、からだに奴隷印はなさそうだが……」
長老は眉をひそめた。
「だが妙だ……何か、おかしなところがある……その首の……」
振り返り、ついてくるように言った。
「これはたしかに、吟味する必要がありそうだ。あそこへ連れて行け」
シャスカは、両脇から腕をつかまれ、引きずられるように連れられていった。
4)
「さて……正直に話してもらおうかの」
砦の奥手にある小屋である。
小屋の奥には太い格子で区切られた、窓のない区画があり、ここはなにかあったとき、牢獄として罪人や敵を閉じ込めておくのに使われているようだ。
シャスカは、今、切り株で作った椅子に座らされ、屈強な男たちが脇に立ち、厳しい目でその動きを見張っている。
シャスカの前に立ち、尋問をするのは、先ほどの長老である。
「シャスカと言ったな……お主は、何者だ。そして、どこからきた。偽りなく、述べよ」
「俺は……おれは」
シャスカは、口を震わせ、そして
「わ、わからない……」
頭を垂れる。
「ふざけるな!」
男の一人が激昂し、拳でシャスカの顔を殴った。
「げふっ!」
男たちに比べはるかに体格の劣るシャスカは、ひとたまりもなく吹っ飛び、床に転がった。
「やめよ」
長老が短く言う。
シャスカは、また椅子に座らされた。
「すまんな……みな、殺気立っておるのでな」
長老が、感情をのせずに言った。
殴られた口の端から、血が垂れていた。
「この村は、今、存亡の危機にあるのだ」
と、長老。
「そんぼうの、きき……?」
「そうだ。お主も見ただろう、傷をおった村人たちを」
シャスカの頭に、広場に集まってきた人たちの姿が浮かんだ。
無残な傷を負い、それも新しいものだ。
そして、人々の顔には、不安と、恐怖と、憔悴と。
「この村は包囲されている」
と、長老は言った。
「人ならぬものに、な」
剣士が悔しそうに顔をゆがめた。
「武器なしでは砦の外は歩けぬ。たとえ武器があろうと、魔に獲られてしまうこともあるのだが」
「そんな、ことが……」
シャスカは、森からこの砦までの間に広がる草原を思い出した。
一見、なにも危険はなさそうな、のどかな景色にみえたのだが。
「日中であろうと、もはや畑にも行けぬ。狩りにも行けぬ。この者たちが――」
と、剣士らに視線をやり
「武器を持ち、集団で砦の外に出て、食料を探してくるが、それでは到底足りぬのだ。このままでは――」
「安全な場所に逃げるわけには」
長老は首をふる。
「女子供もいるのだ。安全な場所まで逃げ切ることはむずかしい。我らの制止をふりきって、なんとか逃げ出そうとした家族もいたが」
無念そうに眼を閉じた。
「みな、途中で喰われたよ」
生きながら食われるその悲鳴に、皆が耳をふさいだぞ、と長老は言った。
「それでは、いったい、どうすると」
思わずシャスカが言うと、
「ひとつだけ、残された希望がある」
と、長老。
「それは?」
「助けを求め、使者を送った。武術にすぐれ、動きも素早く、心持ちも強い者三人を選んで、郡都に送り出した。我らの窮状を訴え、領主さまに救援部隊を送ってもらえるようにと」
「行けたのか?」
「一人は途中で捕まったが、あとの二人は、なんとか我らが櫓から目で追えるところまでは逃げ切った。そのあとはわからない」
「それは……」
まるで蜘蛛の糸のような、かすかな希望でしかない、シャスカは内心思った。
その二人が無事に都にたどり着き助けを求められたかどうか。
そして、救援がくるのかどうか。
何の確証もないではないか。
シャスカが、この村人たちのすがる希望の細さに、暗澹たる気持ちになっていると
「さて、それで、お主だが」
長老が改めて、強い口調でいった。
「なぜ、武器も持たず、この危険な森をふらついておったのだ? なぜ、魔にも獲られず、無事なのだ。ありえないぞ、シャスカ。もっとも、お主自身が、魔であれば別だが?」
長老がそう言ったとたんに、剣士の手で、シャスカの目の前に鋭い剣が突き付けられた。
背にも、ちくりと剣先が触れるのを感じた。
「答えよ、シャスカ」
5)
剣を突き付けられたシャスカだったが、震えながらも、こういうしかなかった。
「わ……わからないんだ、本当に」
「まだ言うのか!」
背中の剣が肌を傷つけ、食い込もうとする。
長老が、手でそれを制した。
「わかる範囲でいいから、話してみよ」
「俺は――」
そしてシャスカは、自らの境遇を語ったのだ。
とにかく、おれは自分がだれなのか、それすら思い出せないんだよ。
シャスカっていう名前も、そこの怖いお兄さんに聞かれて必死で考えたら、なんだかそんな言葉が浮かび上がってきたんで、そしてその言葉がなんとなくなじみがあったんで、ああ、これがおれの名前だろうと思ったんだが。ぜったいそうかといわれたら、自信はない。そもそもシャスカなんておかしな名前が、あるのか?
そうだろう、聞いたことなどないだろう?
なんであの森にいたのかもよく覚えていないんだ。
気が付いたら森の中を走っていたよ。
はやく遠くに逃げなきゃという気持ちに突き動かされて走っていた。
なにから逃げるのかって?
だから、それもわからないんだ、正直なところ。
ただ、おれが逃げてる相手が、すごくヤバいやつだってことはわかる。
そいつに捕まったらおれは、たいへんなことになってしまうという、そういう確信だけはあるんだ。
殺されるのか、喰われるのか――。
ひょっとしたらおれは、そいつのところから逃げ出してきたのかもしれない、でないとこんなに、なんだかわけもわからないそいつの事が恐ろしいわけがないからなあ。
それにしてはなにも思い出せないんだが。
ううっ!
なにか今浮かんだぞ。
あれは――あれは手だ。
がっちりした、
うわわっ!
ヤバい、逃げなくては――。
ああ、大丈夫だ。
ちょっと慌てただけだ。
魔物?
森で魔物に襲われなかったかって?
あ……ああ、でくわした。
毛の生えた、目玉のついた袋みたいなのが、木の上からぶら下がってきたぞ。
口をパクパクひらいて、俺を食おうとしたんだが、おれが悲鳴をあげたら、向こうもなんだか慌てたように、いなくなった。
なぜだって、聞かれても。
おれにもわからないよ。
ぜったいやられるって覚悟したくらいだから。
情けない話だが腰がぬけた。
ようやく立ち上がって歩き出したら、そこの怖いお兄さんたちに囲まれてたんだよ。
信じてくれ。
おれは嘘はいっちゃいない。
「ふうむ……聞いてはみたが、わけがわからぬな」
長老は顎をなぜて言った。
「だが、わざわざ、こんなわけのわからぬ嘘をつく意味もあるまいな」
「こいつのいうことを信じるのか、長老?」
「まあ、いちおう信じてやろう」
「おい、長老、それは——」
長老は、抗議しようとする剣士に手のひらを向け、
「まあ、まて」
そして言った。
「この男が嘘を言っていない、ということは信じてやろうということだ」
「だから、それは」
「この男が本当のことをしゃべっていると言うことと、この男の存在を信用すると言うことは別問題だ」
「どういうことだ?」
剣士がよくわからない、という顔をした。
「この男シャスカが、自分はこうであると思っていることは、だれかにそう思わされているのかも知れない、ということだ」
「なんだって?」
そう声を上げたのは、シャスカ本人だった。
突きつけられた言葉に、足下が揺らぎ、眩暈がした。
「なにを言っている」
「率直に言って、わしはお主が、本来、人であるかどうかも疑っている」
「ええっ!」
叫ぶシャスカの前に、すかさず剣が突きだされる。
シャスカは剣に囲まれ、身動きすらできない。
「そ、そんな……」
「わしは村を率いる者として、みなを護らねばならぬ。お主が、この村を包囲する魔から送りこまれた、人間兵器である可能性もあるのだ」
「俺が、魔の手先……?」
「お主のその、首の輪も何かおかしい。なにかの呪力がかかっている。残念ながら、それが何なのか、わしにも判別できないが……とにかく、お主の存在は、我々にとって危険が大きすぎるのだ」
シャスカは眼を見開いて、震えだした。
「俺を、どうする気だ! 殺すのか?」
長老は、首を振り、言った。
「殺しはしない」
シャスカは安堵の息を吐いた。
「では、俺を助けてくれるのか?」
しかし。
長老は告げた。
「悪いが、砦から外に出てもらう。中においておくわけにはいかない」
「外に? あんたらが言うところの、魔が満ちている砦の外に放り出されて、俺はどうしたらいいんだ?」
長老が、険しい顔で、突き放すように、
「逃げれば良かろう、思うがままに……お主、そもそも、そうしたかったのだろう?」
そして、男たちに指示を出した。
「追放だ。せめて、日の出ているうちに外に出してやろう……それがどれほど意味があるか、分からぬが、な」
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