最終話 隠者のカード

 消毒薬の匂いがする。(あれほど、医療系の魔術だけは、隠すんじゃないと言ったのに)

 

 負傷したダリルがベッドで目を覚ますと美しい後ろ姿の娘が目に映った。白いコットンのドレスを着て、首にネックレスをしている。


「ローズか?」


 娘は満面の笑顔を浮かべ振り向く。「起きたのねっ! ダリル」


 簡単に髪を束ねただけで、化粧もしている訳ではない。だが改めて見て、これほど美しい女性はそうそう居ないだろうと思った。真っ白な肌に薄く赤みのある唇。 


 今まで、こぎれいにしたローズを見たことが無かったからだろう。ダリルはしばらく見とれていた。


「儂は随分と長いこと気を失ってしまったようじゃのう」寝ぼけまなこがいった。ここは、ベルファーレの城砦の一室のようだ。


 高い天井の清潔な部屋だった。大きな窓にはガーゼのカーテンがかけられており、涼しい風が入ってくる。


 大きな窓の向こうは、小高い峠から広がる美しい木々の景色が見渡せた。水差しからコップに水を汲みながらローズが言った。


「三日間も寝ていたのよ。本当に、無事でよかったわ」


「そ、そうじゃった。どうなったんじゃ」


「戦争は終わったわ」背中は汗でべたついていたが、頭はすっきりしていた。「ダリルのおかげよ」


「ふぅ。ならワインの方がええの」


「すぐに、食事もお持ちしましょう。ダリル殿」


 ローズの後ろで、黒いローブを着た男がゆっくりと立ちあがった。その男は、ずっと前から窓に向いたアームチェアに腰かけていたようだ。


「き……貴様はもしや、ノア・ジョードか」


「大丈夫です、ダリル殿。敵意はありません」その紳士は両手を見せて悲しげな笑顔をむけた。「もう争いは終わったのです」


「正気か? ローズ」コップを受け取ろうと手を出したダリルは、指が無くなっていることに気が付いた。


「三本指でも握り潰せるか試しに握手しようじゃないか、ノア。ひゃひゃひゃ」


 ダリルは自分のジョークに笑ったが、ローズは素直に笑えなかった。「……」


「聞き流してくれ、すまんかった。ローズにとっては待ち焦がれた父親じゃったもんな」


「ううん、いつもどおりのダリルだわ。元気で良かった」


「げっ、元気じゃとも」


 そういわれると、いつも卑屈な老人だと思われていないかと心配になった。いうほど元気でもないし。気を持ち直して老騎士は手を差し出し握手を交わした。


「本当に、やったんじゃな。ついにいくさを終わらせちまったのか。リウトは無理かもしれないと言ったんじゃが、儂は信じておった」


「ええ」ローズは老騎士の手を優しく握った。「ええ」心配そうな面持ちで、こちらを見る。


「……リウトはやったんじゃよな?」


「ええ。そ、それに、今はゴブリンとも友好的に暮らしてるのよ」ローズは話を引き延ばすように、彼から目を逸らした。


「ゴブリンが街に出入りしているなんていったら、信じられる?」


「おお、本当か! なんて素晴らしい。親友の可愛プリティいゴブリン・ボーイを酒場の連中に紹介してやらなきゃならんのぉ」


「あははは、ぜひお願い」ほんの少しの沈黙の後、ローズは続けた。「リウトの妹、ソフィアさんも元気よ。モリスンが宿屋の用心棒と運送の仕事をするらしいわ」


 ダリルは嬉しそうに笑顔を浮かべた。「そいつはいい。モリスンは少し平和に過ごす時間が必要じゃ。なんせ感情を表に出すのが苦手な馬鹿じゃからな。それで……馬鹿一号の方はどうした? 何をやっとる」


 鈍感なダリルでも、さすがにローズの顔色に不安の影を見た。ローズは彼の声が聞こえていないような素振りを見せた。


「彼は〈魔力の根源〉に接触したのです」ノアが言った。「そこから知識や魔力を得ることはもう誰にも出来ません」


 ダリルはベッドから重たい腰を起こして言った。「ごほっ、儂にも分かるように説明してくれ。やつは居るのだろう?」


「リウトは〈魔力の根源〉を隠したのよ。そして魔力を、この世界から消したわ」


 ローズはダリルの背中をさすって言った。今にも泣き崩れそうな、苦しそうな声だった。


「魔力の根源に触れたものは……二度と帰って来られないの」


「……」ダリルは黙ったまま、ローズとノアを交互に見上げた。


「本当に、本当にすまないと思っています」ノアはこうべを垂れて償いの言葉を続ける。「彼は本物の英雄だ。私たちは、偉大な英雄を失いました」


 ダリルは目を丸くして言った。「な、何を言っているんじゃ、あいつは生きている」ダリルは肩を震わせ、笑うような仕草をした。「あ、あいつが、あいつが死ぬわけがない」


「……」


「親父さんの力を拝借すると言っていたろ?」


「え、ええ。でも」


 はっきりしない言葉を遮って、老騎士は続けた。「自分に封印術を施せば、しばらく融合されないとか、戻る方法があるとか、さんざん話しておったのに」


「なんですって?」ノアは眉をひそめた。「封印術を使ったからといって離脱はできないはずです」


「いろんな力を拝借すると言っていたろ」


「いろいろな力とは?」


「ああ魔術師に愚者に隠者に悪魔。吊るされた男ともいっておった」


「そんなことが……可能なのですか? 他人の資質を取り込む魔術が存在するとは思えませんが」


「あるさ。このリリィの指輪を複製すればの」


「そ、その方法があったか――」


「お、お父さん……」ローズは低い声で同時にしゃべっている二人に、順をおって話すように頼んだ。「どういうことなの?」


 ノアは唇を噛んで、しばし黙ったあと興奮した声で説明した。「魔力に対抗できるのはタロットに例えられる資質だけだ、というのは知っているね?」


 祈るように指を組んだローズは、しっかりと話を聞こうと、顎を引くだけの返事をした。


「まず、リウトは五つの指輪を使い、〈魔力の根源〉へとアクセスした。破砕された超濃度の宝珠アクセサリは、ある神聖な空間への片道切符だと考えてほしい。


 そして私の〈悪魔のカード(正位置)〉を使い、彼自身の体を保護する封印術をかけた。そう、リリィの指輪を使って資質の複製コピーをした。


 ローズはベッドに座っているダリルの得意気な顔を間近に感じとった。「封印された肉体は、融合されないということかしら?」


「正確には、すぐには融合されないというレベルだろう。強大な魔力によって、封印はすぐに解けてしまうから、ここからは時間との戦いになったはずだ。チャンスは一瞬だったに違いない」


 説明に付いてきていることを確認するように二人を見まわし、ノアは更に続けた。


「解封師の力は〈悪魔のカード(逆位置)〉だ。ローズのスキルを複製した彼は、魔力の根源に直接干渉することが出来た。


 ユグドラシルと呼ばれる大樹の枝に直接自分の手で触れ、まるで造園技師のように魔力の流れに手を加えることも出来た」


「私の力を……解封術を借りるっていうのは、それだったのね」


 ローズは思った。枝を動かすため木を切り固定するには、鋏や針金が要るように、リウトには解封術という道具を揃える必要があったのだ。


「そしてリウト自身の能力〈隠者の資質カード〉によって〈魔力の根源〉そのものを隠した。おまけに騎士達の武器に細工までしたようだが」


 三人は成された奇跡を感じた。ダリルを愛した、リリィ。そして母を信じ指輪を与えた孤独な花嫁亭の娘。


 竜鱗の腕輪をくれたマンサ谷の少女。天地の指輪を見つけノアとローズを守った騎士たち。


 何か一つでも欠けていれば、奇跡は成されなかった。だが、それだけではなかった。ローズは最後の最後に切られたカードに気付いた。


「黒騎士ミルコのスキルだわ。だから、彼を殺さずに吊るしたのね」


「そうだ。〈吊られた男〉の持つ空間移動魔術シャドウ・ホールを使えたとすれば――」


 組まれた細い指がぶるぶると震えるのを見つめ、我が娘の肩をノアはそっと支えていった。


「可能性は充分にある」


「難しい話で着いていけんわい」ダリルは頭をぼりぼりと掻いた。


「は、はっ、はははは」ノアは、ふらふらと天井を仰いで笑った。「天才ですよ。あの、馬鹿者と呼ばれ続けた青年リウトは、誰も思いつかない方法で〈魔力の根源〉を出し抜いたんです」


「馬鹿と天才は紙一重じゃろ?」そう言って笑うと、今度はまじめな顔をしてダリルは何か大切なことを思い出したと言った。


「そうか、そういえば、儂がローズに伝える約束じゃったわ」


「伝える約束ですって?」


「すまん、すまん。峠の中腹に、弾き出されたら迎えに来てくれといっておったわ」


「な、なんですって」ローズはダリルの頬を両手で覆うと、じっと目を見て聞いた。


「じゃ、今までリウトは、この近くにいたっていうの?」


「お、落ちふけ」このままでは喋れないと気づきローズは手を離した。「自力で、歩いても半日くらいのはずじゃ」


 計画どおりにいかなかったのかとダリルは不安になった。空間移動魔術に詳しいノアの顔を見ると、同じように不安を抱えた顔があった。 


「確かにおかしい。もう三日間たつのに……失敗したのか」そう、言いかけるノアを、子供っぽい大きな驚きの声が止めた。


「あっ!」ローズは、広げた手のひらを口元にあてて声を上げた。「北部の沼地に!」


「ぷっ」ノアはよろけて笑う。「まさか、そんなまさか――」


「「アス・ホールだ!!」」


 意味も分からずダリルが彼女の顔を覗くと、生き生きとした目で今にも吹き出してしまうというように笑っていった。


「峠の中腹にあるシャドウ・ホールには全部手を加えているのよ。だから、リウトは北部の冷たい沼地に飛ばされてしまったんだわ。なんで、そんなことに気が付かなかったのよ。もう、馬鹿だなぁ、ほ、ほんとに馬鹿なんだからっ!」


 口を押えてローズは城門の前に向かって走った。溢れる涙は止まらず、景色はぼやけていた。


「馬鹿なんだから!」


 煉瓦作りの階段を駆け下り、城塞の中庭を走っていく。木々の間を風が吹き抜けて、緑の葉がかすかに揺れている。


「なんて……ぐすっ、馬鹿なんだろう!」


 拭っても拭っても、涙が溢れ出して止まらなかった。いつの間にか左手の袖がぐっしょりと濡れていて、右手の指先も濡れていた。


「やっばり、あなだは馬鹿バガよぉおっ!」息を切らして、泣きながらローズは走った。



 峠を登る長い一本道を、とぼとぼと歩いてくる青年が見える。薄汚れた灰色のローブを腕まくりして、細い腕が見えている。


「ごんなに……ごんなに、心配かけて、ぜったいに大馬鹿なんだからぁああっ!」



 右手には長い杖を持ち、腰には小さなカンテラが揺れている。彼の姿は、いつか見たタロットカード「隠者」の挿絵によく似ていた。


 ローズはふと不思議に思った。北部からここは一月歩き通してもたどり着けない距離にある。伝説の剣を何本も複製して見せたように、彼は五つの指輪も複製し、持っているのかもしれない。


 パンと魚の魔法。だとしたら世界中で彼だけは何時でも〈魔力の根源〉とアクセス出来る、たった一人の大魔術師ということになる。



「やること、ほんと馬鹿なんだから」


 フードをあげる青年の金髪は、爽やかな風に揺れた。


「おお―――――いっ。ローズ!」

 

 彼はにっこりと笑って手を振った。


                          

                                

               END

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